「興味はそれほどでもない話題作」を観に行くときに非常にありがたいのが映画館のポイントシステムである。
所用で家を出た日の夕方、人身事故の影響により遅れた電車、帰宅ラッシュ。
ただでさえ電車が苦手な僕は、再び止まるかもしれないぎゅうぎゅう詰めの電車に乗るなんてことは死を意味する。
致命的なまでの低血圧持ちであり、学生時代には授業に遅れまいとまともに飯も食わずに満員電車に乗って、そのまま意識を失って倒れたこともある。
幸い時間がないわけではない。僕は混み合う駅のホームから離脱して映画館へと向かった。
その日は月曜日で名探偵コナンの劇場版新作『紺青の拳』が、先週の金曜日に公開され、たった3日間で18億円のモンスター級の興収をあげていたのが話題になっていた。
化け物である。
昨年も『ゼロの執行人』で大いに盛り上がったコナン映画だったが、その記録を大いに上回る勢いだった。残念なことに昨年はカナダにいて観ることが叶わなかったので、今年こそはと意を決して観にいった。
幸いにも映画館の鑑賞ポイントで無料チケットが手に入ったことも鑑賞の背中を押してくれた。
名探偵コナンと僕。
コナンのアニメが放送スタートしたのは僕が小学校低学年の頃だ。
親にコミックス1巻を買ってもらい、その1冊だけをひたすらに繰り返し読んでいたのが懐かしい。
(映画館までは連れて行ってもらったけど)初めて自分一人だけで映画を観たのは『世紀末の魔術師』が最初だ。
それが最初で最後の劇場で見たコナン映画で、1999年公開・20年前の出来事だというのだから驚きだ。
中学生になったら友人のお姉ちゃんがコミックスを格安で売ってくれるということだったので、それを機にコミックスを集め始めた。
一度は全巻コンプリートしたものの、やはり中学生のお小遣いでは他の費用との兼ね合いが難しくて、受験を機に古本屋に売ってしまった。
コミックスはちょうど赤井秀一が謎の男として登場し始めた頃である。
それからテレビアニメもほとんど観なくなり、映画も地上波放送された『迷宮の十字路』以来観ていないと思う。精神年齢は大人になれぬまま、工藤新一の年齢もとうに過ぎ去り、今や30も目前。
懐かしい思いで映画を観に行った。
『紺青の拳』感想(若干ネタバレあり)
映画は面白かった。
舞台を初の海外・シンガポールに据え、シンガポール観光局全面協力のもと爆破に次ぐ爆破でとんでもないスケールに仕立て上げ、京極真をはじめとするキャラクターたちの「ツッこんだら負け」の人間離れしたアクションで爆破のスケールに負けないキャラクターの魅力をクライマックスに盛り込む。
『名探偵コナン』っぽさはキャラクター描写のみにとどまり、ミステリー部分は若干薄味なものの、それゆえ複雑になりすぎないストーリーを楽しめる軽快さもある。
ただ正直個人的にはもっと推理やミステリーに力をいれて欲しかったなと残念でもあり、ダイイングメッセージがお粗末だったり、ツイストの利かせ方が観てる側にもあからさまだったり、階層的な構造のもどかしさを処理しきらないままクライマックスに突入してしまったり、もっと描写を丁寧にして欲しかった部分もある。本格ミステリを期待していた観客には若干の不満もあるだろう。
浦島太郎だった
20年とは言わないまでも、それに近い期間「名探偵コナン」に触れていなかった僕は、浦島太郎状態だった。
まず毛利小五郎の声が違うし。(このレベルなんです)
映画を観ていても、それはアニメや原作にそういう話があっての展開なのか、たまたま今回の映画で突然出てきた話なのかがよくわからず違和感が拭えなかった部分もある。
怪盗キッドがコナンの正体を知っているのは『世紀末の魔術師』からそうだったので別にいいとして、コナンとキッドが半ば強制的ながらも完全なる「協力関係」にあるというのも不思議な感じであった。
予告編でも観られた、新一(正体は怪盗キッド)とプールで寄り添う蘭の「私たち付き合ってるんだよね」というセリフの、その後のキッドの「えっ!?そうなの!?」という心の声がまんま僕の心境だった。
というか、「新一が実は生きていることを黒の組織に知られたら・・・」みたいなのは、もういいんですか。
大学生時代の時に聞いた「阿笠博士は黒の組織」っていうのはアレはデマだったのか、ただの誰かの予想だったのか・・・。
この程度の知識でよくぞ映画を観に行ったなというレベルではあるのですが、それでも基本的には面白く楽しめる映画だったので、すごい。すごいぞコナン。
昨年大ヒットした『ゼロの執行人』はメインキャラクターに安室透がフィーチャーされているわけですが、当然のことながら僕は「安室透・・・誰・・・?」という感じなので、果たして楽しめたかどうか。
コナンの映画も今年で23作目、それこそMCU並みの本数がリリースされてしまっているけど、今からでも追いかけてみようかな。