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Pixar SparkShorts『ループ』誰もが気持ちよくなれる答えなんて、現実ではなかなか見つからない。

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An image of the Loop film poster
By Source (WP:NFCC#4), Fair use, Link

 

前回に続き、Disney+で公開されているPixar SparkShortsから今回は『ループ』という作品を紹介する。

 

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目次

『Float』と『Loop』

Pixar SparkShortsというシリーズが、ピクサーやディズニーが目指している「Representation Matters」を体現しているシリーズであることは前回述べた通りである。

 

これまで排除ないし無視されて来た人々のための映画を描いていくようなシリーズである。

例えば、『宙を舞う』(原題:Float)は自閉症の息子を持つ監督ボビー・ルビオが、自身の息子にインスパイアされて描いた短編映画だ。

 

主人公の父親は、ある日自分の息子が他の子供と大きく異なる力をもつことに気づいてしまう。なんと、彼はふわりと空を飛んでしまうのだ。

人目をひくことを恐れた主人公(父親)は彼を世間から隠し、「普通の子供として」育てようとする、というストーリーである。

 

父親がどうあがいても、子供は素知らぬ顔でふわふわと飛んで行こうとするさまは、ドタバタ劇としても秀逸で思わず笑ってしまいそうになるが、とあるシーンから一変、それらの楽しかった感情が急旋回して深く胸に突き刺さる。

監督は「自閉症の息子」を「宙に浮いてしまう息子」というファンタジーな設定に置き換えることで視聴者を広い間口で違和感なく引き込み、その後のハッとさせる展開へとうまくつなげている。

 

一方、今回紹介する『ループ』(原題:Loop)はどんなストーリーかというと、実はまたしても自閉症に関する映画である。

主人公は自閉症をもち言語障がいを持つ少女のレネーと、おしゃべりが好きな普通の少年マーカス。二人はある日カヌーでペアになることとなる。全く異なる二人が、ぎこちないながらも通わせる交流が素晴らしい短編映画だ。

 

万人受けはしないかもしれない

 この『ループ』という作品の凄いところは、安易なハッピーエンドを用意しなかったことだ。

ハッピーエンドではある。

でもそこにはこれまで紹介した『心をつむいで』や『殻を破る』や『宙を舞う』のような「解決」や「『なぜ?』への明確な回答」のようなものが用意されていない。

 

この作品が描くものは、ひたすらに現実に沿った、得体の知らない者同士の交流の難しさと、それでもひたむきにお互いを知ろうとする主人公達の誠実さだ。

「こういう場合にはこういうパターンで」「こういう人種/性別/性志向/障がいを持つ人にはこういうやり方で/こんな言葉で」なんていう、無責任で個人を尊重しないような「答え」を省略し、「目の前の人に向き合うこと」の大切さを説く。

 

だからこそ万人受けはしないかもしれない。それでも大切なものがこの作品には詰まっている。

 

『Loop』を作るために

かつてウォルト・ディズニーが『バンビ』を製作するにあたって、スタジオに本物の鹿を連れて来て、鹿の専門家を呼び寄せて飼育することにしたように、製作現場において、本来自分たちの知らない世界をクオリティ高く描写するには、それ相応のリサーチが必要不可欠である。

 

『Loop』を製作するため、ピクサーは実際に自閉症支援団体と連絡を取り、描写のおかしな部分などの修正などの監修作業を行っている。

 

また、自閉症の少女レネーを演じたのは支援団体を通じて知り合った自閉症の女性・マディソン・バンディである。

 

これらにより、ピクサーは「自分たちが考える自閉症像」のフィルターを限りなく排除し、より当事者達に近いキャラクター作りとストーリーの作りを行った。

 

『心をつむいで』や『殻を破る』のように物語の当事者でも、『宙を舞う』のように当事者の家族でもない監督が、ピクサーの目指す「Representation Matters」を成し遂げようとしたからこそだ。

マーカスがレネーに向き合い、彼女のことを知ろうとするように、時には選択を間違いながらも修正し、真に当事者と向きあう努力をしたのだ。

 

 

安易な答えなんて、現実ではなかなか見つからない。それでも。

ディズニー映画は、見た後に誰もが幸せになるため、原作童話にあるような様々な不幸な結末をオミットしてハッピーエンドに改変して来た。そしてもちろんそれを幾度となく批判されてきている。

 

それらは時代の流れとともに、ディズニーの作品制作のスタイルが変わってきたことも相まって徐々に変化してきてはいるが、今尚誰もが胸にストンと落ちるような明確なハッピーエンドをゴールとしているところもあると思う。

 

そんな中でこの『ループ』が描く結末は、かなり歪だ。

『ループ』が描くように、人々が安易に気持ちよくなれる答えなんてものは、現実世界ではなかなか見つからないことの方が多い。

マーカスのように「これが正しいんだ」「こういうことか」という思い込みが、次々に外れることだってある。それはレネーが障がいを持っているからというわけではなく、単純に二人が違う人間だからだ。

「この人はこういう人だ」という決めつけやレッテルは通用しない。それはすべての人間関係に言えることだ。

だからこそ、マーカスのようにレネーに向き合い、知ろうとすること、コミュニケーションしようとすること、優しくあろうとすることの尊さは、この作品で描かれたように美しいのである。

 

『ループ』が放つのは「努力すればみんなわかりあえる」ではない「みんながわかりあえるなんて幻想だ、それでも」というメッセージだ。

 

 

 

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