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『アルテミスと妖精の身代金』誤解を、パズルのように解いていけ。

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Artemis Fowl (Original Soundtrack)

 

だっっっっれも興味ないかもしれんが、せっかく観たので感想書くよ。

というわけで当初劇場公開作品予定だったディズニー実写映画『アルテミスと妖精の身代金』(原題:Artemis Fowl)

公開延期&新型コロナの影響で劇場公開が絶望的となりDisney+限定配信作品として、今現在も視聴可能。

監督はディズニーでいうと『シンデレラ』『マイティ・ソー』でおなじみのケネス・ブラナー。

 

なんか面白かった気もするんだけど、

構造上どうしようもない締まりのなさがある作品。

まぁ、いかにもケネス・ブラナーが撮りそうな良くも悪くも凡作って感じの作品だったよ。

 

目次

 

誤解を解き、理解していく物語。

本作はファンタジー児童小説「アルテミス・ファウル」シリーズの第1作の映画化である。海外では「悪のハリー・ポッター」と呼ばれて親しまれているらしい。(ハリー・ポッターと同時期に「ダレン・シャン」ってのが流行っててだな・・・)

 

どんなタイトルやねんと思える映画の邦題も、実際のところは出版された原作の日本語訳のタイトルが由来となっている。

 

犯罪一家の息子として生まれた天才少年アルテミス・ファウルが、ある日失踪した父親の行方を探るため、父の残した様々な書物から妖精の存在をつきとめ、彼らと交渉することとなるストーリー。

だが、真の黒幕は妖精ではなく・・・という展開。

 

妖精は人間を地下の国のゴーレムなどから救う手助けをしているが、基本は人間のことを信頼していない。そのため妖精は姿を晒すことなく、人間から隠れて生きている。

アルテミスの父が誘拐され、父の身代金として妖精の宝「アキュロス」を要求されるが、アキュロスが何かわからないアルテミスは今度は妖精のホリー・ショートを捕まえ、妖精たちに「アキュロスの在り処」を身代金として要求する。

一方妖精の軍隊たちはホリーの父がアキュロスを盗み、どこかに隠してしまったと信じているために、その在り処を知らない。ホリーを取り戻すためにファウル家に対し戦争を仕掛けるという展開になっていく。

 

誘拐された父の身代金を確保するために、他の者を誘拐して身代金を要求する、という普通は考えないことを、天才少年で大犯罪者の息子とされるアルテミスはやってのける。

かくしてアルテミスによるホリーへの「尋問」が始まるわけだが、それにより彼らはコミュニケーションの中である共通点を見つけ出す。

 

アルテミスとホリー、人間と妖精の、2人それぞれの「わだかまり」と「父の謎」が絡み合い、パズルのピースのようにぴったりとはまって謎が解けた時、同時に彼ら種族間の「誤解」も解けていく。

 

この映画におけるメッセージは「誤解を解くこと」すなわち「相互理解」にあると思う。

妖精と人間、種族の違うものたちの、互いに理解を示さない薄いコミュニケーションから生まれた戦い。しかも、その黒幕は別にいる。

アルテミスとホリーが互いに理解し合い、共通点を見つけることで和解する。

その感覚と、実際に映画の中で起きる「謎解き」展開の気持ち良さが、本作の魅力だ。

 

長編シリーズの第1章、だからこその「何も終わってない感」

 

とはいえ、このメッセージは結構映画の中で宙ぶらりんで終わっている感じもする。

 

おそらく物語の「黒幕」であるオパールを、声のみの登場ながら存在感たっぷりに描写しておきながら、本作は「それ」との直接対決には結びつかず、おそらく今後協力体制となるであろう妖精たちとの戦いがメインストーリーとなってしまっている。

元はと言えば「黒幕」の存在が物語の根底を歪めているのにも関わらず、争いを見せるのはファウル家と妖精たちで、いわば「どちらも基本的には善」だ。

だが実際にファウル家VS妖精の軍隊の戦争は行われており、それによる犠牲者も多数出てしまっている。

 

物語はなんやかんや展開し、危機も乗り越えてハッピーエンドとなるが、傷ついたのは身内たちだけで黒幕はまだ野放し状態・・・みたいな気持ち悪さがある。

 

