映画や小説やアニメなど、様々なカルチャーに触れた時「いったいどんな頭をしていたらこんな設定が思いつくのだろう?」と思う時は度々あると思う。
J.K.ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズや、ティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』など、挙げればきりがないが、
本作『銀河ヒッチハイク・ガイド』も、それ相応(それ以上?)の常軌を逸した世界観で構成されている。
SF作家ダグラス・アダムス原作の小説を映画化した本作。
マーティン・フリーマンやズーイー・デシャネル、サム・ロックウェルにアラン・リックマン、ビル・ナイなど錚々たる役者が出演した2005年のこの映画は、実はウォルト・ディズニー・カンパニーが抱えている大人向け映画レーベルタッチストーン・ピクチャーズにより製作、ブエナ・ビスタ配給の、れっきとした「ディズニー映画」である。
れっきとしたディズニー映画であるはずだが、今年6月に配信サービス「ディズニー・デラックス」が「ディズニー+」に移行するタイミングで配信終了となるということで、「観なければ!」と滑り込みで観ることにした。
目次
あらすじ
ある日、地球に宇宙船が飛来する。銀河一醜いとされる宇宙人ヴォゴン人が乗るその宇宙船は「銀河ハイウェイのバイパス建設工事のため」として地球を破壊しだす。地球に住む普通の英国人アーサーは、友人のフォードに連れられ、宇宙へと脱出することに成功する。
フォードの正体は実はベテルギウス星の宇宙人であり、彼が地球に来たばかりの頃、車に轢かれそうになっていたところを救ってくれたアーサーのため、彼をヴォゴン人の侵略から救ったのであった。
一時はヴォゴン人の宇宙船に捕まった彼らだったが、偶然フォードのはとこで元銀河大統領のゼイフォードに救出される。そこにはゼイフォードが地球でナンパしたアーサーの憧れの女性トリリアンも一緒だった。
故郷を失い行き場をなくしたアーサーは、ゼイフォードらに従いスーパーコンピューターが導き出した「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」である「42」に対する「究極の問い」を求める旅に出る。
SFなのに不条理、不条理だが・・・
SF、サイエンスフィクションは科学を題材にした創作であるから、それが現実として成立するかは別としても、劇中でそれなりに理屈が通るような設定が重要視される。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』は様々な設定がむちゃくちゃでふざけている。
「そうはならんやろ」というシュールな笑いに包まれており実に不条理。
ふざけてはいる。ふざけてはいるが、(発想がぶっ飛んでいるものの)作者が馬鹿ではないことは映画を見るとよくわかる。
現実世界の人々や動物たちが、それぞれの地域や文化においてある種不条理な風習や習性を持つのと同じように、映画に登場する人物や宇宙人たちは、それぞれの「過剰な」風習や習性を盲目的に実行しているにすぎない。そしてそれらの過剰な風習は、我々の現実世界とかけ離れているために「不条理」「意味不明」と感じるが、作品の中ではきちんと理屈が通るように構成されていることがわかる。
もちろん全ての理屈を僕が理解しているとは言わないし、調べて見ると映画で描かれたのは原作のほんの一部だ。
ただふざけているだけのコメディならば、作品がここまで深く考察されることも、長く愛されることもない。
「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」でGoogle検索すれば「42」という数字が結果に出るほどにこのテーマはSFファンの間でポピュラーであり、Wikiを観ればわかるように、様々な考察と追求が繰り広げられている。
天才が大真面目に理屈をこねくり回して導き出した不条理な答えを、登場人物らと同じように、現実世界の我々も大真面目に追求している。
決定的でわかりやすい、爽快な答えを求めてこの作品を見てしまうと、思わず意味不明と突き放してしまうか、逆に「これは何も考えなくても楽しめる」とどちらにしろ考えることを放棄してしまう作りになっている。
だがそれは映画で皮肉として描かれている人類の愚かさを、イルカよりも低い知性を、あえて体現してしまっているのではないか?
「意味がわからない」と放棄して、答えをただ聞いて満足しようとするだけの愚かな人間になってしまっては、作者の思う壺なのではないか?
何も考えずにシュールギャグとして楽しむのもいいだろう。
だがこの作品の魅力はその不条理に真剣に向き合えば向き合うほど面白くなってくる。
魅力的な世界観とキャラクター
それでも、映画化した本作はそのヴィジュアル的なインパクトも含め「何も考えずに楽しめてしまう」ほどに、魅力的な世界観とキャラクターで構成されている。
人類よりも賢いイルカたちのミュージカルで始まる最高のオープニング、開始15分であっさり破壊される地球、お役所仕事的で融通の聞かない宇宙人社会、時折挿入される劇中のベストセラー本の「銀河ヒッチハイク・ガイド」による小気味好い解説も、銀河をワープする際のヘンテコな描写も面白い。
主人公アーサーを囲む登場人物たちも魅力的だ。
ズーイー・デシャネル演じるトリリアンは当然のごとく可憐ですばらしい。
そんなトリリアンの恋人で非常識な元銀河大統領ゼイフォードはこの映画を体現するかのようにむちゃくちゃで、しかも「二つ頭」だ。二つ頭って普通そうじゃないだろ。
彼らと同行するロボットのマーヴィンは思考を人間そっくりに作ったところ、非常にネガティブなってしまったというし、彼のセリフが『ハリー・ポッター』のセブルス・スネイプことアラン・リックマンの声で再生されるのだから最高すぎる。
このビジュアルも、キャラクター設定も、前述の不条理なのに追求せざるを得ない「疑問とその答え」も、すべてがこの映画を特異に彩っている。
まとめ
映画としての起伏とか、テンポとか演出とか、細かいところをあげると、
この映画はめちゃくちゃ良質な映画とはいえないかもしれない。
ぶっちゃけこの映画の特異さにノリ切れなかったら、ダラダラ続く意味不明な映画として「つまらない」認定されてしまうと思う。
だが、前述の通り、この『銀河ヒッチハイク・ガイド』ズルいところは
「これを『つまらない』と言ってしまうのは、作者の思う壺である」という作りになっているところだろう。
もちろん本気で観ているものを笑かしにきているはずだし、理解できない部分もあるが、
作品そのものが「考えもせず自分たちを賢いと思っている人類」へのアンチテーゼであり、そのために綿密に作られた、ふざけまくった設定がこの作品には詰まっている。
「つまらない」と言ったら負け。
どう転んでも制作側が勝利するゲームの上で、僕たち映画ファンは転がされているのだ。
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