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ディズニーファン向け娯楽ブログ

『クルエラ』先読み不可能で魅力的、邪道で王道なディズニー実写化最高傑作。

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クルエラ オリジナル・サウンドトラック

 

こんなにおもしろいなら、早く言ってくれればよかったのに。

 

毎度のように私は

「公開日が近づくと期待値がダダ下がりしており「どうせ大したことないんでしょ?」みたいなツイートをしてしまう病」を発症しており、

特に今回は公開されていたトレーラーから、多くの映画ファンが予想した「ディズニー版『ジョーカー』なのではないか」という予想に引っ張られ、

ここ数日は「そんな二番煎じを今更やったところで・・・」という態度だった。

 

公開日当日になって公開されたことに気づき、

まぁたまたま休みだったので観に行った『クルエラ』

 

 

 手のひらは返すためにある。いつだってそうだ。

 

※この記事は映画『クルエラ』のネタバレを含みます。

 

目次

『マレフィセント』のトラウマ

ワーナー・ブラザース/DC制作の『ジョーカー』は、『バットマン』シリーズに登場するバットマンの宿敵、ジョーカーを主人公としている。

映画『ジョーカー』は、「心優しき男は、いかにして凶悪な犯罪者となったのか」を見事に描き、その社会的なメッセージも高く評価されアカデミー賞作品賞を含む11部門にノミネート、主演のホアキン・フェニックスは主演男優賞を獲得した。

この『ジョーカー』のように、とある作品における圧倒的カリスマヴィランを、スピンオフで映画にしたディズニー作品を私は知っている。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ制作の実写長編映画『マレフィセント』は、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ作品『眠れる森の美女』をベースとした実写リメイク作品で、とりわけ主人公オーロラ姫よりも強いインパクトを与えたヴィラン、マレフィセントを主人公としている。

 

私の『マレフィセント』という映画への想いは以下の記事を参考にしてもらいたいが、

この映画はここ数年のディズニー映画の中でも、期待値が高かった分、大いに失望させられた作品だ。

オリジナルキャラクターの改変、はストーリーの設定上仕方ないにしても、

「そうはならんやろ」と延々とツッコミを入れたくなるくらい、性格や行動にブレがあり、シンプルに「映画づくりが下手」というのを感じさせられた。

マレフィセントを自ら演じつつ、プロデューサーとしても参加したアンジェリーナ・ジョリーも、マレフィセントのタイミングで「女優を引退して監督業に専念する」って言ってたのに一向にその気配はないし(素晴らしい女優さんなので別にいいんだけど)

 

誰がこの映画を好いているのか私は知らないが、映画自体は大ヒットし、アンジーも引退しないしで続編もしっかりと作られている。

www.sun-ahhyo.info

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 そして、この度公開された『クルエラ』もWDAS作品『101匹わんちゃん』のヴィラン、クルエラ・ド・ヴィルを主人公にした、映画の前日譚的内容となっている。

 

我々は(主語がでかい/少なくとも私は)『マレフィセント』のトラウマを抱えている。

 

ディズニーよ『ジョーカー』の大ヒット、アカデミー賞ノミネートのノリにあやかって

『クルエラ』をやるのはいいけど、

お前らは『マレフィセント』という最高の素材を使える最大のチャンスを無駄にしてるんだぞ。

 

私がそう思うのも、致し方がないのである。

 

ディズニーに『ジョーカー』は作れない

もっと根本的な問題もある。

ディズニーに『ジョーカー』は作れない。

 

当たり前だけど、ファミリー向けのエンターテイメント作品を提供するディズニーは、「ディズニー」と名のつくブランドにおいて、基本的にR指定映画を作ることはない。

『ジョーカー』はその過激な内容からR15指定作品となっている。

 

もちろん、ヴィランのいいオリジン映画を生み出すために過激な描写が必要であるとか、決してそういう認識があるわけではない。

そういうわけではないけど、ディズニーが『ジョーカー』のヒットにあやかりたく、『クルエラ』でそういう動きを見せているのであれば、R-15映画が撮れないのはなかなか難しいだろう。そうでなくても、かなり複雑なレイヤーを持った作品でもある。

