大人になってからこそ見て欲しい『ピーター・パン』その1〜これはウェンディの成長譚だ。〜

ディズニーの「ピーター・パン」にはちょっとした思い入れがあって、子供の頃僕が一番好きだったキャラクターが彼だった。

 

かっこよくて空が飛べて女の子にモテモテな彼は幼い頃の僕の、男の子の憧れだった。

幼稚園のお遊戯会の演目で、自ら家にあったピーター・パンのVHSを幼稚園に持ち込み、先生に「これがやりたい!」とプレゼンし、自らピーター・パン役を務めるというくらいには大好きだった。

(幼稚園児でセリフが覚えられないのでシーンごとに1人、つまり複数人ピーター・パンがいるのだけど)

幼稚園児の時点で企画、主演を務めているの、我ながらおもしろい。

 

もちろん今もピーター・パンは大好きで、子供の頃VHSが擦り切れるほど見た「ピーター・パン」も、大人になりDVDを購入し、今でも飽きることなく見ることができるくらい。

 

でもやはり改めて大人になってから見ると、この作品の印象はかなり変わってくる。

この映画の主人公って、実は「ピーター・パン」じゃないのではないか。

 

いや 、紛れもなく主人公は彼なのだけど、物語における「内面的成長」を主軸として見た場合、当の主人公のピーター・パンよりも、成長しているのはウェンディなのである。

 

この映画には子供騙しのような、低年齢向けに映画を作るということを許さないウォルト・ディズニーという人物の思想が色濃く反映されているように思える、大人でも深く考えさせられる工夫がしっかりと盛り込まれているように感じた。

 

今日はちょっと、そのことについて書きたいと思う。

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 目次

 

ウェンディの物語

「ピーター・パン」というタイトルながら、この物語の中心はウェンディに据えられている。(めちゃくちゃ語弊がある言い方をすると「AKIRA」方式)

 

映画はダーリング家の説明から始まる。一番に紹介されるのはウェンディの母、メアリー・ダーリングだ。そしてパーティのためにせわしなく準備する、現実主義の父ジョージ・ダーリング氏。カメラは子供部屋へと移り、男の子のマイケル、ジョンの兄弟二人がそれぞれピーター・パンとフック船長を演じる「ごっこ遊び」に夢中になっている様を見せる。それを見ながら「鉤の手は左手のはずよ」とアドバイスするウェンディ。最後に現れる犬のメイドのナナ。

これらの面々がダーリング一家である。

 

 

ダーリング家の長女、ウェンディ・モイラー・アンジェラ・ダーリングは母から聞かされたピーターパンの大冒険のお話が大好きな少女である。今では弟たちにピーター・パンのお話を語り聞かせられるほどに彼に憧れており、同時に彼の存在を信じている。

そもそもこの映画のきっかけとなる、ピーター・パンが彼の"影"をウェンディの部屋に忘れていったのも、彼が夜な夜なウェンディが語る冒険話を聞きに訪れていたからだ。

 

ウェンディ「私の話?すべてあなたのことよ」

ピーター・パン「そうだとも。だから好きなんだ」

 

 

以前ピーター・パンの影を捕まえていたウェンディは、母親に訝しがられながら子供部屋での最後の夜を過ごす。そして、その最後の夜という完璧なタイミングでピーター・パンが影を取り戻しにくる。

 

「大人になりたくない」と嘆くウェンディに対し、ピーター・パンは「子供はずっと子供のまま」のネバーランドへ行くことを提案する。

 

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ディズニーストア渋谷店。筆者撮影



ウェンディの心の動き。

 

