僕が『リロ・アンド・スティッチ』の大ファンであることは、
このブログを日頃からご覧になっている方には
もしかしたら周知の事実かもしれない。
『リロ・アンド・スティッチ』という映画はディズニーのアニメーターであった
クリス・サンダースによってキャラクターと設定が創造され
ディーン・デュボアとともに監督二人体制で作られた映画である。
クリス・サンダースはその後『ボルト』(当時の名前は『アメリカン・ドッグ』)を製作していたが会社との創造上の行き違いにより降板、ディーン・デュボアとともにライバル会社のドリームワークス・アニメーションに移り企画が進行していた『ヒックとドラゴン』に参加し映画を大ヒットに導く。
そんなクリス・サンダースが実写映画の監督をするというのだから観ないわけにはいかない。
というわけで、前置きが長くなったが&映画を見てから結構時間が経ってしまったが、映画『野性の呼び声』(原題:The Call of the Wild)の感想。
目次
飼い犬からそり犬、そして野生へ
『野性の呼び声』の原作は100年以上前に書かれた小説である(らしい)
原作未読のため、どこまで忠実に映画化されているかは知らないが、ジャック・ロンドン作、1903年に発表された、彼の経験に基づく物語である。
(日本のポスターには「待望の映画完全化」と書かれていたが、映画化自体は6度目らしい/完全かどうかは知らん)
カリフォルニア州の飼い犬のバックが誘拐され、そり犬として売られたことからアラスカの大自然の中で過酷な環境に晒されながらも成長していく物語。
カリフォルニアの屋敷で飼われていた時のバックは、でかい図体にパワーが制御できず、また食い意地も張っていて、バックの豊かすぎる表情も相まって、同監督の『リロ・アンド・スティッチ』や、はたまた映画『ベートーベン』を思わせる演出となっている。またこれらのシーンはベックの「失われた野性」を想像するに難くない。
それが、犬泥棒に誘拐されたところから舞台は過酷な大自然へと移っていく。誘拐される船の中でバックは人間の恐ろしさと暴力を学び、過酷な雪山でそり犬たちを観察し、その環境で生き延びる方法を学んでいく。
そして紆余曲折をへて、ハリソン・フォード演じるジョン・ソーントンとともに旅へ出たことで、バックは内なる野性の本能を完全に目覚めさせる事となる。
主人公は「犬」
『野性の呼び声』は一応ハリソン・フォード主演となっては、いる。
なってはいるが、ハリソン・フォード演じるソーントンとバックが行動を共にするのは映画の後半のみだ。
彼らは序盤で出会いを果たし、中盤でもその絆を確認するシーンはあるが、真のバディとなるのは後半。
この時点で「ハリソン・フォード主演だから・・・」と楽しみにしている人は少しがっかりするかもしれない。(しかし御歳77歳とは思えないムキムキの上半身を拝むことはできる)
そして前半でバックの成長に大きく寄与するのはオマール・シー演じるペローと、キャラ・ジー演じるフランソワーズという二人の雪山郵便配達員である。そして彼らもまた、バックとの信頼関係がしっかり築かれたタイミングで退場してしまう。
じゃあ主人公は誰なのかというと、あくまでも「犬」つまり、バックだ。
人々はこの映画で、バックの境遇に同情し、それでも健気に成長し、変化していく彼の人生ならぬ犬生に涙を流すよう作られている。
ソーントンならびに他の登場人物たちはあくまでも彼の生き様を彩るための脇役に徹しているのだ。
バックの生涯は様々な人間の手によって翻弄されていく。主人公はバックではあるが、彼が物語を動かすことはほとんどない。
ほとんどないが、ピンポイントで彼が物語を動かしていくことがある。
それが「野性がバックを目覚めさせる瞬間」である。
内なる彼の本能が、人間の想像を超えて物語を突き動かしていく。
クリス・サンダースのこだわり
