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ディズニーファン向け娯楽ブログ

『アナスタシア』とディズニープリンセス。地位や名誉より、愛。

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アナスタシア (字幕版)

 

1997年に20世紀フォックスが初めて制作したアニメーション映画『アナスタシア』を観た。

 

こつこつとレビューを書いているまとめ買いBlu-rayのうちにあった1本。

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ウォルトの死後の映画製作体制に不満を抱きディズニーを去ったアニメーター、ドン・ブルースが後に20世紀FOXで製作したプリンセス・ストーリーである。

 

プリンセスが主題であることや、その絵柄、またミュージカルであることなどからディズニー作品と勘違いされることが多くあるが、

実際は「ディズニー憎しで退社した監督がディズニー批判を込めた作品」である(のかなぁ)と観ることができると思う。

2019年のディズニーによるFOX買収のため、回り回って「ディズニー映画」になってしまった『アナスタシア』今回は本作を語る。

 

目次

史実と虚構を混ぜたファンタジー

皇女アナスタシアはロシアの最後の王朝ロマノフ朝に実在した人物である。

1917年にロシア革命が起き王朝が滅びた際、殺害されたはずのアナスタシアの遺体が見つからなかったことから「実は生きているのではないか?」という噂が立つ。

また、実際に記憶喪失の女性が「自分は失踪したアナスタシア皇女だ」と名乗り出た事件などから着想を受け、20世紀FOXは1956年に『追想』という実写映画を製作した。

そのアニメーションリメイク作品が本作『アナスタシア』である。

 

孤児で記憶喪失の少女アーニャはパリに行くために、詐欺師のディミトリとウラジミールに出会う。二人は記憶喪失のアーニャを利用し、彼女をそそのかし、ロマノフ朝のマリー皇太后にアーニャをアナスタシア皇女として会わせて、皇太后から褒美をもらおうと計画する。

道中でディミトリは次第にアーニャに心惹かれるようになる一方で、アーニャを騙していることに苦悩する、アーニャがアナスタシア皇女本人であることも知らずに。

 

リメイクにあたり、子供向けなアレンジも施されており、

史実であるところのロシア革命は魔法使いラスプーチン(こちらも実在した人物)による「呪い」と、「そんなこと言ったらマジで怒られるぞ」というレベルでのファンタジー脚色が施されている。

 

 ディズニー仕込みのアニメーションの滑らかさはいわずもがな、

ミュージカルとしてのクオリティも軽快な話の展開も非常に観やすく良作。

 

一方でファンタジーに特化しすぎたヴィランのラスプーチンは存在感の割に思い切りの弱い演出が多く、主人公たちに名乗りをあげることもなく対立要素が弱い。

他のシーンがある程度現実的である分、純粋なラブストーリーに特化すればよかったのだが、ラスプーチンが絡むシーンはなんだか蛇足に感じてしまうような感じがした。

 

お金や名誉を手に入れるのが「幸せ」か?

本作は、それこそディズニーに間違えられる程度には「ディズニーナイズド」されているアニメーション映画である。

 

ディズニーキャラクターとは絵柄の描きわけもそこまで明確にされているわけじゃないし(ひとくくりでディズニーといっても様々な絵柄が存在しているし)

長編アニメーションでミュージカルをやるというのもディズニーを意識している部分があるのだろう。

 

一方でプリンセスストーリーとして、これまでのディズニーとは明確に描きわけがされた部分がある。

それが本編結末部分の「お金や名誉を手に入れるのが幸せか」という問いである。

 

『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』など、『アナスタシア』が公開された1997年以前のディズニープリンセス作品は例に漏れず王家として祝福され迎え入れられ、地位を確立し、一部のプリンセスは貧しい生活から脱却する。

 

プリンセスストーリーに限れば、(お金は手に入ってないが)『プリンセスと魔法のキス』『塔の上のラプンツェル』など最近のディズニープリンセスですらその傾向にあった。

 

本作『アナスタシア』でアーニャが選ぶのは、地位や名誉やお金ではなく、愛である。

安定した生活を捨て、ディミトリとの恋路に走る結末が用意されている。

 

この結末は一部の人にとっては「女性が仕事ではなく男を選ぶなんて」と批判を浴びることもあるだろうが、それはそれとして、

プリンセスストーリーにおける「王家」という価値観に主人公が否定的な意思を示したのは、実にディズニーの「プリンセス的価値観」とは異なっていると思う。

それ自体がディズニーの「ありきたりな結末」や「誰かが用意した幸せ」を批判するかのように。

アーニャとディミトリは、「恋」というどう転ぶかもわからない未知なる旅へと、二人だけで繰り出す。

20世紀FOXは、ドン・ブルースはそこにドラマを感じたのである。

 

そして僕自身映画を観てグッときた瞬間でもあった。

ディズニー的なプリンセスストーリーをなぞるだけの大半の部分から、いきなりしっぺ返しを食らったような衝撃が走った。

 

「プリンセスではない」ディズニー

一方で不思議な一致もある。

 

『アナスタシア』が公開された1997年ディズニーが公開した『ヘラクレス』という映画で、主人公ヘラクレスが似たような決断を下すのである。

死の神ハデスの策略により、神の力をほとんど失ってしまい人間にされてしまったヘラクレスは、ほんの少しの超人的な力で、正義を貫くことで神の力を取り戻す。

だが最後に、オリンポスの神々たち受け入れられるシーンでヘラクレスが選ぶのは、神様の仲間入りではなく、恋人メガラとの愛だった。

 

王家と神、男と女という違いはあるものの、この2作が最終的に辿った決断は非常に似通っている。

 

その1年後に公開された『ムーラン』でも、ディズニーは主人公ムーランに「王宮に仕える」という道を諦めさせ、ムーランの父に「名誉よりも娘自身が大事」というような言葉を言わせる。

(アニメ『ムーラン』は名作だし好きだが、家族のために女性に出世を諦めさせるのは家父長制に縛られまくっていて、今時の時勢には合わず嫌だなとは思う)

 

2019年の『アナと雪の女王2』では、かなり違う文脈にはなるが、とうとうディズニープリンセス(正確にはクイーン)であるエルサが王位を捨てるという決断に至る。

『アナスタシア』から実に22年の時が経って、やっとである。

しかも、エルサが捨てた王位は妹のアナが引き継いでいる。

『アナ雪2』ではエルサやアナの祖父世代が実に黒い歴史を持っていた事実も明かされつつも、ディズニーは結果として「王家」という存在を否定せず、アナに継承させた。

物語的にはなんとなく解決した感があったので(面白かったし)、別にディズニーがそれでいいならそれでいいんだけど、本当にそれでいいのか?という感じはした。

 

一企業として何か強いメッセージを発しなくてもよかったのか?

 

まとめ

『アナスタシア』について語るはずが、結果的にディズニーを語ることになってしまったのは反省すべきところか、いやでもディズニーメインの感想ブログだからいいのか。

 

何でもかんでもディズニーを引き合いに出してしまうんだが、主人公アーニャだけをみても、非常に勝気で力強いキャラクターであり、ディズニーが『ムーラン』をやる前にこのキャラクターを作ったというのは純粋にいいなと思った。

 

あとは、やはり主人公たちのこの最後の決断にロマンを感じるかどうかが好き嫌いの分かれ目になるかもしれない。

 

当時アニメでこの「プリンセス」という枠組みを超えていく映画を、ディズニーよりも先に行なったというのは実に素晴らしいと思う。

 

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