ディズニー史上最もありえない大問題作、実写版『ダンボ』がぶち壊してしまったものとは。

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2019年3月29日、ティム・バートン監督による実写版『ダンボ』が公開された。

「ティム・バートン監督」そして「ダンボ」のリメイク、というダブルビッグネームのネームバリューを一身に背負った本作は珍しく日米同時公開。

日本では巨匠、大ヒット作連発の売れっ子監督というようなイメージもあるが、個人的には正直内容に当たり外れの大きな監督だと僕は思う。

「ティム・バートンといえば!」という奇妙さ、時にはグロさや残酷さも溢れる独特なビジュアル。

そして「ティム・バートンといえば・・・」という、面白いのかどうかよくわからないシュールレアリスムと、散らかったストーリー。

もちろん『シザー・ハンズ』や『コープス・ブライド』のような名作もあるが、これらの要素が、永遠に愛される珠玉の名作『ダンボ』と果たして相入れるのだろうか。

個人的な本作への不安は以前の記事にも書いた通りである。

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そんな不安と期待、不安が大分優ったような空気感の中で鑑賞した本作。

 

それが、なんというか、これはどう観ても大問題作であったように僕は思う。

 

※この記事は現在公開中の映画・実写版『ダンボ』のネタバレを含みます。

 

 

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目次

 

改変されたストーリー

実写版『ダンボ』はウォルト・ディズニーが手がけた長編アニメーション4作目の『ダンボ』とは内容が大きく異なる。

大きく異なるというか、アニメ版をダイジェストにして前半で畳み掛けるように展開し、後半にオリジナルストーリーを盛り込むような展開に持ち込んだ。内容的にはオリジナルのアニメ版の倍ほどの重量感のある感覚である。

 

アニメ版の『ダンボ』でダンボをいじめていたのは一部の人間とゾウたち。そしてダンボに優しい手を差し伸べるのはネズミのティモシー・Q・マウスとカラスたちだ。

本作は実写版ということで「ダンボが空を飛ぶ」以外のアニメ的な描写はほぼカットされ、よりリアル路線に、アニメ版でゾウやネズミたちが演じていた役柄は全て人間が成り代わっている。人間だけがダンボをいじめ、ティモシーの代わりに人間の子供たちがダンボに手を差し伸べる。

「実写化」という案が出た時点で、これはある程度は仕方がない話だ。

実写版『シンデレラ』でもジャックやガスのようなネズミたちは登場こそしたが、その役割はほとんど奪われてしまった。

 

また前半でアニメ版のダイジェスト風にしたのも、アニメ版が「ダンボが空を飛ぶ」という驚きとカタルシスを主軸に組まれていた物語であることを考えると、この作品が世界中に知られてしまっている現在では、そのまま映画化しても仕方がないとも言える。

世界中がネタバレを知っている状態で観る、「象が空を飛ぶ映画」に驚きはないだろう。

ならばアニメ版『ダンボ』が持つもう一つのテーマである「親子愛」を軸に、そこをより深く掘り下げて映画化するというのはごく自然な流れのように思う。

 

そこへエンターテイメント性のある新たなるヴィランと、キャラクターたちの魅力、そして愛を盛り込んだのがこの実写版『ダンボ』である。

 

 

平凡ではあるが良作

正直、よくできていたとは思う。

ダイジェストされてしまった前半のアニメ版『ダンボ』に多少がっかり感もあれど、物語を破綻させずにきちんとまとめあげ、アニメ版に通ずる親子愛・家族の絆を描いた。

ジャンボとダンボの「母と子」の普遍的な物語と、コリン・ファレル演じる主人公ホルトと子供達の「父と子」の物語をどちらも描いた上に、ホルトは戦争で片腕を失くし、象が子供を抱きかかえるように片方の腕だけで子供たちを抱くというのも、意図的な演出だろう。

 

