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『魔法にかけられて2』音楽は最高…でも、私たちの期待も魔法もとけてなくなる凡作。

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Disenchanted (Original Soundtrack)

 

『魔法にかけられて2』(原題:Disnenchanted)を観ました。

 

(モーガン以外の)オリジナルキャストの再集結、メンケン&シュワルツの再来、「ちゃんと歌ってくれる」イディナ・メンゼルに、さらに追加されたミュージカルキャスト・・・と、ミュージカル面で幾分もパワーアップした本作、

Disney+オリジナルということでもちろんご家庭で見たわけだが、

歌がいいのとアクションが結構派手だったので映画館で見たかったな、という感じだった。

じゃあ肝心のドラマはどうだったのかというと・・・みたいな。

 

詳しく、書きます。

 

※当記事は現在Disney+で配信中の映画『魔法にかけられて2』のネタバレを含みます。

 

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魔法にかけられて (字幕版)

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  • エイミー・アダムス
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目次

 

『魔法にかけられて』からの変化

地味に監督がケヴィン・リマではなくなっていてショック・・・だったが、本作のアダム・シャンクマン監督は私のお気に入りの作品『ヘアスプレー』の監督であった。

振付師でもある上に『glee』でも何シーズンか監督を務めており、ミュージカル作品に強い監督であるということで、本作が前作を超える壮大なミュージカル作品を目指したのだろうということは納得がいく。

キャストにも『glee』のジェイマ・メイズも出演してるし。

 

前述の通り、アラン・メンケン&スティーブン・シュワルツのコンビが再集結してオリジナルソングを書き下ろし、主演エイミー・アダムス、前回はちょっとしか歌わなかったパトリック・デンプシー、今やソニックの相棒ジェームズ・マーズデン、エルサ時々エルファバのイディナ・メンゼルも今回は歌唱シーンあり(メイン曲も!)、実は『ベイマックス』のキャスおばさんであり『あの夏のルカ』のルカの母でもある歌もめちゃくちゃうまいマーヤ・ルドルフもゴリゴリにかっこいいヴィランソングを披露する。

 

ミュージカルとしては最強っぽい布陣かもしれない。

アダム・シャンクマンもどちらかといえばコメディ寄りの監督で、『魔法にかけられて』的なちょっとズレた世界観を撮るには結構向いている監督だと思う。

 

映画としては前作の『魔法にかけられて』の2007年から実に15年。

キャストも実際に歳をとってしまっているし、映画としても15年後を舞台としている。当時33歳(撮影時はもうちょっと若いはずだけど)だったジゼルを演じるエイミーアダムスももう50歳手前、パトリック・デンプシーは白髪が大いに増えたし、なぜかジェームズ・マーズデンだけは変わらない不思議。

 

『魔法にかけられて2』は、果たしてその空白を埋めるほどの作品になっているか、と聞かれれば、正直Noなのであるが、その空白のモヤモヤはひとまずおいておくとして、新たな『魔法にかけられて』の続編のコンセプトとしてはまっすぐ突き進んだような、爽快で軽快な作品になっていると思う。

ヘアスプレー (字幕版)

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  • ジョン・トラヴォルタ
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もうプリンセスじゃない

『魔法にかけられて』が大好きなディズニーファンの魔法を一瞬で解いてしまう設定の変更がこの作品にはある。

「ジゼルがもうプリンセスじゃない」という部分だ。

 

まぁ、普通に考えれば当たり前で、ジゼルは前作でアンダレーシアの王位継承を退け、現代のニューヨークで生きる決断をした。エドワード王子とはナンシーが入れ違うように結婚し、彼女が女王となる。

『魔法にかけられて』の続編が作られるにあたり、想定されたひとつのコンセプトとして「年齢なんて関係ない!誰でもプリンセス!」という、齢40台後半のディズニープリンセス・ジゼルが誕生するのかな、と勝手に想像していた(そしてエイミー・アダムスならばそれを見事に演じてみせるのではないかな、と思っていた)が、ちょっと甘かったというか、もしかしたらディズニー的思考に侵され過ぎて甘かったのかもしれない。

