『私ときどきレッサーパンダ』(原題:Turning Red)を観た。
観たっつって、観たのは3月の話なんだが、もう全然ブログ書いておらず
あの頃はまだ寒かったのにすっかり暑くなってしまった。いかがお過ごしですか。
もう次作の『バズ・ライトイヤー』も公開されてしまったけど
当時ディズニー/ピクサー最新作
ピクサー史上ふたりめの女性監督ドミー・シーが贈る、
これまでのピクサーとは一味も二味も違うのになんだか懐かしい
そんな作品『私ときどきレッサーパンダ』(原題:Turning Red)
めちゃくちゃ面白かったよ。
目次
今までのディズニーにどこにもない感覚
簡単に言ってしまえば、『私ときどきレッサーパンダ』という映画は
I wish I could be a perfect daughterな主人公の少女が
who I am insideをreflectionするみたいな話である。わからない人はもっとディズニーアニメを英語で観よう。
それくらい、シンプルに削ぎ落としていけば、映画の精神性は歴代のディズニーアニメーションと通じるところがある。
それでいながらこの『私ときどきレッサーパンダ』はこれまでのディズニー映画、ひいてはピクサー映画とくらべでも、今までにない鑑賞体験を感じられる映画となっている。
『インクレディブル・ファミリー』併映の短編アニメ『BAO』で鮮烈なるデビューをした中国系カナダ人監督ドミー・シー。
その彼女が「画面いっぱいの巨大でかわいいレッサーパンダを見たい」というごく単純な想いからスタートして、物語や設定、メタファーを後付けし、彼女の「中国系カナダ人女性であること」や「ナードでミーハーであること」のアイデンティティを、これでもかと詰め込んだのがこの『私ときどきレッサーパンダ』である。
ドミー・シーらピクサーの女性スタッフが主軸となり、クリエイティブ面で参考にしたのは、彼女たちが子供の頃慣れ親しんだジャパニーズ・アニメーションとのことである。
『セーラームーン』『らんま1/2』そしてジブリアニメーションなどなど。
それゆえ、これまでは写実的なCGアニメーションを追求してきたピクサーアニメーション映画に対し『私ときどきレッサーパンダ』は2Dアニメーション的な演出を多く取り入れている。
憧れのアイドルグループに目を輝かせる瞬間は、日本のアニメーションのように、それこそ文字通り目を星にきらめかせる。周囲にはピンクの靄がかかりシャボン玉が飛ぶ。
これらの「歴代のピクサー作品ぽくない特徴」はまた違った形で『あの夏のルカ』にも見られた。『あの夏のルカ』のエンリコ・カサローザ監督も、本作のドミー・シー監督も、長編映画初挑戦作品ながら、しっかりと独自性を発揮している。
赤に馳せる想い
レッサーパンダは英語でもLesser Panda(小さい方のパンダ)と呼ばれるが、毛色が赤褐色であるためRed Pandaという呼び名の方が主流であるらしい。
原題のTurning Redというタイトルは「レッサーパンダ(Red Panda)に変身すること」を意味しているだろうが、私はそれ以外にもこのRedに様々なメタファーが込められているように思う。
主人公メイリン・リー(メイ)は13歳の少女であり、大人でも子供でもない過渡期とされる「思春期」に今まさに突入しようとする年齢である。
保守的な家庭観念を持つ家に育ち、過保護すぎる両親に見守られ、しかも彼女を裏切ることができないながらも、友人との付き合いや、新たに芽生えた異性への憧れに一喜一憂する日々である。
そんな彼女がレッサーパンダに変身してしまうきっかけとなったのは、厳格な母親に、コンビニバイトの男の子の、セクシーな妄想イラストを見られてしまった挙句、同級生もいる前でその男の子に直々にそのイラストを晒されてしまったことがきっかけだ。
Turn Redには「赤面する」という意味もある。
そして、処理できずにメイの中で爆発した「怒り」の感情を「赤」として表してもいる。レッサーパンダになったメイが母に姿を見られそうになり、思わず暴言を吐く瞬間、パンダメイの目は赤く光るのである。
そして、思春期のメイが直面する「レッサーパンダになる」という身体的変化は、劇中でも勘違いネタとして取り扱われているが「生理」という女性特有の身体的変化のメタファーでもあるだろう。
子供の体から大人の体への変化の過渡期を、「レッサーパンダに変身してしまう」という比喩描写で覆い隠してしまうこともできたはずだが、あえて「生理」を言及したのはさすが女性中心に集まって作られた製作チームだな、と感心した。直接的な生理の描写はもちろんないが、汚らわしい、話題にするべきではない、「隠すべき恥ずかしいもの」と思うのは実に男性的な考えであるように思う。
また本作の舞台はカナダのトロントで、メイは中国系カナダ人だ。
カナダの国旗も、中国の国旗も赤色。
もっといえばカナダの国旗のモチーフは「楓(Maple)」であり
楓は葉が色づき紅葉する植物である。Turn Redには「紅葉する」の意味ももちろんある。
