【東京ディズニーランド小説】第8話「写真と指先」

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 この小説はフィクションです。実在の人物や団体、テーマパークなどとは一切関係ありません。

 また、某所にすでに存在しないアトラクション、グッズ、メニューなどが登場する場合があります。

 2021年9月に新型コロナウィルスの脅威がひと段落し、登場人物たちがマスクなしで生活している架空の時間軸を舞台としています。歴史的事実と若干の乖離があることを理解してお読みください。

 

 こちらの小説は作品投稿サイト NOVEL DAYS でもお読みいただけます。

 

***

 

 場違いな感じがする。

 私はペンを走らせ、チェックインの書類を書きながら思った。

 

「河口 総一郎様ですね。お調べしますのでお待ちください」

 

 キャストがカタカタとPCを叩く。

 ディズニーのホテルと聞いたものだから、もっと騒がしくて、原色がチカチカしたホテルなのかと思ったら、まるでディズニー映画のお城の中のような佇まいのホテルで、品があり、想像の数倍は落ち着いていて、逆に面食らってしまった。

 後ろを振り返り見上げると、5階分くらいの高さまでの吹き抜けに、見事なシャンデリアがぶら下がっていて、暖色の明かりを灯していた。明かりはツルツルに磨かれた石の床に反射し、壁紙の色もあいまって、ここにいる私たちもホテルの外観みたいに黄金の光に包まれたような気持ちになる。燕尾服やドレスを着た人たちが歩いていても違和感ない、とても高級そうなホテルなのに、いるのはTシャツ短パンにミッキー・マウスのカチューシャという格好の若者が多いのがアンバランスで、なんだか不思議な感じだ。ロビーラウンジの向こうではまだ朝の8時半だというのに青空が燦々と広がっているのがわかった。今日もどうやら暑そうだ。

 

「河口様……ご予約が見つからないのですが、他の方のお名前でご予約されていませんか?」

「ああ、すみません。娘の名前かもしれない。北川かえで……。ああほら、予約番号もある。pXRa113……」

 

 私はスマートフォンの画面を見せながら、娘から送られてきた予約完了のスクリーンショットの文字列を読み上げる。

 

「北川かえで様ですね……少々お待ちください」

 

 先日のことだ。妻の還暦のお祝いにと、娘夫婦が、私たち夫婦での東京ディズニーリゾート旅行をプレゼントしてくれた。

 東京ディズニーランドに家族で来るなんて、娘が中学生だった頃以来だから、かなり久しぶりだ。14、5年ぶりだろうか。妻とこんなふうに遠くへ出かけること自体も久しぶりなのに、それが東京ディズニーランドというのは、68歳になる私には気恥ずかしく、正直言うと来るのが億劫だった。だが、娘からこの計画を聞いた時の妻の、あまりにも嬉しそうな表情を見ると、水を差すようなことは言えなかった。

 

 私はフロント正面の絵画を見つめる。シンデレラ城の周囲の湖が凍っていて、その上でヴィクトリア時代らしき服装の人々がスケートを楽しんでいる。まるで1800年台からシンデレラ城が存在していたかのような絵だ。その頃の日本は、江戸時代もしくは明治時代なのだが。

 

「河口様、大変お待たせして申し訳ございません。北川様のお名前でご予約いただいておりました。本日は8階コンシェルジュ・バルコニールームのパークグランドビューのお部屋をご用意しております」

「はぁ」

「こちらのお部屋ですが、宿泊者専用ラウンジのマーセリンサロンで、お飲み物を飲みながらのチェックインのお手続きも可能ですが、どうされますか?」

「なんだって?」

 

 ラウンジ?てっきり普通の部屋の予約かと思っていて、直接フロントデスクに寄ってしまった。

 

「すぐお隣にありますので、そちらで寛ぎながらお話しさせていただけます。どうされますか?」

「ちょっと……わからない。妻を呼んできます」

 

 私はフロントデスクを離れて、ホテルのロビーにあるドールハウスを眺めていた妻に声をかけた。

 

「母さん、ちょっと」

「どうしたの?」

「なんか……かえでが、すごくいい部屋予約してくれてたみたいで、今からラウンジでチェックインできるらしい」

 

 妻の顔がきらっと輝いた。

 

「すごい!ラウンジ?私人生で一度も使ったことないわ!行きたい」

 

 私は嬉しそうな妻を連れてフロントに戻ると、キャストがラウンジに案内してくれた。ロビーよりもさらに人が少なく落ち着いた雰囲気の部屋に通され、ソファーに案内される。ウェルカムドリンクが提供されるとの事だったので、私はコーヒーを頼んだ。妻はオレンジジュースを注文する。

