「解散?バンドみたいに?ビートルズみたいに?」
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』にて、ブルース・バナー博士がこのセリフを発したのが2018年のことだ。
ウォルト・ディズニー・カンパニーは、ウォルト・ディズニーとその兄ロイ・O・ディズニーという二人の兄弟と、ごく少数のスタッフからスタートした会社で、『蒸気船ウィリー』などのミッキー・マウスシリーズや『白雪姫』などの長編アニメーションで成功を収めたほか、世界各国に「ディズニーパーク」と呼ばれるテーマパークを建設し、一大企業としてのし上がっている。
1920年代にスタートしたこれらの事業は100年近く経った今でも止まる勢いを知らず、WDWの開業、世界各国へのディズニーパーク建設やディズニークルーズ、また、テレビ局のABC、スポーツチャンネルのESPN、ピクサー・アニメーション・スタジオ、マーベル・コミックス、ルーカス・フィルム、そして20世紀FOXといった大企業やコンテンツを次々吸収していった。
そして2019年にディズニーの全作品を網羅する勢いでスタートしたストリーミングのサブスクライブ「ディズニー+」がスタートし、それらも順々に世界の国々でローンチされている。
そして2021年、その「ディズニー+」で配信がスタートされたのが今回紹介する『ザ・ビートルズ: Get Back』である。
ザ・ビートルズはイギリス出身の世界的人気のバンドであり、「最も成功したグループ・アーティスト」としてギネスワールドレコードに認定されている。世代を超え、老若男女問わず幅広く聞かれている彼らの映画を、世界的モンスター企業「ディズニー」が取り扱う。
私はディズニーファンとして、そしてビートルズファンとして、この象徴的な出来事に興奮を隠せない。
映画の詳細については後述するが、
本作は1970年に公開された彼らの映画『レット・イット・ビー』の元となった、1969年1月の通称「ゲット・バック・セッション」の模様を、なるべくありのままに再編集して制作された映画である。
監督は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソン。
私はビートルズが好きだが、基本的にビートルズにめちゃくちゃ詳しいわけではないので、本記事はビートルマニア向けではなく、あくまでも普段のブログ読者層であるディズニーファン向けに書くつもりでいるので、そのつもりで読んでほしい。
しかしながら本作はドキュメンタリー、史実であるため、この解説には多くのネタバレを含むことは覚悟してほしい。
ディズニープラスに突如現れたビートルズの映画、そんなにビートルズ詳しくないけどどういう映画?という方は、是非この記事で予習してからご覧になってほしい。
目次
本作に至るまで
ザ・ビートルズは1960年から1970年の間に活動していたイギリスのリバプール出身のロックバンドである。
ボーカル&ベースのポール・マッカートニー、ボーカル&ギターのジョン・レノン、主にリードギターを担当するジョージ・ハリスン、ドラムスのリンゴ・スター。
類い稀な作曲能力と、デビュー当初のアイドル的な人気とプロデュース力、後期のディープで「音楽家」としてより成熟し、限界に挑戦していく姿勢などが高く評価されており、音楽史上においても彼らほど世界中で、幅広い世代で親しまれているバンドはいないと言ってもいい。
彼らのデビュー前1957年、ジョン・レノンがバンド「クオリーメン」を結成し、今のメンバーを迎えビートルズへ、デビューとヒットの歴史から、1969年の本作に至るまでは、冒頭でダイジェストで語られている。
1968年11月に、量・質とともに大作であった『ザ・ビートルズ』(通称:ホワイト・アルバム)を発表するが、本作の制作中のメンバー間の仲はかなり険悪で、8トラックレコーダーの導入という録音技術の革新もあって、バラバラにレコーディングを行ったソロ作の寄せ集めような作品になっていたと言われている。(しかしながら各曲のクオリティはすこぶる高い)
皆に親しまれている名曲「オブラディ・オブラダ」も本作に収録されているが、ポールのこだわりにより録り直しが繰り返されたらしく、メンバーにとってはかなり苦い思い出の曲であるらしい。
その後、ポール・マッカートニーの意向により「原点回帰」の意味を込めて、初期と同じように全曲オーバダビングなしのフルアルバム作成を提案。「ゲット・バック・セッション」がスタートする。
結論から言うと「ゲット・バック・セッション」は(本人たちの当初の目論見としては)失敗に終わり、アルバム「ゲット・バック」は未完成に終わる。
