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『チップとデールの大作戦 レスキュー・レンジャーズ』あまりにも誠実さに欠ける「挑戦」

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Two chipmunks walk away from an explosion. One is 2D cell-animated wearing a hat and jacket, the other is CGI animated wearing a red shirt.
By http://www.impawards.com/2022/chip_n_dale_rescue_rangers_ver3.html, Fair use, Link

 

賛否両論あるかと思いますし、

私も面白いと思う部分はあったのですが

正直言って嫌いな部類です、ありがとうございました。

 

これは私の持論なのですが、

「ディズニーは子供向けの作品だけを作っているのではない」

としたうえで、

「ディズニーが子供を意識せずに作品を作ると誰向けでもなくなる」

という傾向にあると思っていて、

まさにこの作品ってそれに近いというか

少なくともかなり狭い部類の人たちの間でしか喜ばれていない作品なんじゃないだろうかと思いました。

 

TVシリーズ版『チップとデールの大作戦』に対するリスペクトが強く込められているかというと、それもそこまで感じられず、

狂った『ロジャー・ラビット』ファンによる「ロジャー・ラビットの続編作りたい!」という気持ちが暴走したかのような作品でした。

 

まぁ、ちょっと思ったことを書きますね。

 

目次

 

「リスクを取らないことが最大のリスク」を免罪符に

本作のズルさは、序盤に主人公のひとりチップのいうセリフの中に込められている。

「リスクを取らないことが、最大のリスクだ」

というセリフである。

 

物語の序盤、学生時代のデールの転校初日、自己紹介を大失敗し友達ができず一人でランチしているところに、チップが声をかける。上記のセリフはその時にチップが語った言葉だ。

本作もかつての人気アニメ『チップとデールの大作戦』を利用して、「ぶっ飛んだ設定でぶっ飛んだことをやる」という、「挑戦」に満ちた、ある意味「リスクを取った」作品である。

劇中最初にこの言葉が発せられた際はなんとも思わなかったが、劇中この言葉が繰り返されたことで、私はこれを本作の一つのテーマとして認識した。

 

そしておそらく、製作者はこの言葉を免罪符として、好き放題やっている、と。

 

『大作戦』と短編の立ち位置に対する違和感

本作はディズニーチャンネルでかつて放送されていたTVシリーズ『チップとデールの大作戦』(以下『大作戦』)の「続編」という立ち位置である。

『大作戦』は主人公のチップとデール、力もちのネズミ、モンタリー・ジャック、発明家のネズミ、ガジェット(東京ディズニーランドにある「ガジェットのゴーコースター」は彼女がモチーフ)、ハエのジッパーの五匹組が「レスキュー・レンジャーズ」というチームを結成し、あらゆる窮地を乗り越える冒険アニメーションだ。

 

繰り返すが、本作はその『大作戦』の続編として喧伝されながら、

本作における『大作戦』はかつて放送されていたTV番組であり、チップとデールらキャラクターはそれを演じていたTV俳優であった、というメタ的視点を用いた作品となっている。

本作では主にデールが「ディズニーによるリブートのブームに乗っかり、『大作戦』をリブートして一躍人気者になろう!」という発想が物語のスタートになっている。

 

本作に非常に近しい作品性を持つ作品が1988年ロバート・ゼメキス監督による『ロジャー・ラビット』である。

本作も「アニメと人間世界の共存」「スターシステム」「フィルムノワール」と複数の共通点が存在し、本作冒頭にもゲスト的にロジャー・ラビットが登場する。

『大作戦』が放映スタートしたのも1989年であり、その当時を振り返って人気キャラクターが共演するというのも実にノスタルジックでファンとしても楽しめる要素の一つだ。

 

だがロジャー・ラビットとチップとデールの大きな違いは、ロジャー・ラビットが映画『ロジャー・ラビット』のオリジナルキャラクターであり、映画の公開から様々な発展を遂げていったキャラクターであるのに対して、チップとデールは『大作戦』公開時点で既に様々な作品に登場して人気を不動のものにしていたという点であろう。

『大作戦』終了後も「チップとデール」というキャラクターの人気は30余年衰えてはいない。

 