『ヒックとトラゴン』というアニメーション映画がある。
クリス・サンダースとディーン・デュボアが、児童小説の原作をCGアニメーションにしたドリームワークス・アニメーションの傑作映画である。
ヴァイキングの少年ヒック(英語版の名前はヒカップ:しゃっくり)と、伝説上の最強のドラゴンであるナイト・フューリーのトゥース(英語版の名前はトゥースレス:歯なし)の異種族間の友情と成長を描いた物語である。
これまで3作映画が作られ、クリス・サンダースは1作目で脚本と監督、2作目以降は製作総指揮に携わっていく。
1作目ではヒックとトゥースの出会いと友情、2作目ではヒックの成長、そして3作目ではヒックとトゥースの別れを描いていく。
そう、昨年公開された最終作『ヒックとドラゴン:聖地への冒険』は、まるで本作『野性の呼び声』を下敷きにしたかのようなストーリーだった。
だが、映画の視点や結末は『聖地への冒険』と『野性の呼び声』で正反対と言ってもいい。
『ヒクドラ2』にしろ『聖地への冒険』にしろ、クリス・サンダースは製作総指揮として関わってはいるものの、監督や脚本には関わってはいない。
1作目が公開されたのは2010年だが、ディーン・デュボアによると、1作目の完成直後にはジェフリー・カッツェンバーグから3部作にするように指示があったらしい。
そこにクリスが関わっていない理由は、やはりディーンとの意見の相違があったのではないか。
もし『ヒクドラ2』の時点で3作目の結末が決まっていたなら、
『野性の呼び声』はクリス・サンダースの描きたかった『聖地への冒険』の結末だったのではないだろうか。
前述の通り『野生の呼び声』の主人公は完全にバックだ。
だが『ヒックとドラゴン』1作目の主人公は胸を張ってヒックとトゥースの2人と言えるが、『ヒクドラ2』および『聖地への冒険』の主人公は主にヒックであり、トゥースの存在感が1に比べて弱くなっている。
以前僕は「『リロ・アンド・スティッチ』の主人公はスティッチではない」と言ったが、僕の主張する「誰に感情移入すべきか」というベースで考えれば正しくとも、「誰が成長したのか」をベースで考えると正しくない主張だ。
映画の中で一番進歩し、愛情や家族を学んだのはスティッチであり、紛れもなくスティッチが主人公である。
そうやって考えてみると『野生の呼び声』の構成はなんとなく腑に落ちる。
個人的な意見だが、クリスはおそらく『ヒックとドラゴン』においても、主人公はトゥースであるべきだと考えているのだろう。
だからこそ、『野生の呼び声』も名優ハリソン・フォードを脇役にしてまでもCGキャラクターのバックの視点にこだわったのである。
まとめ
長々と熱量を込めて書いたがこの『野性の呼び声』
悪い映画ではなかったのだけど、どうも薄味に思える作品だった。
もちろん波乱の展開はあり、カタルシスもあり、飽きずに最後まで見れる物語ではあったのだが、はやり古くから原作小説が存在することもあって、様々な物語の下敷きに使われているのだろう。こちらの予想を超えてくるような展開が見られなかったのが惜しい。結末が違えど『ヒックとドラゴン:聖地への冒険』が先に公開されたというのもあるだろう。
一方でクリス・サンダースのファンとして、彼がディズニーアニメ『ムーラン』の脚本に関わっていたことを知っているとニヤリとできるシーンがあったのは良かった。
またポリコレ意識のキャラクター配置も気が利いていて良かった。100年前にこんなことがあり得るのかは不明だが。
20世紀FOXで製作されたこの映画『野性の呼び声』は、ディズニーが21世紀FOXを買収したことによりディズニー配給となった。奇しくも古巣ディズニーに帰ってくることになったクリス・サンダース。
『ボルト』製作当時揉めたと噂されているジョン・ラセターも今はいないし、
もしアレだったらWDASに戻ってきて、長編作ってくれないかなー、なんて。