「おっきなレッサーパンダを見たい」という願望だけで始まったはずのこの映画の企画が、「赤」から発展してあらゆるメタファーを盛り込み、思春期の思いや身体的変化、生理の問題なども含めて描いた上で「紅葉」するように「成長」を描ききる。
ミニマルすぎる「目的」
『私ときどきレッサーパンダ』という作品が秀逸で愉快なのは、
本作が移民の抱えている問題やジェンダーや、思春期の少女の成長と家族愛を描いていながら、物語を動かす主軸はかなりミニマムでメイら友人グループの超内輪な目的に終始している部分だ。
その目的とはまさに「4人で4☆TOWNのトロント公演に行く」そして「そのための資金をレッサーパンダで得る」というものである。
当初は自身の「変身」を秘密事として隠していくはずだったのだが、度々感情を抑えられなくなり、序盤であっさり周囲にバレてしまう。だが、その可愛らしさが人気となり、グッズや写真撮影会で資金を得られると踏んだ4人はメイの母親にはもちろん内緒で資金集めを計画する。
いわゆる「好きな推しのために頑張る」という非常にシンプルで地の足のついた理由は共感を呼ぶ。
メイの家系に伝わる伝説を引っ張り出してレッサーパンダの秘密をシリアスに語り、普通に暮らすことができない苦しみと思春期の悩みと重ね合わせながらも、行き着くのが「推し活」という気の抜け方。
この気の抜け方が絶妙で、笑えて、エモい。
ここに至るまでにメイは母親に4☆TOWNのコンサートに行くことを直談判もするが、あっさりと断られており、葛藤の末「今までずっといい子でがんばってきたのに、4☆TOWNのコンサートに行けないなんて」と、密かに母親に対する反抗の姿勢を見せるのである。
仲間たちのみぞ知る「密かなる反抗」は彼女たちの結束力をぐいぐいと高めるし、彼女たちが活き活きとしながら資金調達に励む姿は、学校のメインストリームから外れたオタク女子集団たちの「文化祭準備」のような青春そのものだ。
また、こんなミニマルな目的でありながらも、作品が映画的なスケールを損なっているかというとそんなこともなく、この目的とその達成はエンディングに向けての文字通り最高の舞台装置として機能しているからさらに面白い。
ディズニーで描く限界の「毒親との付き合い方」
前述した出来事の内容からもわかるように『私ときどきレッサーパンダ』はいわゆる毒親物でもある。
『リメンバー・ミー』や『ミラベルと魔法だらけの家』もそうであったように、血縁関係のある保護者が、とある理由のため主人公の可能性や行動に制約を課していきフラストレーションをためていく物語だ。
この手の物語はもうディズニー的に結末の提示が限界まできているネタだと思う。
ディズニーアニメーションにおいて「血縁の親を裏切って終わるエンド」はなかなか生み出せないからだ。
例に漏れず本作も、メイが母親の過去、母親なりの葛藤や悲しみを知ることで彼女と和解し、「自分らしさ」を維持しつつも、絶縁関係とまではいかない結末に落ち着く。
母含めメイの一族も寛容になり、家族の輪はこれまでと違いギスギスことなくハッピーエンドだった。
正直この終わり方が一番大多数が納得できて、気持ちいい結末なのは間違いないし、
これにより本作の価値が下がることもないのだが、
正直メイがやられた仕打ちを思うと一生母親を恨んで絶縁していてもおかしくないかな、という気もする。
たかがイラスト、されどイラスト。
あのシーンに共感性羞恥を感じて苦しくなった人も多いだろう。私も全身が痒くなる気持ちだった。
総じて最高な2022ベストアニメ
もたもたしている間に『バズ・ライトイヤー』も公開されてしまったし、今年はあとWDASの『ストレンジ・ワールド』も控えているけど、正直このレベルで面白いアニメーションが出て来るとは思えないので、暫定今年ベスト作品です『私ときどきレッサーパンダ』
「画面いっぱいのおおきなレッサーパンダが見たい!」という話からスタートした割には、後付けと言われている設定やメタファーがゴリゴリに効いてて、物語の中でいろんな問題を提起しているのが本当によかったな。
そして成長物語として秀逸なのもいい。
今回上で詳しく書いた以外にも、欧米で育った中国移民の子が感じる、中国の保守的な文化に対する違和感のような裏テーマは『クレイジー・リッチ!』『フェアウェル』や、こっちはイスラム文化だけどDisney+MCUの『ミズ・マーベル』っぽくもあり、
もう少なくとも欧米においては「移民は肌の色や文化が違うからいじめられる!」とかそういうレベルじゃなく(そういう部分も描かれない訳ではないけど)彼らのカルチャーが当たり前に存在して、「生きている中で起こる出来事」にフォーカスを置いて描かれて行くんですね。これまで白人主体の映画がそうであったように。
そしてそれを受け入れる土壌を作り上げることこそが多様性であると。
また、一番面白い部分だったので詳しくは書かないけど、広義の怪獣映画だったことも楽しめた要素でした。
最高だったよ。絶対見てくれよな。