そんな世界に名だたる大企業「ディズニー」のどメインのキャラクターとも言える「チップとデール」が「『大作戦』終わって人々に忘れられちゃったね」という『ザ・マペッツ』や『Mr.インクレディブル』みたいな設定で物語をスタートさせられても、甚だ説得力に欠けており、『大作戦』の名を冠して、このストーリーとメタ視点やスターシステムを活用するべき確固たる理由が全くもって見出せないのだ。

その実、今回誘拐されるのは仲間のモンタリー・ジャックで、ガジェットとジッパーは終盤にやっと活躍するが基本的には引退状態。主に物語を引っ張るのはチップとデールの2人のみで「レスキュー・レンジャーズ」感は非常に薄い。

真っ当な『大作戦』の映画版リブートで、めちゃくちゃかっこよくて面白い作品だって選択肢の一つとしてあったはずなのだから。だって『ダックテイルズ』は普通にアニメでリブートして成功しているじゃん。

『大作戦』のファンならば、本当に作りたいのはこれじゃないでしょ?

本当は『ロジャー・ラビット』の続編を作りたかったのに、ゼメキスとスピルバーグがうんと言わなかったんでしょ?

 

また『大作戦』の続編として『大作戦』の世界観で物語を展開するのではなく、

「『大作戦』はかつてのTV番組だ」というある種切り離された現実的メタ的世界観で、物語は展開される。

それでもこの作品の現実世界は「アニメーションと人間が共存する」というファンタジーな現実世界であり、チップとデールは『大作戦』の俳優でありながら

「ディズニーの製作した数多くのチップとデール短編やディズニーフレンズのプロダクトとは一切無関係」

というかなりハイコンテクストな設定なのである。しかも、その世界にはドナルド・ダックやディズニー・パークは存在しているらしいのに。

「そんなの、アニメの設定なんだから深く考えるなよ」と言ってしまえばそれまでだが、どう考えても「現代のお子様向け」ではなく、「かつてお子様だったギークな視聴者」をターゲットにして作られているような作品なのに、そこの設定の甘さが非常に気になるのである。

豪華カメオに紛れるハリウッド茶化し

本作の「メタ視点」かつ「スターシステム」を活用した、アニメと人間が共存する『ロジャーラビット』的世界観では、現実世界に起きたハリウッドの多くの問題をパロディして描いている。

 

そもそもディズニーの自己批判的な側面から「続編(もしくはリブート)多いよね」というネタだったり(それを『大作戦』の続編という立ち位置で言うか?という)

「アグリー・ソニック」「映画版CATS」「2000年代の生気のない表情のCGキャラクター」「ポール・ラッド(?)」など様々なブラックジョーク・ネタに言及している。

 

これらは広く映画を見ている事情通は楽しめるものではあるし、正直私自身笑ってしまった部分も大いにある。カルチャー面で話題や知名度に差もあるだろうし、日米で反応の違いもあると思う。

最終的にアグリー・ソニックを「いい奴」として描いてはいるけど、不気味な歯のアップであったり、そもそも「ugly」をネタにしているところで、そんなに気持ちのいい感じはしなかったかな。

まぁこれで「アグリー・ソニックが救われた!」と喜んでいるファンたちも一部いるけど、一体どう言う立場の人なんだろう。

「ボツになったキモいキャラクター」として笑いに昇華されて、他者作品の売り上げに貢献することが救われたということ?

(そして当初「こんなのソニックじゃない!」「ファンの気持ちを考えていない」と言っていた層と本当に被りはないのだろうか?)

身内がヴィランで本当にいいのか?

本作のもう一つのテーマに「偽造版(ブート)への批判」が込められている。

 

と、思う。正直よくわからない。

 

TV・映画・エンタメ業界を舞台にストーリーを繰り広げるにあたり、その「社会の裏側」として低予算で製作された人気作品の「偽造版」を問題の一つとして挙げ、

かつてのレスキュー・レンジャーズの一員のモンタリー・ジャックが闇の組織に借金をしていたことから偽造版制作のために誘拐されてしまうというのが本作の本筋である。

 

うん、別にいいし、私にはよくわからないけど映画産業において「偽造版」の存在はきっと大きな不利益をもたらしているんだろう。モンスター会社のディズニーですらも困っているくらいに。少なくとも私だって気持ち悪いとは思う。

(ちなみに「偽造版」はあんまりお目にかかったことはないが「海賊版」や「違法アップロード」は本当に問題だと思う) 