私は原作は未読だが、長編シリーズの第1作ということもあり、やはり「続編目配せ」的演出がこの作品を凡作たらしめているように思える。

それなりの達成感こそあれ、「終わらない終わり方」はダラダラと感じられる。

 

チグハグで魅力も?なキャラクターたち

アルテミスたち人間は、さながらスパイ映画のようにスーツ、そして妖精の魔法を無効化するためのサングルサスでキメている。

小さな少年がスーツにネクタイ、サングラスという格好が可愛らしく面白くもあり、他のファンタジーではあんまりない感じも良い。

 

そしてレプラコーンやドワーフ、ケンタウルスなどの古き良きアイリッシュ・ファンタジー的要素と、近未来SF的要素のハイブリッドのようなデザイン性がそれなりに新鮮で、「妖精が軍隊を持っている」という設定もこのビジュアルならば可愛らしくもあり、マーベルがコミックのデザインをうまく実写に落とし込んでるみたいなコスチュームはなかなか良かった。

 

それでも『ハリー・ポッターシリーズ』のようなデザインのオリジナリティは感じられないし、量産されたファンタジー映画と一線を画すようなものもない。

 

『アナと雪の女王』でオラフを演じ、実写『美女と野獣』でル・フゥを演じたジョシュ・ギャッドがドワーフのマルチ・ディガムズというキャラを演じているのだけど、どう見ても小さいハグリッドなのも気になる。

 

なんか、最初に褒めた妖精のやつもデザインがいいんじゃなくて、ホリー・ショートを演じてるララ・マクドネルがはちゃめちゃに可愛いから何となく絵になってるだけのような気もしてくる。

 

スーツでビシッと決めたアルテミスとドモボイ、ハグリッドみたいなマルチと、グリーンゴブリンみたいな可愛いホリー。アルテミス並みの天才少女として登場するも、あんまり出番のないドモボイの娘があからさまなティーンの服装なのもアンバランス。

 

このメンツはなんとなくチグハグでそれはそれで面白いけど、彼らのグッズが欲しいかと言われると、要らない。

デザイン云々もそうだし、そもそも映画自体が思い入れがあるように作られてないよな、と思う。

 

処理しきれない情報量と脚本の悪さが目立つ

全体的に情報量が多い映画だと思う。

そんで、映画の空気感を大事にしたいと思ってるのか、そこまでちゃんと説明されないから「ハッタリ」だと思えてくる。

ハリー・ポッターシリーズって、あれだけ世界で読まれている作品の映像化だが、特に第1作、第2作あたりはくどいくらいに説明が入る作品だった。そこに絵的な楽しさも加わってワクワクしていくのだが、本作はそのどちらも微妙。

 

また、ちゃんと、彼らが結束する「必然性」みたいなのは、あるにはある。とくにアルテミスとホリーの対立から結束への流れは、前述の通り映画そのものメッセージにもなり得て、自然だ。

だが、戦闘と同時並行にやる見せ方が上手くなかった感が否めず、テンポはいいが確信めいたものが弱く感じられて、とくにマルチはアルテミスにしてみれば急に現れたよくわからない奴になっている。(物語はちゃんと進むので理解は早いのだろうけど、その理解の速さが謎だ)

ケネス・ブラナーってこういうの、ちゃんとドラマティックに撮ろうとするタイプな気がするんだけどな。

結局は脚本が詰め込みすぎてるんではないかな。

 

まとめ

結局、普通に面白かったから褒めたかったんだけど、後に残るものが何もないみたいな映画にはなってしまっているかな。

 

ただ、色々言ってるけどつまらなくて死にそうになるようなレベルでもないのが、この作品のどうしようもないところだ。

ちゃんと観れる。それなりに面白い。けど、あんまり残らない…みたいな。

 

カメラワークというか、ファンタジーっぽくない大人なスパイ映画みたいな、ナメから入る撮り方とか、結構あった気がするんだけど、中盤には全くなくなった気もするのでもしかしたら私の脳内補完かもしれない。

 

本国でも大大大不評で、絶対続編なんか作れそうもない雰囲気なんだけど、

まぁ『マレフィセント』とかよりは面白いんじゃない。

でもオススメしたくもならないので別に見なくてもいいよ、みたいな映画だった。

 

なんじゃこりゃ。

 

 

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