 

「あの……お部屋のお写真撮ってもいいですか?」

 

 妻が照れながら聞くと、キャストは笑顔で了承した。

 

「よろしければ、お二人で並んで撮られますか?」

「いやいや、そんな歳じゃないから、いいよ」

 

 私は苦笑いして答えた。ルームキーと、ディズニーリゾートを一周しているモノレールのフリーきっぷを貰い、荷物を預ける。翌朝の朝食がレストランで食べれることや、部屋に朝刊を届けるかどうか、などを聞かれた。部屋に入れるのは16時半以降との事だった。これからディズニーランドを1日歩き回ることを考えると、ここでもう少しゆっくりしたい気分ではあったが、妻が早くディズニーランドへ行きたがったので長居はしないことにした。

 

 ホテルを出て、モノレールの駅舎の下をくぐるところで手荷物検査があり、そこを抜けるとエントランスが広がっている。まだ開園時間には1時間もあるというのに、結構な人だかりだった。それでも、14年前の記憶の東京ディズニーランドよりもずっと人が少なく見える。

 

 14年ぶりの東京ディズニーランド……、いやよくよく考えたら、14年ぶりではないか。

 

「もう入れるみたい。どうしよう、楽しみだわ。お父さん、何乗りたい?」

 

 ゆっくりと列が前に進んでいく。私は思い巡らせるけど、パッと思いつくようなアトラクションはなかった。妻が私の手を握ろうと、人差し指を掴んだ。私はさっと手を払いのけて、頬っぺたを掻く。妻が残念そうな顔をしたので、気づかないふりで目を逸らす。

 

「いいよ、私は。母さんが乗りたいものに着いて行くから」

「かえでがね、『美女と野獣』に乗りたかったら、入場してからすぐ抽選しなくちゃいけないって」

「外れたら乗れないのか?」

「そうみたい」

 

 外れた時の事を考える。妻は今は興奮しているけど、外れてしまったらどんな表情をするのだろうか。なんだか面倒くさそうだ。

 ゲートにスマートフォンをかざし、入園する。妻はミッキーの形に花々を植えた花壇に、なつかしい!と興奮して一緒に写真を撮りたがった。私は気恥ずかしく、そして乗り気ではなかったので一緒に写るのは断り、妻と花壇を写真に収めた。

 

「抽選、してみる」

 

 妻が慣れない手つきでスマートフォンをいじり、東京ディズニーリゾートの公式アプリから抽選を行う。「エントリー受付」というのがそれのようだ。なんだかこの名前だと、受け付けた人はみんな乗れそうな雰囲気に聞こえるが。

 

「きゃっ」

 

 妻が軽く悲鳴をあげる。ダメだったかな、どうやって慰めよう。

 

「やった!取れたよお父さん!嬉しい!『美女と野獣』に乗れる!!」

「すごいね。『美女と野獣』って、あの映画のやつだな。乗ったことあるかな」

「何言ってるの、去年できたばっかりなんだから」

「へぇ、そうなの。そりゃ抽選にもなるわけだ」

「もう、ありがたみがわかってないんだから」

 

 30年近く前の映画な気がするが、今更アトラクションになることもあるんだな。妻は、私の感動の薄さに若干不機嫌になっていた。まぁ、抽選に外れて取り返しがつかなくなるよりはマシだろう。

 

「今から乗れるの?」

「16時にしたよ。まだあと6時間もある」

 

 まだあと6時間もある。妻の言葉を、心の中でそっくりそのまま繰り返した。すなわち6時間はホテルに帰らないというわけだ、そう思うとちょっと憂鬱な気持ちになった。

 68歳にはなるが、別に体力に不安があるわけではない。私は、人々が目を輝かせるこの夢の国に全くといって興味がないのと、年甲斐もなく興奮してはしゃいでいる妻に付き合うことが、気恥ずかしく、息苦しく、何より面倒くさかった。

 

「お父さん、行こう。何から乗ろうかな」

 

 妻はわくわくしながらアプリのマップを開いた。ひとまずジャングル・クルーズに乗ろうという話になり、パーク入って左手側のエリアへと向かう。ジャングル・クルーズは待ち時間はそれほど長くなく、朝早いこともあって10分ほど並んでボートに乗ることができた。ジャングル・クルーズは、14年前に乗った時とは雰囲気が大きく変わっていて、後半の洞窟のシーンでは今流行りのプロジェクションマッピングも導入されていてバージョンアップしている。それでも妻は懐かしい、懐かしいを繰り返していた。