また本作にて新たに描かれた、ダンボとジャンボを故郷のアジアのジャングルへ返すというシーンは個人的にはかなりグッときた。

アニメ版『ダンボ』の難しいところで、どれほど映画がすばらしく、そして彼が愛らしく、魅力的であろうとも、人間本位の「サーカスの見世物」としての彼を観続けるのは、かなり心にわだかまりが残るのだ。

ダンボの代弁者であるティモシーが登場しない実写版ならばなおさらである。

いろんな動物の肉を食べたり、皮であらゆる服を作ったり、ペットとして愛玩したり、様々な矛盾を抱えながら生きている僕らにとって、実写版『ダンボ』のこのシーンは、綺麗事と言われるかもしれないが、ある人にとっては救いでもある。

 

 

また出演するサーカスのキャラクターがマイケル・キートン演じる悪役のヴァンデヴァーにより「除け者」とされることで、彼らがそれぞれの特技を活かし逆転劇を見せるのもアニメ版『ダンボ』に通じるメッセージを持っている。

 

 

一方で、やはりディズニー映画であるというコンプライアンスの観点からか、彼らサーカスの面々は「フリーク」ではなく「特技を持った立場の弱い人々」という感じの、割と中途半端なキラクター作りでもあり、「フリーク」というマイノリティを描きつつも力強いメッセージが放てなかった『グレイテスト・ショーマン』の逆バージョンのようでもある。

重要なのはその両方だろう。

と、思いながらも、それを求めてしまうのは我々が感動ポルノを愛してやまないからなのかもしれない。悔しい。

 

また、期待されていた『ピンクの象』のシークエンスは、ただのサーカスの風船芸に落ち着き、劇中のキャラクターと同じように「で、それがどうした?」と言いたくなる拍子抜け具合であった。

ディズニーに牙を抜かれてしまったかのごとく、前述の通りティム・バートンらしいエグい演出はすっかりなりを潜めてしまった。

 

良作ではある。ただメイン部分のストーリー展開などは、かなりよくある話だ。ある程度の腕があれば誰でも作れそうな映画に落ち着いてしまい、作家性が活かされてない不満こそあれ、そもそも彼の作家性に若干の抵抗も持っていた僕には「ティム・バートンっぽくなくて良かった」という身も蓋もない感想だけが残る。

 

 

だが、この実写版『ダンボ』の本当の問題点はそこではない。

 

 

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ディズニーではありえないはずの「奇妙なヴィラン」

僕がこの実写版『ダンボ』を大問題作だと断定するのは、その奇妙なヴィランの存在についてだ。

マイケル・キートン演じるヴァンデヴァーなる人物は、中盤「空飛ぶダンボ」のニュースを聞きつけ、業務提携し、メディチ・ブラザーズ・サーカスの一団を自らが経営する「ドリームランド」という遊園地へと迎え入れる。

 

彼は幾度も「不可能を可能にする」と呟く野心家である。金に匂いや儲け話に目がなく、口がうまく、化けの皮が剥がれれば平気でサーカスの一団をクビにし、残忍なことも厭わない彼は誰がどう見ても悪者であるが、どうもひっかかってしまう。

 

僕は思う「彼のモデルはウォルト・ディズニーにちがいない」と。

 

初めて「ドリームランド」を訪れた時、ホルトの娘ミリーは「ワンダーズ・オブ・サイエンス」というアトラクションを見つけて興奮する。

ミリーは科学を好み、発明好きな少女であるが、父のホルトは彼女の才能を育てようとはせず、物語冒頭から苦言を呈してばかりいる。

その時にヴァンデヴァーはミリーにこう伝える「誰にも夢の邪魔をさせるな」と。

どんな手を使っても野望を実現する男の台詞として間違っているとも思えないが、その言葉の表面的な正しい響きはまさに「ディズニー的」であり、この台詞をヴィランが言うという事実に不気味さすら覚えるほどだった。

少女はこのヴィランの言葉に励まされ、バツの悪そうな顔をする父親は最終的にはヴィランの言葉通りに、彼女の夢の背中を押す。

 