 

精神疾患を抱えた主人公が、社会のセーフティネットからはじき出され、様々な不幸と悲劇が重なり合った結果、悲しき殺人者となり、社会の不条理を糾弾するカリスマとして、暴動を扇動してしまう。

ある種暴力や、正義のための殺人を肯定するような内容だ。

また、ヴィランの側から不条理を糾弾する作品となると、やはり『マレフィセント』の悪夢が蘇る。

 

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予想は、妄想でしかない

結果、我々の予想は単なる妄想に終わった。

実際に映画『クルエラ』を観たところ、この作品は『マレフィセント』とも『ジョーカー』とも、似ている部分もあるが全く異なる作品となっていた。

 

勝手に「アカデミー賞を狙えるような、社会問題を提起する作品」かと、思い込んでいたら圧倒的に「エンターテインメントに満ちた娯楽作品」としての要素が強かったのである。

『クルエラ』の監督クレイグ・ガレスピーが同じく監督をした『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』がそうであったように、劇中には様々な60〜70年代ミュージック、特にパンクロックが流れ続け、映画を彩っている。

 

また、大いに驚いたのは本作が王道クライム・コメディの要素を持ち合わせていたことだ。

これは予告編には一切描かれていなかった部分であり、クルエラの壮絶な人生を語る、悲劇的で重いキャラクター映画を予想していたら、『オーシャンズ11』や『ミッション:インポッシブル』などを思わせる「泥棒」「潜入」というジャンルもの映画感も盛り込み、飽きさせないだけでなくより「クルエラ」という人物像を深掘りしていくことに成功している。

同じくディズニーが展開する映画フランチャイズのマーベル・シネマティック・ユニバースにおいて、『アントマン』という作品が「ヒーロージャンルもの」にクライムコメディの要素を追加したように。

 

そして、これらの潜入シーンは、上手くいってもいかなくても面白く、ほどほどにバカバカしく、ほどほどに華麗であるというのが、アニメ版『101匹わんちゃん』のクルエラ像を壊すことなく、絶妙なバランスで成り立っているのである。

 

ストーリー展開的にも、キャラクターの性格的にも「前日譚」としてはいるが

『クルエラ』のクルエラと『101匹わんちゃん』のクルエラは完全に別物だろう。

もっというと、ロジャーは弁護士に、アニータが黒人の新聞記者になってしまったし、クルエラが大学に行った様子はない(アニータとクルエラは大学の元同級生という設定であるが、小学校の元同級生に変更されている)

 

それでも、このキャラクターの設定変更は絶妙で、キャラへの理解度も高く、『マレフィセント』の時のような悲劇を免れることができたといえよう。

 

『ジョーカー』的にクルエラが彼女の出生の秘密を知り戸惑いを見せるシーンなどもあるが、ジョーカーよりもより意識的にカリスマを演じる姿勢など、大きく異なる部分もあるし、社会的なメッセージを投げかけるというよりは、明確に主人公VSヴィランの構造を用いたシンプルな物語に落ち着いている。

 

途中まで「本当にこれがディズニー映画なのか?」と思えるような先の展開も読めないワクワクと、いい意味での予想の裏切られ感が楽しかった。

圧倒的に邪道なディズニー映画の様相を呈しつつも、きちんと『101匹わんちゃん』への目配せもありつつ、『モンスターズ・インク』や『ズートピア』や『リメンバー・ミー 』を彷彿とさせる、「クレバーに敵を嵌める」という王道ディズニー映画の終わらせ方を持ってきたりと、またかと思いつつも、この内容では嫌いになれない。

しかもこちらもディズニー映画では王道の「ヴィランが高いところから落ちる」も同時にやるというウルトラCを成功させている。

「主人公がヴィランになりきらない」という「ディズニー映画としての絶対に越えられないライン」もキッチリと守る潔さも、『マレフィセント』とは同じようで満足感が全く異なる映画に仕上がっていた。