物語序盤「大人になりたくない」と嘆いていたウェンディはネバーランドでの冒険を経て物語の終わりに「もう大人になってもいい」と受け入れる。

それは、逆説的にネバーランドの人々の「ずっと子供でいること」の問題・弊害を彼女が目の当たりにしたからだ。ネバーランドで女性は「女は薪を持ってくる」や「女は赤ちゃんおんぶ」などと露骨に軽視され、当の女性たち(人魚やティンカーベル)はヒーローであるピーター・パンの気をひくことに躍起になっている。そして迷子たちは(諸説あるが彼らは設定上捨て子だったりするため)母親という存在を知らないし、ジョンやマイケルたちもネバーランドで過ごすうちにいつの間にか母親のことを忘れてしまう。

 

ドクロ岩のシーンでウェンディがだんだん飛ぶのが下手になってきているのは、妖精の粉の効力が薄まっているとも取れるけど、「基本的に目の前のことにしか興味がない」「楽しみのためならわりと残酷なこともやってのける」ピーター・パンへの信頼が徐々に薄らいでいるからとも取れる。

 

ピーター・パンと出会い、彼の戦いぶりを見るまでは、フック船長の左手を奪ったピーター・パンは彼女にとっては物語の登場人物であり、想像の領域を出なかった。だが、タイガーリリー救出のシーンでフック船長を「一歩間違えれば殺害」しそうになるのを目の当たりにして、彼女はだんだん彼への「純粋さ」に疑問を持ち始める。

 

決定打になったのはインディアンの集落でタイガーリリーにキスされるピーター・パンを見てからだろう。彼女はひどく嫉妬し、それに追い打ちをかけるようにジョンには無視され、マイケルには「赤ちゃんおんぶ」を託され、インディアンの女性に「薪を持ってこい」と命令される。

 

ピーター・パンは純粋である。純粋さゆえに、楽しみから野蛮なことをしてしまう。楽しみのためにフック船長の自尊心を踏みにじり、結果タイガーリリーやウェンディやティンカーベルを危険な目に合わせてしまう。純粋さゆえにティンカーベルの嫉妬にも気づかない。きっとウェンディの恋心にも気づかないだろう。

彼女がその事にどこまで気づいていたかはわからないが、ピーター・パンやネバーランドに呆れてしまっていたのは間違いない。

 

「帰らない」というジョンとマイケルに彼女は言う。

 

「こんなところにいたら、野蛮な人になってしまうわ」と。

 

父ジョージ・ダーリングと母メアリー・ダーリング

悲しき反面教師の父

父ダーリング氏の印象は見る側の心象によって大きく変わる。

職場のパーティーへの出席のためせわしなく、いらいらしながら支度をするダーリング氏はコメディリリーフの役割を持っていながらも、好感は得られない。

物語の序盤ウェンディに子供部屋を出ること(=大人になること)を強要する彼はさながらヴィランのようですらある。(余談だが、ダーリング氏はフック船長と同じ人物が演じている)

ピーター・パンもおとぎ話も信じておらず、ウェンディに「弟たちにありもしないことを吹き込むな」と怒る。

 

彼は愛すべき家族のために「まともな人間でいること」が避けられなかった人間だ。

 

彼が生きているのは現実世界で、仕事やお金のことで人生が支配されてしまっているのが容易に見て取れる。彼はつまりこの物語における「現代人」だったり「我々」のことであり、一度でも社会に忙殺されそうになったことがあるような人ならば、彼の気持ちは痛いほどよくわかると思う。

彼が発する言葉は怒りに任せて荒々しく、ひどい内容だが、その根底にあるのは家族を愛する気持ちと不安であり、ナナを庭に出すシーンで冷静になった彼から溢れた本音は優しさに溢れている。

 

ジョージ・ダーリングは「悪」ではないが、社会に忙殺された悲しい大人の代表として本作で描かれているのは間違いない。悲しいことだが、あまり理想的ではない父親の像だ。

それに対し母メアリー・ダーリングは夫の本心を見抜いているし、子供たちをたしなめながらフォローする。

 

「本当はあなたたちのことをとても愛しているのよ」と。

 