記録映像も、当初は特番として放送される予定だったが、メンバー間のトラブルやリハーサル期間の延長により頓挫、スタッフらが求めていた「ビートルズの海外コンサートでの復活」(当時のビートルズは実に約2年半もの間コンサートを一切行わずレコーディングに専念していた)も実現せず、「ルーフトップ・コンサート」としてアップル(ここでいうアップルはiPhoneのアップルではなく、ビートルズが設立したレーベル)本社ビルの屋上で、無償かつゲリラ的に開催されたのみとなった。そして、この「ルーフトップ・コンサート」が事実上ビートルズとしてのラストライブとなる。
「ゲット・バック・セッション」が不発に終わった後、ビートルズたちは再度集結し、次作「アビィ・ロード」が製作される。ビートルズ最高傑作としても名高い「アビィ・ロード」が発表された翌年、ポール・マッカートニーが脱退する形でビートルズは解散。その翌月、「ゲット・バック・セッション」の映像を映画化した『レット・イット・ビー』の公開とそのサウンドトラックという形で、1年以上前の音源を再編集したラストアルバム「レット・イット・ビー」が発表される。
こう、何度説明してもややこしいビートルズ終末期であるが、
つまりは本作は映画『レット・イット・ビー』で一度公開されている、「ゲット・バック・セッション」を未公開シーンも含めて再編集し約2時間半×3部作という超大作に仕上げた映画なのである。
生きたビートルズはこんなにも重い
2時間半×3部作というボリュームだけでも、本作を敬遠してしまう人々の気持ちは、私には痛いほどわかる。
本作『ザ・ビートルズ: Get Back』はもっというと、ビートルズ初心者に全く優しくない作りだ。
再編集されているとはいえ、映画は赤裸々にビートルズの「怠けた」部分も、「荒れた」部分をも映し出している。ただでさえ長いというのに、映像にメリハリがあるかというと、かなり厳しい。よほどビートルズの楽曲やメンバーのパーソナルな部分に興味がないと、きつい。
本作はただのレコーディング風景、楽曲制作風景というだけでなく、業界人やスタッフたちと彼らとの打ち合わせや「話したけど結局形にならなかったもの」も多く含まれているし、ビートルズの「レット・イット・ビー」に収録された曲だけではなく「アビィ・ロード」に収録された曲、もっと昔の曲、そのほかのアーティストのカバーなど、さまざまな楽曲が演奏されたり、アレンジされたり、ふざけて歌詞を変えて歌われたりしている。断片的なものも多い。それらすべてが、混乱のもとになっていく。
しかも音声しか残っていない部分も、独自の映像や別の映像を切り取って貼り付けたりリピートしたりして映像化している。
パート1は、映画撮影スタジオのトゥイッケナム・スタジオに機材を搬入し撮影されている。映画スタジオということで音の良くない、慣れない環境と、常に撮影されているというストレスから、メンバーは次第に険悪となっていく。
本作の完成形が見えないまま真剣に、しかしイライラを表面に出しながら模索していくポール・マッカートニーと、指示を受け黙々と演奏するジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、スタジオに必ず最後にやってきては、終始ふざけた態度をとりがちなジョン・レノン。
「これが本当にビートルズのリハーサル風景なのか」と思うほどに、我々のビートルズに対するパブリックイメージがボロボロと崩れていくのがわかる。
映像はただただ重苦しく、そして見る人によっては眠気を誘う退屈な、大きな変化のない映像を見続けることとなる。
最終的にポールとジョージが口論となり、ジョージは「ビートルズをやめる、今日だ」と言ってスタジオを去ってしまう。パート1はそこで終了である。
3部作でもっとも長尺のパート2は、ジョージの説得、ジョンとポールのミーティングなど、重苦しい雰囲気は続き、ジョージの脱退が記事になり、それを笑い飛ばすメンバー。ドラッグでもやっているんじゃないかと(少なくとも酒は入ってそうだ)下ネタ連発でハイになっているジョン・レノン。
ジョージが帰ってこない日々が続き、メンバーはトゥイッケナムではなくロンドンにあるアップル本社ビルの地下スタジオでの録音に舵を切る。
メンバーの説得によりジョージもバンドに復帰する。オーバーダビングなしでは音が寂しく、物足りなく感じていたメンバーは旧友であるピアニスト、ビリー・プレストンがたまたま挨拶に来たところに声をかけ、レコーディングに参加するように誘う。
するとメンバーの手応えが圧倒的に変わり、次々に曲が形となっていき、インスピレーションにより楽曲はさらに進化していく。
録音も重ねていくが、なかなか彼らの思惑通りの、最高の録音テイクが録れない。繰り返される「ゲット・バック」「アイヴ・ガッタ・フィーリング」「ドント・レット・ミー・ダウン」などなどの名曲。彼らのレコーディングは永遠に続くのではないかと思わされる。