 

 

母殺しの物語

本作のもう一つ重要な要素として「血統からの解放」がある。

 

ディズニーは「血の繋がりのある家族」を重要視した「血統主義」が比較的強い。

それはもしかすると、血統以上に「疑似家族の絆」を重視した、

『ダイナソー』や『リロ・アンド・スティッチ』『トレジャー・プラネット』『ラマになった王様』『ルイスと未来泥棒』などの2000年代の作品が不発に終わったことが原因かもしれない。

『塔の上のラプンツェル』や『アナと雪の女王』や『リメンバー・ミー』などは非常に素晴しい作品ながら、「(血の繋がりのある)家族の絆こそ素晴らしい」というメッセージも強く、血縁家族に問題を抱えている家庭に配慮がないという批判もあった。

私自身はそれを批判するのはどうなの、と思いつつも、ディズニーが多様性を強調するのであれば「血縁家族重視」が強すぎても確かに気持ち悪く思えるというのは確かだ。(いや、疑似家族モノはたくさんあるんだけど)

 

そこにきてこの『クルエラ』である。

映画を見た方ならわかると思うが、本作のヴィランは、クルエラの実の母である。

本作は、中盤でまず「ヴィランが母を殺した」という衝撃の事実が明らかになり、復讐を企てるも失敗したタイミングで、「母は実の母ではなく、ヴィランこそが実母」という二重のどんでん返しがあるところも、また面白いところである。

クルエラは、「実の母が育ての母を殺した」という事実に戸惑いながらも、あくまでも復讐の火を燃やし続け勝利を手に入れようとする。「いざという時は殺す」という、殺意も口にしている。

血統、血縁から解放され、実の母を敵とみなす。

そして、ろくでもない自分を支えてくれる仲間たちを「家族」と呼ぶのである。

 

そういえば、同じディズニー実写版で、ろくでもない毒親をヴィランにする映画があtt・・・ってそれまた『マレフィセント』やないか。

でも、ステファン王を殺すのはオーロラではなくマレフィセントだし、

そもそもこの映画、マレフィセントが生まれたてのオーロラを気にかける理由が「ツンデレだから」くらいしか見つからない程度に、ストーリーが貧弱で行動理由に乏しい。

というわけで、『マレフィセント』とは大いに共通点があるのだが、何から何まで違うのである。

 

 

実写版で、現時点で最高

主人公に「復讐」や「殺す」という言葉を言わせる、ディズニーとしては圧倒的に邪道ながらも、仲間の助けに感謝し、人としての最低ラインを踏み外すことなく勝利を手にする、ファミリーフレンドリーな圧倒的王道感。

この二面性のバランスが素晴らしいのである。

 

正直『アラジン』や『ムーラン』ほど、社会を変えていこうとする、訴えかけるメッセージの強さはない。ただ、シンプルにこの2作より圧倒的に面白い。

 

正直まだ実写版『ライオン・キング』と『わんわん物語』を観れていなくて(もっというと『アリス2』とか『102』も観てない)恐縮なのだが、『クルエラ』実写版で現時点で最高傑作です。

 

『プーと大人になった僕』『シンデレラ』『ジャングル・ブック』は素晴らしいし、『ダンボ』や『アラジン』も制作意義が大いにある作品だったと思う。

『美女と野獣』もまぁ、楽しかったしいいんじゃない。

『ムーラン』はちょっとコメント控えさしてください。

 

実写版を何度も見返すということはあまりないのだけど、近頃いい作品が増えてきたような気がする。

ただそもそも、実写リメイクというものに若干の疑問は常に抱いているので

今回の『クルエラ』がクライムコメディの要素を内包したように、MCU的にジャンル映画で作家性を出していく方で展開していけば、まぁなんか面白い感じにはなるんじゃないかなとか、思ったり思わなかったりである。ただそれMCUの二番煎じやけどな。

 

とりあえず、『クルエラ』面白かった。

大いに期待を裏切ってくれた。

これからもいっぱい期待を裏切ってくれ。

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