だから、この問題を映画産業をパロディした映画においてプロットに組み込むのはいい。

だが、本作におけるヴィランは、いわゆる「ディズニーの身内」だったことが、本当に残念でならない。というか、よくこの脚本通ったね。

 

ディズニーが「夢と魔法」の一枚岩でないことくらい、ファンである私が一番よく知っている。

知っているからこそ仮にも「夢と魔法」を標榜して、そしてディズニーの看板で、ディズニーフレンズの「チップとデール」の作品で取り扱うネタくらいは、丁寧に扱ってほしい者である。

本作ではとあるディズニーの人気キャラクターのアイデンティティとも呼べる要素をブラックジョークに落とし込み、ヴィランにまで仕立て上げた、その上で「映画産業(ディズニー)に不利益をもたらす悪事を働いているもの」として役割を与えてしまう。

いくらなんでも誠実さに欠ける。

 

チップとデールのブロマンス、それを邪魔する盛大なノイズ

私のtwitter周辺限定で観測しただけだが、意外と本作を褒める声は多い。

多いし、この記事の内容とは正反対になってしまうが

褒めている部分は上述の「過激なブラックジョーク」や「豪華カメオ」に依拠するところが多い。

やはり「お祭り映画」として多くの人は楽しんだのであろう。

 

一方で、映画の本質は「チップとデールの友情物語」を描いている。そこに言及された感想は本当にごく一部しかない。

本作は『大作戦』の終盤、当初はより主役として独り立ちしたいデールと、二人で一緒に『大作戦』を続けたいチップの心のすれ違い、和解、彼らの心のつながりを壮大なフィルムノワールを通して描いていく。

「チップとデール映画」を描く意味を考えると、本当に重要なのはそこだろう。『レスキュー・レンジャーズ』を冠しながらも、モンタリー・ジャックやガジェット、ジッパーをメインキャラとして排除したのも、そこに重要な要素があったからなのであれば理解できる。

本作はきちんと彼らのブロマンスに決着をつける形でプロットに組み込むことはしているが、描き方が劇中チップとデールが披露するラップのごとく絶望的に下手といってもいい。その地獄のようなラップがきっかけで彼らが友情を再確認すると言うのも実に皮肉である。

 

それくらい、その他のおまけ要素がおまけ要素としておらずインパクトが強く、主題がぼやけた作品となってしまっていたように思う。

 

結局『レスキュー・レンジャーズ』じゃない

正直これに尽きると思う。

いわば『チップとデールの引退後の物語』であり、『チップとデールの大作戦』と地続きの物語であるどころか「あれは作り物だよ」とメタ的に世界観を切り離され、そのうえでなんか悪質なブラックジョークをふんだんに詰め込まれた映画になっていた。

「『大作戦』へのリスペクトシーン、あったじゃん!」って言う人もいるかもしれないけど、これだからオタクはなめられるんですよ?

リスペクトしてたら普通に真っ当な『レスキュー・レンジャーズ』の続編作るでしょうが。

 

これを純粋に楽しめる心の広さがないことが少し悔しいとも思うが、

「ディズニー作品」として楽しめる、私の心の許容範囲を大幅に逸脱しているのは間違いない。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』ですら大絶賛した私がだよ。

何が違うって言われたら、やっぱり物語とキャラクターに必然性を感じなかった。

まぁ、あくまで私の感想なので別に賛同してくれなくてもいいけどさ。

 

中盤でも言ったけど、

『大作戦』の正当な続編で、めちゃくちゃ面白い、超かっこいい作品を作ってほしかった。

 

そうでないのなら「リスクをとることが最大のリスク」と言うのであれば、

大人気キャラクターの「チップとデール」や「レスキュー・レンジャーズ」の名前だけ借りた劣化版『ロジャー・ラビット』を作るのではなくて、きちんとオリジナルキャラクターで新作で勝負して欲しかった。

「最近のディズニーは続編/リブート続き」っていうのこそ、完全新作で勝負することを恐れたリスク回避でしかないでしょうよ。

 

 

全然関係ないけど、中盤チップが「エリーが怪しい」と思ってカマをかけた時に、「絶対味方だろうな」と確信できたのは若干ポリコレの弊害を感じました。

ある意味で私の偏見で反省しています。

 

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