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『ピーター・パン2/ネバーランドの秘密』現実主義者である「大人の」私たちへ。

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ピーター・パン2/ネバーランドの秘密(吹替版)

 

ここ最近、日本版ディズニー+から『ピーター・パン2/ネバーランドの秘密』が消えるだの、やっぱり消えないだの、すったもんだあったらしい。

ディズニー・トゥーン・スタジオ制作の続編映画はこき下ろし&観ず嫌いがちな私だが、『ピーター・パン2』は意外や意外、結構好きなのである。

なので是非とも一度観て欲しい映画ではあるのだ。

 

実に十数年ぶりになるが、消える前に、と思い再視聴した(結局撤回されたけど)

映画公開以後、少なからずファンはいるものの、正直ここまで話題になるのはかなり久しぶりだろうし、もう若干タイミングを逃した感はあるが、書くよ。

 

『ピーター・パン2』やっぱいいのよ。

 

目次

 

『ピーター・パン2』とは

『ピーター・パン2/ネバーランドの秘密』は2002年に公開されたディズニー映画である。

1作目にあたるウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ作品の『ピーター・パン』が1953年公開であるため、49年後という実に微妙なタイミングで公開されたのが本作である。1年待てなかったのか。

ご存知の通り『ピーター・パン』はイギリスの戯曲であるジェームズ・M・バリーの原作をアニメーション映画化したものである。

ウォルト・ディズニーが自ら手がけた作品の一つであり、ウォルト期のディズニー黄金時代を代表するヒット作のひとつでもある。

 

その続編を手がけたのがディズニー・トゥーン・スタジオ、当時の名前はディズニー・ムービー・トゥーンである。1990年のマイケル・アイズナーCEOの時代に設立され、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが製作した長編アニメーションの続編ビデオ映画を製作する会社としてスタートした。

そのクオリティはストーリー、作画ともに、「ディズニー」を基準とすれば決して高いとは言えず、多くの批判を受けているが、そのうちの数作は今なおファンから広く愛されている。

その数少ない「良作」のひとつに、この『ピーター・パン2』はおそらく含まれるだろう。

 

物語は『ピーター・パン』から十数年が経過した第二次大戦中のロンドンが舞台である。すっかり大人となったウェンディが、結婚し、夫と娘、そして息子と4人で暮らしているなかで、ウェンディの夫は戦場へ、そして娘のジェーンとダニーは郊外へ疎開することとなる。

戦争により夢を見ることやおとぎ話を信じることから遠ざかり現実主義者となっていたジェーンは、疎開の前日にウェンディやダニーと大げんかしてしまう。

そんな夜、ネバーランドからピーター・パンを出し抜くためにフック船長がロンドンに現れ、ウェンディと間違えてジェーンを拉致してしまう。

思いがけずネバーランドへとやってきたジェーンは、ピーター・パンに助けられる。ネバーランドにやってきてなお、ピーター・パンや妖精の存在を信じることができずにいたジェーンは、ティンカーベルにひどい言葉を言い放ち、ピーター・パンらの信頼をなくしてしまう。

 

そう、本作はピーター・パンやウェンディではなく、ウェンディの娘ジェーンが主人公となり、物語が進んでゆく。

そして、彼女は夢やおとぎ話を信じる「ディズニー的」なキャラクターではなく、戦争により心の豊かさをなくしてしまったリアリストとして描かれているのである。

 

「前作の逆転構造」の続編

ディズニー続編、とりわけ「第1作の主人公の子孫」を主人公としたディズニー続編映画は、かなりワンパターンに「第1作の逆転構造」で展開されるパターンが多い。

『リトル・マーメイドⅡ / Returen to The Sea』では、人間として生まれたアリエルの娘メロディが人魚に憧れるし、『わんわん物語Ⅱ』では飼い犬として生まれたトランプの息子スキャンプが野良犬に憧れる。

 

私は以前、『ピーター・パン』という映画を「ウェンディが主人公の物語」としてレビューしている。

実際にそういう物語だと確信している。

ピーター・パンという少年が、一人の少女に、そしてその家族のそれぞれにどう影響を与えたかという物語なのである。

恋をするように夢見た少年に、そして憧れの世界に失望し、夢の世界で現実に直面し、そして「いつまでも子供のままではいられない」と実感し、成長する。

ウェンディは大人になる。それでも、ピーター・パンが残したのは突きつけられた現実の苦い思い出だけではない。心の中に、そして記憶の中にあの日の冒険の思い出と、ピンチを救ってくれたヒーローの姿が焼き付いている。

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『ピーターパン2』も前述の通りの「逆転構造」に当てはめた続編であり、そうなると当然、主人公はウェンディの娘のジェーンとなる。

ジェーンは少女時代のウエンディとは真反対の性格で、物語や夢の世界に失望し、「生き延びる」ために実直に現実を見つめ続ける。

それでもこの『ピーター・パン2』が『リトル・マーメイドⅡ』や『わんわん物語Ⅱ』らと決定的に違うのは、「単なる設定の逆転」以上のキャラクター像と物語設定の深みによるものが大きい。

