というわけでいよいよ終わりが見えて来た「ピクサーの監督を語る」シリーズ。
第5回はダン・スキャンロン監督。
前回に引き続き、監督作が2本しかないねぇ。
ちなみにあなたはスキャンロン派?それともスカンロン派?私は今なお迷っています。
前回の記事
目次
- 目次
- ピクサー作品とその監督一覧
- 『モンスターズ・ユニバーシティ』での衝撃のデビュー
- パーソナルな思い出からスタートした『2分の1の魔法』
- 「知らない一面」「弱さ」に気づくこと。
- ブラッド・バードとの対称性
- 刺さる人はめちゃくちゃ刺さる
- ピクサーの監督を語るシリーズ
ピクサー作品とその監督一覧
例によって、ピクサー映画長編作品の監督を列記していく。
(このリストは毎回載せる予定)
- トイ・ストーリー(1995)/ジョン・ラセター
- バグズ・ライフ(1998)/ジョン・ラセター
- トイ・ストーリー2(1999)/ジョン・ラセター
- モンスターズ・インク(2001)/ピート・ドクター
- ファインディング・ニモ(2003)/アンドリュー・スタントン
- Mr.インクレディブル(2004)/ブラッド・バード
- カーズ(2006)/ジョン・ラセター
- レミーのおいしいレストラン(2007)/ブラッド・バード
- WALL.E(2008)/アンドリュー・スタントン
- カールじいさんの空とぶ家(2009)/ピート・ドクター
- トイ・ストーリー3(2010)/リー・アンクリッチ
- カーズ2(2011)/ジョン・ラセター
- メリダとおそろしの森(2012)/マーク・アンドリュース、ブレンダ・チャップマン
- モンスターズ・ユニバーシティ(2013)/ダン・スキャンロン
- インサイド・ヘッド(2015)/ピート・ドクター
- アーロと少年(2015)/ピーター・ソーン
- ファインディング・ドリー(2016)/アンドリュー・スタントン
- カーズ/クロスロード(2017)/ブライアン・フィー
- リメンバー・ミー(2017)/リー・アンクリッチ
- インクレディブル・ファミリー(2018)/ブラッド・バード
- トイ・ストーリー4(2019)/ジョシュ・クーリー
- 2分の1の魔法(2020)/ダン・スキャンロン
- ソウルフル・ワールド(2020)/ピート・ドクター
- あの夏のルカ(2021)/エンリコ・カサローザ
- 私ときどきレッサーパンダ(2022)/ドミー・シー
ダン・スキャンロン監督作は『モンスターズ・ユニバーシティ』と『2分の1の魔法』の2作。
『モンスターズ・ユニバーシティ』での衝撃のデビュー
もう8年前の作品というのに驚くが、『モンスターズ・ユニバーシティ』での鮮烈なデビューは衝撃的だった。
ダン・スキャンロン監督のキャリアは、ディズニー・トゥーン・スタジオの『リトル・マーメイドⅡ/Return to the Sea』やドリームワークスの『ヨセフ物語〜夢の力〜』(『プリンス・オブ・エジプト』続編)など、OVA作品のストーリーアーティストやキャラクターデザインなどでの参加からスタートしている。
ピクサーには2006年の『カーズ』から参加し、『メーターの恐怖の火の玉』では脚本兼共同監督を担当、様々な作品に携わったのち、2013年に『モンスターズ・ユニバーシティ』で晴れて監督としてデビューとなる。
1作目の『モンスターズ・インク』は2001年に現ピクサーCCO・ピート・ドクターが監督し、制作された。それから12年後の2013年に『モンスターズ・ユニバーシティ』が公開される。
正直、発表された当初は、『モンスターズ・インク』の前日譚として、「会社の前段階だから大学」という安易な発想からスタートした作品なんじゃないかと、疑心暗鬼だった。当時直近のピクサー続編作品は『カーズ2』だったし、その作品の評価が散々だったことも懸念事項のひとつだった。
果たして作る価値はある作品なのか、と。
『モンスターズ・ユニバーシティ』は、『モンスターズ・インク』からあえて主人公をサリーからマイクへと入れ替えることで、愛すべきサイドキックとも言える存在だったマイクのパーソナルな部分へとせまる。