そして、パート3である。リハーサルは次々進んでいき、名曲「ロング・アンド・
ワインディング・ロード」なども完成形が見え始めていく。スタッフはレコーディングの最終段階において、復活コンサートを、アップル本社ビルの屋上で行いたいと思っているが、メンバーはそれぞれバラバラの思惑を抱いている。コンサートに賛成派のメンバーでさえ、約2年半ぶりの生演奏にためらいがあった。
そんな中で迎えた、コンサート当日。予告なし。
アップル本社ビルの屋上に、ビートルズの4人とビリー・プレストンが現れる。
彼らの事実上のラスト・ライブとなる本作のクライマックス「ルーフトップ・コンサート」の開幕である。
この映画は「ルーフトップ・コンサート」が42分のフル尺で収録されている(そもそもフィルム交換のタイミングで映像に残されていない演奏もあるにはあるらしいが)
カメラは地上1階の路上にも設置され、街中に鳴り響く音楽に戸惑いを見せる道ゆく人たちの様子やインタビューも収録された。中には苦言を呈す人々もおり、苦情が殺到、警察の介入によりコンサートは途中終了となる。
「ルーフトップ・コンサート」で演奏された楽曲は同時にレコーディングもされ、いくつかは「ベストテイク」として実際にアルバムに収録されている。
その後、エンディングでは地下スタジオに移った彼らが、ピアノやアコースティックギターでの演奏が必要な楽曲をスタジオ撮影でレコーディングしていくが、またもやポールのこだわりにより繰り返されるテイクは、彼らのレコーディングは、やっぱり永遠に終わらないのではないかと思わせる・・・。
そんな「終わらないまま終わっていく」映画である。
「こだわり」を追求する男たち
やはりこの映画で感じるのは、メンバーの、特にポール・マッカートニーの持つ強い「こだわり」だ。
先が見えないながらも、自分でも完成形が見えないながらも、「必ずどこかに最善があるはずだ」と模索し続ける姿勢。
そのこだわりは周囲の理解も得られない孤高なものである。結果として、バンドをメンバーを脱退に導いたり、プロジェクトも解消、バンドは解散へと進んでいく。
でも彼らの生み出した楽曲たちは、知っているようにこんなにも尊く素晴らしいのである。
リハーサル風景を見ればわかるように、彼らは決してバカテクなバンドではなく、演奏がとてつもなく上手いわけではない。作曲段階では適正な音がわからず音をはずしていたりもする。
それでも、そもそもの作曲能力の高さは唯一無二だし、繰り返されるリハーサルによりメキメキと完成度が上がっていくのに震える。
ジョージの「こんなに練習したことはない、上手くなってるのを感じるんだ」
という言葉に、やはりビートルズをもってしても、最高の作品というのは一朝一夕にしては生まれないのであると感じさせられる。
「イエスタディ」はポールが夢で作曲して、翌日形にしたという逸話もあるが。
そして、あんなにメンバーが躊躇していた「ルーフトップ・コンサート」での楽曲の完成度と演奏のすばらしさ、明らかな高揚感。
パート1、パート2と、ある種「我慢」を強いられるような展開だったからこそ、最後のコンサートはグッとくるものがあるのだ。
このカタルシスを感じてしまうと、暗く、重苦しかったパート1、パート2ですら、もう一度見返してしまいたくなるのだ。
やっぱり、ビートルズは最高
やっぱり、ビートルズは最高。それに尽きる。
リハーサルの合間に演奏される曲は、前述の通り「レット・イット・ビー」に含まれない楽曲も多い。
ポール・マッカートニーのソロ曲もそうだし、まだ形になる前のジョージ・ハリスンのソロ曲「オール・シングス・マスト・パス」(マジで名曲です)
のちに「アビィ・ロード」に収録される「マックスウェルズ・シルバーハンマー」「オー!ダーリン」「アイ・ウォン・チュー」「サムシング」「オクトパスガーデン」「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」などなど・・・。
逆にここで完成してレコーディングされてしまっていたらアルバム「レット・イット・ビー」も「アビィ・ロード」も今の形ではなかったわけで、本当に運命とはどうなるかわからないものだな、と思ってしまう。
それこそ「もしビートルズがいなかったら?」を映画化した『イエスタデイ』じゃないけど、『ザ・ビートルズ: Get Back』で映し出されているどれか1ピースでも欠けていれば、今の世の中はない。
それでも、あの素晴らしい「ルーフトップ・コンサート」の演奏を見ると
「ビートルズが解散しなかった現在」を見てみたくなってしまうものだ。
繰り返す。
やっぱりビートルズは、最高。