 

なんといっても本作の英語タイトルは"Disenchanted"(魔法がとけて)である。

かつての『魔法にかけられて』が、ジゼルの振る舞いや魅力により周囲の人々が魔法にかけられるように変化するさまを楽しんで見れたのに対し、本作のコンセプトは「魔法を解いていくこと」にある。

そのために、前作では「おとぎ話的な理想のラブストーリー」に現代の要素を持ち込んだような作りだったのが、今作はむしろ「現代的親子関係の物語におとぎ話を持ち込む」形を試している。

 

ただ私が気になった問題は、この「魔法を解く」ことがメタ的な意味として、キャラクターの心情的な意味としてはあまり機能していないな、と感じたところだ。

ジゼルが誤ってかけてしまった「魔法を解く」という行為がストーリー上の目的としてはきちんとあるものの、彼女たち家族の直接的な問題解決にはなっていないような気がする。

 

理想的な母になれない女は、街を改変する

我ながらひどい見出しだ。

 

本作『魔法にかけられて2』はジゼルの血の繋がっていない娘モーガンとの微妙な距離感が常に存在する。ただでさえモーガンはティーンネイジャーで、ジゼルはそんなこととは無縁だったおとぎの国の世界の出身である。

ニューヨークでの15年を経てもジゼルはいまだに空気の読めない世間知らずな状態で、子育てに奮闘していた。

ある時ジゼルが意図せずモーガンに学校で恥をかかせてしまい、それが原因で「本当の母じゃない、継母よ」と言われてしまう。

ショックを受けたジゼルはアンダレーシアのエドワードとナンシーから贈られた願いの杖を利用し、彼女の移り住んだモンローヴィルという街を「おとぎの国」に書き換えてしまう。

 

「母」と「魔法」と「世界改変」っていったら、つい最近マーベル・シネマティック・ユニバースで『ワンダヴィジョン』がまさにそういう世界観だった。

理想的な母になれない女性が、自らの理想を実現するために街そのものを改変してしまう、だがしかしその世界も「真の理想」とはちょっと異なっている、というところも含めて。

そしてこれは、「主人公自身がヴィラン化する」という設定までもが同じだ。もちろん、コメディとミステリー/シリアス路線のヒーロードラマとで雰囲気はガラッと違うが、『ワンダヴィジョン』がむしろコメディ要素を含んだことにより、ともにホームドラマ的ドタバタ感が近く感じられもする。

 

これまでのディズニー映画の伝統を覆す?

前作の『魔法にかけられて』の素晴らしいところは、「これぞディズニー!」なディズニー映画的あるある、伝統、セオリーを批判的に抽出してパロディしつつ、新しい価値観を提示、そのうえで映画を見終えたらいつのまにか批判的だったはずのその「伝統」を気づかずに大肯定してもいる、というミラクルハイパーウルトラCを成し遂げているという点である。

 

それを本作はジゼルの役割を「プリンセス」から「継母」へと変化させることによって悪しきディズニーの伝統である「意地悪な継母」を再定義する。

これは血縁主義に頼りすぎな(別にそんなこともないのだけど)ディズニー作品に対するアンチテーゼでもあり、「魔法によって」「意地悪な継母になってしまうジゼルの」「魔法を解く」という象徴的な行為によって、血縁主義からの脱却を宣言しているようにも見て取れる。

 

この本作のテーマが功を奏したところといえば、二重人格にも見える、ヴィランになりつつあるジゼルをエイミー・アダムスが見事魅力的に演じきったことに尽きる。

冒頭にも書いた、マーヤ・ルドルフとのデュエットソングも最高すぎた。

Poor and Unfortunate Soulsか、Mother Knows Bestのパロディかとおもったらとんでもないノリノリで最強なヴィランソングが生まれていた。

 