また、ここで触れた「ワンダーズ・オブ・サイエンス」というアトラクションは現在フロリダのウォルト・ディズニー・ワールドで体験できる*1「カルーセル・オブ・プログレス」というアトラクションに酷似している。

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かなりアップデートは施されているが、元々はニューヨーク世界博のためにウォルト・ディズニー自らがプロデュースして作り上げたアトラクションで「科学技術の発展により変わりゆく人々の生活」をロボットで見て(座席が)回るというシアタータイプのアトラクションである。 

 

酷似したアトラクション、遊園地(彼がディズニーならば、遊園地はディズニーランドのオマージュに間違いないだろう。)、いかにも「ディズニー的」な野心を持ち、希望に溢れ未来を見据えた台詞を放つ悪役。これがウォルト・ディズニーではないと、どうやって言えようか。

 

でも、かのウォルト・ディズニー・カンパニーが、宗教的な創造主とも言えるウォルト・ディズニーを、ヴィランにしてしまうなどあり得るのだろうか?

この映画では遊園地は完全に焼け落ち、ヴァンデヴァーは命こそ落とす描写はないが、銀行からの融資も絶たれ、彼は全てを失う。

「夢の国」と名付けられた遊園地が焼け落ち、ディズニーに酷似した人物が全てを失う映画をディズニーが作ってしまうなんて。

 

でもなぜこんなキャラクターが生まれたのか?一体なぜ?

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Walt Disney & The 1964 World's Fair

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殺された「個性」のための復讐か

考えられる一つの説は「ティム・バートンによる復讐説」だろう。

 

『ダンボ』は子供でも安心して見れる良作にまとめ上げられたが、それはすなわち「ティム・バートン色がほとんどない」と言ってもいい。

 

ティム・バートンが『ダンボ』で「サーカス」を描くなら・・・と、誰もが予想し得る、グロさ、残酷さ、悲惨さを、ほぼ全て回避してできたような作品だった。(個人的には下手にグロくなって気持ちよく見れなくなるくらいなら、それで良かったとも思う)

 

そこにもし、ディズニーとバートンの意見の相違があったとしたら?

 

個性を殺され、思うように映画を作れないバートンがウォルト・ディズニーをヴィランとして描くことでディズニーに復讐をするというのがこの説である。

 

それはそれで爽快感こそあれ、疑問として残るのはチェックしたディズニーのスタッフは誰もこれがウォルト・ディズニーだと気づかなかったのか?という点である。

 

もしそんな、ガバガバのチェック体制でこの作品が通るのなら、それこそディズニーという会社にガッカリである。

 

また、この『ダンボ』でのヴァンデヴァーの描き方があまりにも「ウォルト・ディズニーに対する個人攻撃」に見えてしまうのにも疑問が残る。

会社と喧嘩したからといって、先代の伝説的な人物をここまでコケにするだろうか。そもそもティム・バートンはアニメーター出身である。 

 

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「典型的なプリンセス像」の次に壊すべきものが「ウォルト・ディズニー」なのか

もう一つの説も考えられる。

ディズニーが会社としてウォルト像を塗り替えようとしている可能性である。

 

 

ディズニーという会社は長い歴史の中で様々な批判を受けてきた会社である。

 

『白雪姫』や『シンデレラ』などではプリンセスの描写から保守的な女性像を助長しているという批判。また『ファンタジア』などでは有色人種差別描写があるという批判、『ラテンアメリカの旅』『三人の騎士』『ジャングル・ブック』では異人種をステレオタイプとして描いているという批判。また『南部の唄』では「本来あったはずの黒人差別が描かれておらず誤解を与える」という批判まであった。

それらはウォルトの死後も作品ごとにカットしたり販売中止にしたり、新たな作品で価値観の提示を行ったりという試みを何度も試している。

その度に新たな批判が生まれ、新たな作品を作り・・・という繰り返しである。

 

