『わんわん物語』冒険よりお家が一番。たとえポリシーを曲げても。

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わんわん物語(吹替版)

 

ディズニー映画といえば、夢・魔法・大冒険映画というイメージが強くあるが、意外と「お家が一番」的な映画を作っている時期がある。

 

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ第15作目『わんわん物語』もその一つである。

だがこの物語、中盤とエンディングに、ちょっと辻褄が合わないのだ。

 そんな『わんわん物語』とその裏に込められたものを考えてみる。

 

目次

冒険の素晴らしさを説く、珠玉のラブストーリー

『わんわん物語』は1955年にウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが公開したディズニー映画である。

オリジナルタイトルはその名も『Lady and the Tramp』(米国大統領ドナルド・トランプとはスペルが異なる)

 

お嬢様犬レディと野良犬のトランプの出会いを描いた物語であり、本作のレディとトランプがミートボールスパゲッティを食べている最中、偶然にもキスしてしまうシーンはディズニー史のみならず、「映画史に残るキスシーン50」に選出されるほどの名シーンとなっている。

スタジオ初期の動物映画『バンビ』(1942)のノウハウが生かされ、犬であるレディとトランプの動きは本物と見紛うほどリアルでありながら、表情は人間のように豊かでその組み合わせが実に愛らしい。

そして「お犬様至上主義映画」とでも言わんばかりに、「犬を犬として扱う」ことがことごとく否定され、レディ達をお客様として迎え入れるイタリアン・レストランのシェフたちが飼い主達以上に魅力的な映画である。

 

飼い犬と野良犬という身分の違う二人の恋愛、「塀の中」しか知らないレディが初めて知る外の世界。同スタジオが後に製作する『アラジン』(1992)の アラジンとジャスミンのような関係だ。

 

トランプはデートの終わり際、レディに言う。

 

「でっかい世界が広がっているだろう?垣根もないしね。

きっとすごい冒険が経験できるよ。

あの山の向こうには素敵な何かが広がってるはずだ。

行けばみんな俺達のものになる。何もかも。」

 

トランプはレディに、新しい世界へのワクワクを教えてくれる。

彼自身、まだ見ぬ世界へ飛び出したい気持ちを抱えているのだ。

 

裏切られる結末

そんなトランプは、エンディングでは意外にもあっさりレディの飼い主ディア家の飼い犬になってしまう。

そりゃもちろん紆余曲折はあった。レディにも野良犬になることは断られた。

トランプのいたずらのせいで保健所へ連れて行かれてしまったレディは、保健所の犬たちにトランプの浮気っぷりを知らされ、それでも「レディのような美しい犬に出会えば、やがて身を固める」と言われる。これがフリだったんだろう。

だが、描写としては飼い犬になってしまうのにはあまりにも弱い。

 

「スパゲッティ・キス」が名シーンすぎて忘れられがちだが、

物語の中でメッセージ性が強いのは、前述のトランプが冒険の楽しさを説くシーンだ。

そのメッセージが強い分、いきなり出てきた保健所の犬にエンディングをネタバレされてもイマイチ印象に残らない。

なってったって「何度捕まっても何度でも逃げ出せる」はずのトランプが、最後に一回保健所に捕まったぐらいで自分のポリシーを曲げてしまうとは思えないのだ。

 

人種ステレオタイプ

トランプの心変わりのシーンを描かなかったのは、単純に演出の下手さかもしれない。

 

では、どうしてトランプが「お家犬」になることを受け入れたのか、そしてそれがハッピーエンドだとディズニーのスタッフは考えたのか。

 

ご存知の通り、ディズニー映画の特に初期の作品には人種ステレオタイプに当てはめたどぎつい表現が非常に多い。しかも時代的背景もあり、それが笑えるものとして、自然に無意識に取り入れられている。

 

『わんわん物語』にもその描写は含まれている。

有名なのは犬嫌いなセーラおばさんの飼い猫、シャム猫のサイとアムだ。

 

シャム猫はタイ原産の猫であり、映画のサイとアムは意地悪で吊り目で、ニヤッと笑うヴィランとして描かれた。そして話す英語はアジア訛りだという。

(『おしゃれキャット』(1970)にもシャム猫のキャラクターが登場し、ヴィランでこそないがもっと明確にアジアン・ステレオタイプなシーンがある)

 

レディは血統書付きのアメリカン・コッカー・スパニエルであり、由緒正しい米国系アメリカ人のステレオタイプだろう。

レディのお隣さんであるジョックはスコティッシュ・テリアでスコットランド系、トラスティはブラッドハウンドでベルギー系。どちらも由緒ある伝統的な犬種で米国人ではないが「高貴な欧州系白人」を思わせる。