「テーマ」のためのストーリーが、うまく機能していない

まぁもちろん不満点もあって、

前述の通りその「魔法を解く」行為が、キャラクターの心情的メタ描写としてうまく機能していないところが気になるのだ。

 

ジゼルは冒頭の立ち居振る舞いを見ても、いまだに夢見るアンダレーシアの女性という感じで、そりゃ現代ニューヨークでの子育て暮らしは合わないよな、という感じはするにしても、現代ニューヨークのどういう部分とウマが合わないのか、それが家族全員が微妙に納得していない「郊外への引っ越し」に至るまでの決定打を持っているのかがちょっとわからない。

モーガンとの微妙な関係も、二人の仲が決定的に割かれるようなドラマ性が見えてこないし、ジゼルならもっと派手に台無しにできるポテンシャルがあるように思う。コメディだろ?

 

ジゼルはモーガンのためを思って、実の娘のつもりで接している中で「魔法の効力により意地悪な継母になる」というのも、現実改変の世界ではモーガンがおとぎ話的ヒロインになるために現実世界での関係性を一旦リセットされているというのも、この「魔法を解く行為」が直接的に現実世界での関係性の修復につながるか、というとやはりそううまくはいかないだろうと御都合主義を感じてしまう。

セリフとして、そして杖の承認によって「あなたは私の本当の娘よ」と言ったところで、これまでのキャラクター描写部分でそこが追いついていないので、カタルシスには程遠く、予想できた結末をただ眺めるだけ、みたいになっていた。

 

勇者ロバートのくだりは必要だったのか。

「毎日の電車通勤」に絶望を感じている彼を、現実世界に戻った後も「それでも現実世界に幸せを見出す」のであれば、また「弁護士事務所を開業」でハッピーエンドにするのであれば、その種まきを「勇者ロバート」でしとかなアカンやろ。

 

痛恨のアニメシーン、雑なCG

・・・く、クオリティが激落ちしているんだが・・・!!

 

そりゃ前作もウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオじゃなくて外注だったけどさ!それと比べてもひどい。

これは本当にひどいよ、っていうかカクカクしすぎじゃないか?

 

あと実写映画のCG界隈は低賃金とか無茶な納期や要求とかでもめているところなので(特にマーベル)あんまり強く言いたくないけど、CGが結構、浮いてるというか、2022年という感じがしなかったですね・・・。

 

総じて、残念な結果

改めて、アイミー・アダムスという女優の本当の素晴らしさをディズニー映画で体験できたのは良かった。なのにディズニー映画的魅力をもっと発揮できる作品じゃなくて残念。

そしてイディナ・メンゼル、いっぱい歌わせてもらえてよかったね。杖の歌のところで「もしかしてイディナ、これだけ?」って思わせるのはうまいと思う。そんなわけないだろと思いながら、前作では1曲も歌がなかったのでディズニーならやりかねん・・・と思っていた。Let It Goパロディやるかと思ったら歌詞がLet it Glowなの笑った。

 

あと、ディズニーパロディのイースターエッグは、私としてはそれなりに楽しみました。

けど今回そんなに「これは!」と思うようなやつはなかったかな。

魔法の鏡役の男性がエドガーって名前なのと、ジゼルの娘がソフィアだったのは良かった。

 

それでも結論、私としては非常に残念な作品となってしまった。

個々の素材はよくとも肝心の脚本がダメな部類の作品だと思う。テーマは強めで、メッセージは伝わるものの、メッセージを大声で怒鳴るだけの、本質的な土台組みを失敗している映画といった感じだろうか。

う〜ん、本当に何にも考えずに「ミュージカル楽しいなぁ」で見ていけば楽しいのかもしれないけど、それにしては前作はあまりにも色々な要素を持ちすぎていて、傑作すぎたので・・・。

 

ああ、ケヴィン・リマが作ってたらどうなってただろうな・・・と思いを馳せつつ、とりあえず歌は良かったので繰り返しサントラは聴こうと思います。

 

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