ディズニーが描く「プリンセス」は『白雪姫』の無垢で誰も彼も信用して危険に身をさらしてしまうか弱い女性から、アリエルやベル、ジャスミンのような賢く自立した女性像、そしてムーランやラプンツェルメリダのような自ら戦う女性像、そしてエルサやモアナのような恋愛すら必要としない女性像へと変化を遂げてきた。

『モアナと伝説の海』で、ある種究極系ともとれるプリンセス像を描いたディズニーは『シュガーラッシュ:オンライン』においてプリンセスを一堂に集結するという離れ業で「プリンセスの価値観の再定義」までを行う。

 

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現在ディズニーにより乱発されている、過去のアニメーション作品のリメイクはその「価値観の塗り直し」の一部でもあり、『シンデレラ』も『ジャングル・ブック』も『美女と野獣』も、当時間違って描かれた、もしくは描き損ねた描写の修復作業を行なっているようなシリーズでもある。

もちろん『ダンボ』も例外ではない。

アニメ版『ダンボ』ではカラスたちが黒人のステレオタイプであるという批判を浴びている。

こういう話が持ちあがる際、並行して必ず語られるのが「ウォルト・ディズニーは黒人差別者だった」という話である。

当時を生きたわけでもないので本当のことかどうかはわからない。

僕はディズニーのファンではあるし、彼を敬愛しているが、彼が黒人差別者であったのであれば、当時の保守的な白人のほとんどが黒人差別者であったということを鑑みたとしても、擁護できることではないと思っている。(ダブスタのようではあるが、かといって彼のファンをやめるということもない。もちろん差別を支持するつもりも毛頭ない)

 

もしディズニー社が「ウォルト・ディズニー(の黒人差別的な思想)が間違いである」という意味を持たせて、遊園地を炎上させ、億万長者を一文無しに変えたのだとしたら?

アニメ版『ダンボ』と比較すれば、実写版『ダンボ』は差別描写のない、実にクリーンな作品だ。だがクリーンにするだけでは、過去の価値観の訂正、世間的な「ウォルト・ディズニーのイメージ」の打破にはならないと考えたとしたら?

 

 

『プリンセス』の再定義はもうほとんど終わった。

今度は『ディズニー』そのもの、そして『ウォルト・ディズニー』という人物を再定義し、世間のイメージをぶち壊すということなのかもしれない。

 

 

ただ、そもそもこの実写版があまりにもクリーンに描かれすぎていて、結局「黒人差別をする悪いやつ」を懲らしめたのではなく「ウォルト・ディズニー個人」を懲らしめただけに終わっているような感じが、やっぱりある。意図している部分を考えれば、あんまり効果的ではないよな。

 

結局、本当のところは僕にもわからない。

 

まとめ

超問題作だと思う。

ディズニーファンはもれなく全員見て、みんなで意見を交わしたい作品だ。 

僕は「ヴィラン=ウォルト・ディズニー」にしてしまった本作の評価を下げようとは思わないし、純粋に「こんなことをやってしまうのか!!」と感心してしまった。

大問題作というのは「ディズニー映画がこんなことやっちゃうなんて、すげぇ尖ってない!?」というところだ。映画自体がもっと面白かったらもっと良かったけど。

 

ただやっぱり、どういう意図で作られたのか、ティム・バートン個人の意思なのか、会社としての方針なのか、そこは全く読めない。マジで誰か教えて欲しい。

 

不安だった部分は解消されつつ、かといってめちゃくちゃ面白い大絶賛な映画というわけでもないのに、とんでもない爆弾を仕掛けてきたようなこの実写版『ダンボ』。

公開したばかりだが、今から彼らのインタビューや制作秘話などが収録されるであろうblu-rayソフトが待ち遠しい。

劇場で観て、ソフトも買う。

せっかく定額配信の『Disney DELUXE』が始まっても、オタクはこれだからダメだ。

 

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*1:かつてはカリフォルニアのディズニーランドに存在し、フロリダに移設された。