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ディズニー+オリジナル作品『ハワード -ディズニー音楽に込めた物語』(以下『ハワード』原題:Howard)を観た。
このドキュメンタリー映画は、アラン・メンケンとともに90年代序盤のディズニーアニメーションの音楽を製作し、エイズによって倒れた作詞家ハワード・アッシュマンの人生を語るドキュメンタリーである。
目次
作詞家、というレベルではない
現在も第一線で活躍し、来日してコンサートなども行う作曲家アラン・メンケンに比べると、ハワード・アッシュマンは知名度が低い方だと思う。
「作詞家」という職業は、目立つようで目立たない職業だ。
ピアノやギターなど楽器を弾ける人が、新たにメロディを作り出す難しさは、一般の人でも楽器を習ったことがある人でも難しいということは容易に想像できる。
一方で「歌詞を書く」「詩を書く」という行為は、「無から有を生み出す一種の気恥ずかしさ」を越えれば、誰でもできることだと思われがちだからだ。
楽器の演奏とは違い、先進国に住む人々は文字の読み書きをほぼもれなく習うからだ。ポップソングであればあるほど、ヒットした楽曲であればあるほど「親しみやすさ」ゆえにハードルが低く感じられてしまうことがある。
楽曲に比べ「共感」への多様性も広い。ヒットしている楽曲であっても、むちゃくちゃな言葉な並びのものだって多い。だからこそ「投げればどこかに当たる」ような職業だと思われているところもあると思う。
だが、作詞家には「文字を書く」以上の発想力、才能、センス、努力、知識・・・さmざまな特殊な能力が必要なのは間違いない。
より共感しやすい言葉の選び方、メロディに対する音の数、リズム、韻、ストーリー、感情、背景、風景、行間、比喩、隠喩・・・と1曲のなかでさまざまなことを考え、最適の詞を選んでいく。
言葉がわかれば、作詞家には誰だってなれる。けど一流の作詞家になれるのは言葉を紐解き、意味だけでなく音のレベルにまで分解して再構築し、その裏側まで想像させるだけの力がある人だけだ。
ハワード・アッシュマンはまさにそういう人物であることがこの映画では語られる。
ミュージカルで活躍する作詞家は、作詞家以上の役割を求められる。
音楽が、登場人物が歌う歌こそが物語を動かしていくからだ。
ストーリーテリングの力。それこそ脚本家のような立場でもある。(実際に脚本家としてクレジットされることもある)
『リトル・マーメイド』『美女と野獣』そして『アラジン』
ハワード・アッシュマンが関わったディズニーの3作品はどれも名作である。
『リトル・マーメイド』『美女と野獣』そして『アラジン』だ。
この3作は僕自身、よく特典映像まで見ていた作品だったから、ハワードアッシュマンのこともそれなりには知っているつもりでいた。
それでも映画を語る中心人物は監督やアニメーター、プロデューサーなどで、ハワードの言葉は(早くに亡くなったからというのもあるが)ほとんど聞かされていなかった。
彼が偉大な人物であるということは感じていても、どれほどまでかというのはピンと来ていない部分があった。
実際、ハワード亡き後もディズニーは『ライオンキング』などをヒットさせ、『ノートルダムの鐘』や『ムーラン』『ポカホンタス』などの名作も作り上げる。
「ハワードの代わりはいる」と、どこかで思っていた部分がある。
「メンケンがすごいから」「監督やアニメーターがすごいから」と思っていた部分がある。
ところがこの『ハワード』を見ると、印象はがらりと変わってしまう。
ハワード・アッシュマンがいたからこそ、『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』の3作は名作になりえたのだ。
むしろ、彼がいなければこの3作品は全く別物になっていたかもしれない。
「こういう映画を作るからこういう曲を作って」という、そういうレベルの関わり方では全くない。(そう思っていたわけではないけど)
ミュージカルで物語を動かすのは楽曲だからこそ、作詞家であるハワードが自ら、脚本家や演出家のように、監督やアニメーター達を動かし、指示していた。
音楽の重要性、物語の一貫性、キャラクターたちの感情。
それらがすべて楽曲、そして歌詞によって支配されている。歌詞はキャラクターの想いだからだ。
何よりもびっくりしたのが『美女と野獣』だ。
最初期のストーリーボードは現在のものと全く違う話のように見えた。
当時のスタジオの責任者であるジェフェリー・カッツェンバーグがそのつまらないストーリーボードを見て「アッシュマンとメンケンに頼め」と支持して、全く異なる物語に変わっていく。そして「Belle(朝の風景)」の6分にも及ぶ最高のオープニングが生まれる。
また『アラジン』に関しては、この映画ではまるでハワードが持ち込んだ企画かと思われるような力の入れようだったことにもびっくりした。
作品は前述のカッツェンバーグのダメ出しによって途中でお蔵入りになるが、その後ハワードの楽曲が採用される形で再開する。
ご存知の通り、ウォルトの死後から『リトル・マーメイド』以前までのディズニーは名作こそあれど、どれも小粒な作品が多かった。
それが、ハワード・アッシュマンとアラン・メンケンらの登場によって一時代を築いたと言っても過言ではない。
『ライオン・キング』のヒットもあるので、カッツェンバーグの登場ももちろん重要だったのだろう。そもそもハワードをディズニーに招いたのはカッツェンバーグだという。
だが、『リトル・マーメイド』製作時にカッツェンバーグは「Part of Your World」をつまらないから削ろうと発言したというのだから、良くも悪くもビジネスマンで、そういう過ちを犯すタイプの人間でもあるのだ。
アニメーターも、監督たちプロデューサーも偉大な人物たちだ。
でもおそらくその原動力となったのはハワード・アッシュマンで、彼らの才能が遺憾無く発揮できたのは彼の強力で他を寄せ付けないほどの完成したイメージとディレクションによるものだったことが、『ハワード』ではよくわかる。
エイズとの戦い
ハワード・アッシュマンはエイズで亡くなった。
80年代後半から90年代、エイズはまだゲイの病気という認識が強く、ハワード自身もゲイであった。
この映画ではゲイへのパブリックイメージとの戦いに苦悩するハワードの姿も描かれる。一方でシンプルに、ゲイとして愛を育む姿も描かれる。
『美女と野獣』の「夜警の歌」の話を聞いた時はハッとさせられてしまった。
このドキュメンタリーは、どれだけハワードが偉大でも90年代に作られていたらもう少し違った展開にされていたかもしれない。
他社で作られていたら、ゲイであるハワードをより悪者にするものになっていたかもしれない。
社会的にも少しずつ理解が深まり、そしてディズニー社自身も同性愛を描くことに挑戦し始めた今のタイミングで、ディズニー社自身が彼の偉業を、彼の尊厳を守るために作ったドキュメンタリーであるというところが良い。
彼を失った悲しみは消えることはない。
ディズニー作品が好きだからこそ、彼がもしまだ生きていたら・・・と考えることは何度もある。
だが、彼が生み出した名曲たちは、作品たちは消えることなく触れることができる。
そしてこの『ハワード』で、より彼を深く理解し、感じることができると思う。
ディズニー映画を、そして楽曲を愛する人々は是非とも、この映画を見て欲しい。
『リトル・マーメイド』『美女と野獣』そして『アラジン』の、見え方がきっと変わってくる。
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