彼もただ闇雲にコメディ・リリーフの役割を請け負ったわけではない、サポート役を請け負ったわけではないという「意外な」スタート地点を示すことで、「叶わなかった夢」への救いをもたらす。
ディズニー映画において「叶わなかった夢」を描くのは、かなり危険な行為だ。
創造主であり絶対神とも言えるウォルト・ディズニーの(言ったとされる)言葉に「夢は信じれば必ず叶う」というのがあり、その言葉を否定しかねない行為だからだ。
私はウォルトのその言葉の姿勢自体を否定はしないが、その言葉を闇雲に信じ、散っていった夢たちがあることも忘れてはならないと思う。
夢は叶わないかもしれないという現実、その現実にどう立ち向かっていくかという「希望」を『モンスターズ・ユニバーシティ』は示してくれている。
パーソナルな思い出からスタートした『2分の1の魔法』
ダン・スキャンロン監督には2歳離れた兄がいる。
彼が1歳、兄が3歳の時に彼ら兄弟の父が亡くなったこと、そしてダンが10代の頃に父の肉声の入ったカセットテープを見つけたという実体験が『2分の1の魔法』のストーリーにかなり大きな影響を与えている。
主人公イアンとバーリーの境遇は、ダン・スキャンロンとその兄ビル・スキャンロンの境遇とほとんど同じである。
監督は、ほとんど記憶のない父との思い出を探るべく、好奇心に駆り立たされる。そして、父親代わりであった兄の存在と、兄にこと忘れられない父との記憶があること、悲しみや葛藤があることに気づいていく。
それをそのまま映画に落とし込んだ作品が『2分の1の魔法』である。
これはこれまでピクサーというスタジオが映画を作り始める方法とは、結構異なっている。
ピクサーの手法として、「もしも」からストーリーを作り始めるというのはよく聞く話だ。
「もしもおもちゃが生きていたら?」
「もしもモンスターの世界があって、夜な夜な子供を脅かすことでエネルギーを得ていたら?」
そういう発想から始まる世界観を先に構築し、キャラクターを動かし、ストーリーを生み出していく。
だからこそ、魅力的な世界観というのが絶対的に最初に存在する。
『2分の1の魔法』という映画は、その逆で、ストーリーの根幹があり、そのストーリーを魅力的に描くために世界観を構築していったと考えられる。
かつては魔法にあふれていたが、現在ではそれを使うことがなくなった世界。
ピクサーという会社が、創造面においてかなり優秀な技術を持った会社であるから、十分魅力的に感じられる部分もあるとは思うが、私個人としては物語やメッセージ性の強さの割にこの「世界観」「設定」の上手く働いていない感じが気になる部分ではあった。
とはいえ、監督の非常にパーソナルな想いのつまった作品であるからこそ、イアンとバーリーの性格、キャラクター描写、ストーリー上で起こる感情面の機微は素晴らしい。
またアプローチが違ったからこそ、『2分の1の魔法』は他のピクサー作品と比べても、視聴感が異なる「個性」を持った作品であることも特徴だろう。これは、『モンスターズ・ユニバーシティ』でも感じられるところで、監督の手腕が大きいのだと思う。
「知らない一面」「弱さ」に気づくこと。
ピクサー作品はこれまでも魅力的な主役コンビを生み出してきた。
ウッディ&バズ、マーリン&ドリー、マックイーン&メーター、ウォーリー&イヴ、レミー&リングイニ、カール&ラッセル・・・などだ。
『モンスターズ・インク』の人気コンビ、サリー&マイクの学生時代を描いた『モンスターズ・ユニバーシティ』はもちろんのこと、『2分の1の魔法』のイアン&バーリーもピクサーにおける魅力的な、新たな主人公コンビの登場とも言える作品だ。
とりわけ、彼が監督したこの2作品に共通する部分が相方の「知らない一面に気づく」というシークエンスである。
『モンスターズ・ユニバーシティ』においては、自信過剰でお調子者だったサリーが、自らの実力を試すべく人間世界に飛び込んでいったマイクを追いかけていくシーンで彼の意外な一面を告白する。
サリーは怖いもの知らずのように振舞っていながらも、それは自分の弱みを周囲に隠すための防衛であり、本当は怖がりであるというのである。