 

トランプは明確に犬種が設定されておらず雑種とされているが、レディより訛りのあるアメリカ英語を話す。

保健所の犬たちは極端で、ペグはペキニースという犬種で中国原産、ブルックリン訛りとのことである。雑種犬のタフィーはペグと同様にブルックリン訛りだ。ブルドッグはイギリス原産だがイギリスのコックニー訛りを話す。コックニー訛りは『マイ・フェア・レディ』などで汚い発音だと指摘されるような訛りだ。ダックスフントのダクシーはドイツ訛り。哲学好きのボルゾイ犬のボリスはロシア訛りでゴーリキーを引用し明らかにロシア系。チワワのペドロはメキシコ訛りで、姉の名前もロジータ、チキータ、ファニータと明らかにメキシコ系だ(チワワに関する同様のステレオタイプ描写は『オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり』(1988)にもある)

 

これらから、野良犬たちは明らかに移民のステレオタイプであることがわかる。

トランプがイタリア系移民のトニーやジョーと親しいのも、トランプがイタリア系移民である暗喩かもしれない。

であれば、映画に登場する保健所は何かというと、不法移民たちを拘留する留置所に思えてくるのだ。

 

アメリカン・ドリームを抱えながら違法にアメリカへやってきた移民たち、そしてそのコミュニティ。摘発され捕まっていく移民たち、脱獄をはかる者、強制送還される者、あるいは死。

こんなにもほっこりとする犬たちの物語の中に、1950年代の移民事情のリアルが詰まっている。

 

であれば、トランプが「鑑札」という「アメリカ市民権」を得て、トランプの言う「繋がれた一生」に甘んじることはハッピーエンドに他ならないのだ。

それがポリシーに反していようとも、トランプ自身が移民のメタファーとして作られたキャラクターである限り、「鑑札」こそがハッピーエンドなのだ。

 

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意図の見えない怖さ

「ジャングル・ブック」にしろこの「わんわん物語」にしろ、僕は大好きなのだけど

このディズニーが作る人種的ステレオタイプ映画の気持ち悪いところは結局「ディズニーはどうしたいのか」が見えてこないところだ。

 

「わんわん物語」は移民たちの現実を残酷にリアルに描いたが、結果として救われたのはトランプだけで他の野良犬たちは救われていないのだ。

そしてトランプを救うために犠牲となるのは、トラスティで、トランプを受け入れるのはディア夫妻だ。「我々(欧米白色人種)が認めた者だけ許される」という図式が批判的でなくそのまま描かれている。

 

一方サイとアム(=アジア人)はレディ(=アメリカ人)をいじめる立場だ。

もっと言えば、赤ん坊を狙うのは「黒いネズミ」だ。

 

 

子供向けかと思われる犬たちの可愛いラブストーリーに、ここまでのメタファーを織り込ませること自体は実にすごい技術なのに、結果的に救われているのがトランプだけなら

「欧米系白人最高!移民とか有色人種とかずるいし汚いよね、でも頑張ってる奴は認めてあげるよ」

という、ただの白人至上主義が主張になってしまう。

 

かといって、映画を全否定したくなるほど嫌いな映画でもない。むしろ大好きな映画ですらある。

 

 

だから変化する

『わんわん物語』の実写版ドラマシリーズがディズニー+で公開中である。

 

日本にディズニー+が上陸するのは今年末ごろだというので、実際に観た人は日本では少ないだろう。僕自身も観れていない。

 

観てないから偉そうにいうのもなんだが、ディズニーの実写化作品は「売れたから作り直す」以上に、オリジナル作品における「間違ったメッセージの訂正」や「さらなるメッセージの発信」がメインになっていると思っている。

『シンデレラ』『ジャングル・ブック』『ダンボ』『アラジン』などの実写化がそうだった。だからこそ、『わんわん物語』もきっと、という期待がある。

 

それによりアニメーションの罪が消えるわけでもない。

「これは間違いだからもう見せない」と無かったことにすることもできるし、実際にやっている作品もある。でもディズニーは間違いを認識して、無かったことにすることなく、間違いだと発信することができる。

だからこそ僕はディズニーを信じ続けたいと思っている。

映画『ズートピア』のように、正解が見つからなくても葛藤し続ける会社であってほしいと思う。

 

最後に、新型コロナウィルスがなかなか収束しないこういうご時世なので、どうあがいてもお家にいることが推奨される今日この頃、

この『お家が一番』映画で、人種差別と移民問題について考えてみたらどうでしょうか。なんて。

 

 

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