アリエルとメロディ、トランプとスキャンプはそれこそ、人間と人魚、飼い犬の野良犬の設定をひっくり返しただけのシンプルな設定と展開で突き進んだ作品である。

だがウェンディとジェーンの逆転構造は、属性ではなく心情にフォーカスを当てている。

ネバーランドを信じる、信じない。ピーター・パンを信じる、信じない。妖精を信じる、信じない。というように。

 

そして『リトル・マーメイド』においても『わんわん物語』においても「人間か人魚か」「飼い犬か野良犬か」というのはあくまでも設定上のテーマであり、本質ではない。本質はその背景にあるキャラクターたちの「属性を超えた愛」であったりしたはずだ。だからこそ、設定だけをひっくり返しても、物語に新鮮味はさほど感じられない。

だが『ピーター・パン』においては、「信じるということ」は映画の本質そのものなのである。

ピーター・パン自身が言っていることだ。「大切なのは、もっと信じることだ」と。

 

だからこそ、この逆転構造は物語そのものがひっくり返る。

1作目にはなかった急展開も起きる。

ジェーンはネバーランドなど存在しないと思っているのだから、彼女が望んでネバーランドに行くはずがない。ならば、誰かが誘拐でもしない限りネバーランドには辿り着かないだろう。

こうして物語に大胆さと、新鮮さ、そして必然性が生まれる。

 

ジェーンはジョージであり、私たち。

ジェーンという少女は、『ピーター・パン2』で初めて登場したキャラクターではあるが、どこか親しみやすさを感じるキャラクターである。

それはウェンディの娘だからという理由もあるだろうし、腐っても天下のディズニーのキャラクターだからという部分もあるだろう。

 

だがそれ以上に彼女はジョージ・ダーリングの要素を持つのである。

ジョージ・ダーリングはウェンディの父親である。

そして彼は、ウェンディら家族と一人だけ異なり、ピーター・パンやネバーランドの存在を信じることがない現実主義者として描かれている。

 

ジョージの人柄は第1作『ピーター・パン』において、彼が最後に発するセリフから分かるように彼自身もまた、かつてはおとぎ話のような世界の存在を信じる男の子の一人だったのである。

それが社会の荒波、そして家庭を守る大黒柱としての責任から「夢のようなもの」を遠ざけてきたに違いない。

ジョージの性格は『ピーター・パン』本編よりもディズニー映画の『メリー・ポピンズ』を見るとより理解が深まるかもしれない。

 

そして、ジェーンは彼と非常によく似ているのだ。

ジェーンもまた、幼い頃はネバーランドやピーターパンの存在を信じていた少女であった。それが戦争が背景にあることにより、精神的に急速に成長する必要があったのだ。

ジェーンはウェンディがネバーランドに行った年齢よりもずっと若く見えるのに、考えはすっかり大人びてしまっている。

ピーター・パンも、ネバーランドの迷子たちも彼女を「大人」と認定する。

 

仕事、社会、家庭と戦争、ジョージとジェーンの背景にあるものは大きく異なるが、異なるからこそ、ジェーンがなぜ若くして心の豊かさを失ってしまっているのかという理由付けにもなっている。

 

そして、『ピーター・パン2』は子供の頃に『ピーター・パン』を観て楽しんだ大人こそ、より楽しめる仕様となっている。

我々が時を経て、現実の厳しさや責任の重圧を知った、つまりはどこかしらジェーンと共通する「現実主義的な一面」を持ち合わせているからこそ、子供たちよりも深いレベルで感情移入ができるのだ。

これが他のディズニーの続編と大きく異なる部分でもあるだろう。

 

そして、ただ彼らの辛く悲しい出来事だけに感情移入し、センチメンタルになるのではなく、心の拠り所としてのそれぞれの「ネバーランド」に出会う物語にしてほしい。

ディズニー映画を楽しんで観る心の余裕がある人は、すでにそれらを見つけているのかもしれないけど。

 

まとめ

副題の「ネバーランドの秘密」というか、正確には「ティンカー・ベルの秘密」あたりが正しい邦題かな。とかいうツッコミはさておき。

 

古き良き『ピーター・パン』らしさは、やはり時代の流れゆえに失われているものの、しっかりと2000年代ディズニーナイズドされた、ダイナミックな映像が楽しめるのでオススメ。あと劇中曲の「I'll Try」はもう名曲すぎてディズニー音楽史に欠かせない一曲になっているので必聴。物語の流れで聴く方が絶対いい。

 

うーん、あとはチクタクワニが設定ほぼ一緒でタコに変わった理由がまったくもって不明。

ストーリーの大振り感と、いろんなところから怒られるからインディアンを描くの放棄したところとか、スピットシェイクの気持ち悪さは大目に見てやってほしいなと思う。

 

いや、そりゃ文句を挙げようと思ったらいくらでも挙げれるんだけど、ディズニー・トゥーン・スタジオ制作でこのクオリティの作品て本当にないので全然、面白いよ。

 

ディズニープラス日本版の気が変わってまた消される前に観とこうな。

そして、これは私は繰り返し言っているのだが、ぜひ1作目の『ピーター・パン』も大人になって見返してほしい。

頼むぜ。

 

 

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