マイクは自分の「怖がらせ屋」としての才能の無さに打ちひしがれ、才能溢れるサリーに「自分の気持ちなんかわかるはずがない」として八つ当たりしていたが、それが間違いだったことに気づく。彼は彼で、才能がないながらも努力と学習で食らいつき、そして「怖いもの知らず」で果敢に挑戦するマイクを羨ましく思っていたのである。
また『2分の1の魔法』においても似たような構造がある。
すっかり「魔法」が忘れ去られた世界で、兄のバーリーは周囲に迷惑をかけながらも魔法の存在を主張する。粗暴で家族に迷惑をかける困った子供として扱いを受けていたバーリーであったが、イアンとの旅の途中で彼の意外な一面が発覚する。
彼らの父が亡くなる時、病気の父に会いに病院へ行ったバーリーはチューブに繋がれ変わり果てた姿になっていた父にショックを受けて病室に入れず、別れの言葉を告げることもできないまま父は最期を迎えることになったというのである。
それ以来、彼の中で「恐れること」は忌むべきことであり、「何にも恐れないこと」を信念に、向こう見ずな行動ばかりを取るようになってしまったのである。
このように、ダン・スキャンロン監督に共通するのは、「誰もが自分の知らない一面を持っている」ということに気づかせるということだ。
気丈に明るく振舞っていても、人知れず悲しい過去を抱えて生きている人がいる。乱暴で怖いもの知らずな振る舞いは、弱い自分を隠すための「盾」なのかもしれない。
見かけで判断し、その本質や背景を見落とすことは、相互理解の足枷となる。
それを友達や兄弟というミニマムな関係に落とし込みリアリティを増すとともに、こんなに身近な人でさえも知った気になって勘違いしているかもしれないと、観たものに気づきを与えるのだ。
ブラッド・バードとの対称性
何回出てくんだブラッド・バード。
ということでここ最近語る機会の多い「ブラッド・バード作品の才能のない者の描き方」について、『モンスターズ・ユニバーシティ』と『2分の1の魔法』は非常によく救いをもたらしてくれているなと思うのである。アンサーとも言える。
ブラッド・バード監督は「才能ある登場人物の悩み・葛藤」を描くのに長けた人物であり、それらの登場人物が繰り広げる物語は実に面白く評価も高い。
一方で、「才能のない人々」の描き方が実に雑、というか、興味がないんだろうなという印象が否めないのである。
『モンスターズ・ユニバーシティ』は「才能がない」マイクを主人公として、彼がいかにチームに影響力を与えているかを事細かに描くことで、目指していた夢とは異なるが、彼の本領を発揮できる「居場所」を見つける物語に帰着しているし、
『2分の1の魔法』では魔法の才能があるイアンを主人公にしつつも、彼がバーリーという存在に常に助けられてきたからこそ今の自分が存在するということに気づき、「父に会う」という自分の夢を諦めてでもバーリーにチャンスを与えることにするのである。
奇しくもWDAS最新作の『ミラベルと魔法だらけの家』も、スタジオは違えど、ダン・スキャンロン監督が目指したようなメッセージに近いものを持った作品だ。
刺さる人はめちゃくちゃ刺さる
ダン・スキャンロン作品は、ド派手さはあまりないと思う。『2分の1の魔法』は特に公開時期もCOVID-19の流行時期と被ってしまったことでかなり地味な展開になってしまって、ピクサー作品の中でも知名度は低いままかも知れない。
(劇場公開が取りやめになってしまった『ソウルフル・ワールド』や『あの夏のルカ』よりはマシなのかもしれないが・・・)
それでいて、これまでのピクサー作品と異なるアプローチを繰り出すこと、繊細な内面描写やこれまでスポットの当たらなかった存在にスポットを当てていくこと、掬い上げていくことをテーマにしていたりして、「刺さる人にはめちゃくちゃ刺さる」作品作りが特徴だと思う。
僕個人としては『モンスターズ・ユニバーシティ』も『2分の1の魔法』も、ちょっと思うところがある作品ではあるが、伝えたいメッセージの輪郭の濃さとか、ただの「泣ける映画」に終わらせないこだわりっぷりとか、結構好きだ。
ピクサー首脳陣の交代後、ピクサーを支える一つの大きな柱的存在になりつつあるダン・スキャンロン監督。
まだまだピクサーに籍を置いてくれることを願って、これからも良作を生み出して欲しい。