「ピーター・パン」で描かれる「母性」

父ジョージの印象が強すぎて、メアリーは影が薄く見えがちだが、「ピーター・パン」という映画の根底には「母性」というテーマが存在する。

 

空想にふけり部屋で暴れまわる男の子兄弟と、イライラしながらパーティの準備をしている父ジョージをたしなめ、優しくフォローするメアリーはダーリング家の中心的存在であることがよくわかる。

彼女はジョージが「ウェンディを子供部屋から卒業させる」のを考え直すことを最初から知っているし、最初こそ驚いた様子だったが、子供達を寝かしつける時には至って冷静だ。彼女は家族にとって誰よりも安心感のある存在として描かれている。

ウエンディがネバーランドへ行った後でも、ただの夢見がちな少女としてそこに生きるのではなく、芯を持った女性として「ロンドンへ帰る決断」ができるのも、母メアリーの影響が強いからだろう。

「ロンドンへ帰る決断」とはすなわち「大人になることを受け入れる」ということである。

ずっとネバーランドやピーターパンに憧れていた彼女にとって、これは成長以外の何物でもない。

 

「おかあさん」が何かわからないピーター・パンはウェンディを「お話をしてくれるおかあさん」としてネバーランドへ招き入れるが、その本質がどういうものかはわかっていない。

 

一方でウェンディはネバーランドで「野蛮な子供たち」を目の当たりにし、「おかあさん」の本当の役割を再度確認し、大人になる第一歩を踏み出す。

 

この物語は両親の存在なく成り立たず、両親の姿が描かれなければウェンディの成長もない。

「棄てられた子供たち」であるピーター・パンや迷子たちの野蛮さも際立たない。

 

 

あまりにも母性が強調されていることや、「女=母」の構図が強い「ピーター・パン」は批判の対象になることもある。

だがそれ以上に、この作品で描かれているのはウェンディの「ひとりの女性としての自立」である。

感動のラストシーン

「ピーター・パン」のラストシーンに心を打たれる人は多いと思う。

 パーティを終えて帰宅したジョージとメアリーは追い出したばかりのメイドのナナを再び家の中に戻し、ジョージは自分が「さっきはどうかしていたよ、考え直した」と、ウェンディを子供部屋から卒業させることを取りやめる。

 

ウェンディが目を覚まし、彼女は希望に満ちた眼差しで、もう大人になってもいいと伝える。到底本当のこととは思えないようなネバーランドでの冒険を聞いても彼らはもう怒らない。

窓の外に浮かぶ空飛ぶ海賊船のシルエットを3人で眺め、現実主義者の父ジョージは目を丸くしてこう言う。

 

「あの船なら前に一度見たことがある・・・!ずっと昔の話だ、子供の頃に・・・」

 

ジョージ・ダーリングも、かつてはウェンディやジョン、マイケルと変わらない、夢見る男の子だった。ウェンディのピーター・パンとの大冒険を経て、家族の気持ちが一つになるこのシーンは、歴代のディズニーアニメーションの中でも最高のワンシーンの一つと言える。

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東京ディズニーランド/『ワンマンズ・ドリームⅡ - ザ・マジック・リブズ・オン』筆者撮影

ウェンディ視点で観る「ピーター・パン」のススメ。

今回、「ピーター・パン」に対する想いを、脈絡もなくバーーッと書きました。

 

もし手元に「ピーター・パン」のソフトがある方は一度ウェンディ視点で「ピーター・パン」を見返していただくことをお勧めします。

大人になってから改めて観ることにより、新たな発見があるかもしれません。

 

そして、今回ウェンディやダーリング夫妻に的を絞って記事を書いたのですが、当然「ピーター・パン」の魅力は彼らだけでは語れません。

ので、今回この記事を「その1」として、他にも色々なキャラクターに視点を置いたり、当時のディズニースタジオの状況とかも合わせながら書いていこうと思います。

 

いつ更新できるかはわかりませんが、是非是非楽しみにしていてください!

 

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 (追記)続きです。

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