 

「ポップコーン買いましょう。あ、あっちにチュロスもある!チュロスも食べたいわ」

 

 まるで子供だな。妻はカートでポップコーンとチョコレート味のチュロスを買って戻ってきた。私は妻に付き合ってベンチに腰掛け、一緒にポップコーンをつまむ。

 

「見て、お父さん。このチュロス、ミッキーの形」

「へ?すごいな、昔は普通の星形だったよね」

「すっごく可愛い。夢の国、すごいわ。さすがディズニー」

 

 キャストも妻のような客に来てもらえて嬉しいだろうなと思った。

 ポップコーンとチュロスを食べ終えた後は、カリブの海賊に乗る。ボートに乗ってすぐ、骸骨が話しかけて来たところで、懐かしの記憶が蘇った。

 当時は、ジョニー・デップの演じた実写版映画のバージョンにリニューアルしたばかりということもあり、3時間ほど並んで乗ったような気もする。本物そっくりのジョニー・デップのロボットが動いているのを、私は懐かしみながら眺めていた。

 

「母さん、ちょっとトイレに行って来るね」

 

 アトラクションを出てから、妻にそう告げて私はトイレへ向かった。小便器の前ではぁ、とため息をついて用を足していると、思わぬメロディが口をついて出た。

 

「ヨーホー、ヨーホー、ふふん、ふ、ふんふ、ふん……」

 

 全くディズニーに興味のない私に、乗ったばかりのアトラクションBGMを口ずさませるなんて、ちょっと凄すぎる。私はにやけそうになって、必死に堪えたら苦虫を噛み潰したような辛そうな顔になってしまった。手を洗っていたら、手洗い場の正面にに鏡がないことに気づいてキョロキョロと周りを探してしまった。すると、おむつ交換台の上で若い父親が子供のおむつを替えているのが目に入った。

 私が彼くらいの頃、娘のおむつを替えた事なんてあっただろうか……。

 自分は父親として、会社で一生懸命働いて、出来る限りの事をしてきたつもりだったけど、そういえば、8年前の私の還暦祝いは、アルマーニのネクタイとネクタイピンのセットだったな、と思い返す。ネクタイは派手なオレンジ色のストライプで、つけていくタイミングがわからず、結局もらってから一度も付けていない。もちろん、贈り物は金額ではない、気持ちが大事なんだとわかってはいても、やはり普段の娘に対する態度の差が、還暦祝いの内容にも反映されている気がする。鏡はトイレの入り口付近に設置してあった。

 

「母さん、おまたせ。どうした?」

 

 カリブの海賊の出口正面にあるクレープ屋の椅子に腰掛けていた妻は、アトラクション乗車後よりもずっとニコニコしていた。私がトイレに行っている間に何があったというんだろう。

 

「ううん、なんでもないの。ちょっと行きたいレストランがあって」

 

 妻のいうレストランはそこから程近く、すぐに見つかった。入り口にキャストが立っていて、予約の有無を聞かれる。予約していない事を告げると、今は空いているから席はすぐ用意できるとのことで、少しだけ待たされて中に案内された。

 

「ここから先は夜となっております。足下にお気をつけください」

 

 何を言ってるんだ?と思ったら、建物の中にも関わらず、そこは外で、真夜中だった。真っ暗な庭園のようなところにテーブルが並び、ランプが煌々と輝いている。虫の鳴き声がコロコロと鳴り響き、むしろ静寂を感じさせる。庭の向こうは入江になっていて、向こう岸には先ほど乗ったばかりのカリブの海賊の乗り場が見えた。

 

 すごい。

 

 さすがに心を奪われる気持ちになった。こんなところにレストランがあるのも驚きだし、ついさっき乗り場側でこちらを見て、よく出来たセットだな、と思っていたのだ。まさか、実際に訪れる事が出来るなんて思ってもみなかった。まるで自分が映画の登場人物の一員になったような気分だ。

 

「なんか、秘密の隠れ家に来たみたいだ」

「ね、空いててよかったね。普段は人気で予約がないとなかなか入れないらしいの」

 

 へぇ、人気なのか。私は全くもって存在を知らなかったから、みんなよく調べて遊びに来るんだなぁ、と感心しながら席に着いた。東京ディズニーランドの食事といえばファストフードやカレー、チュロスにポップコーンのイメージだったから、こんなにしっかりとしたコース料理が食べれるなんて思いもしなかった。この店の料理はニューオーリンズ名物のクレオール料理が楽しめるらしい。ルイジアナ州ニューオーリンズなんて行ったこともないが、このお店だけでなく周囲の建物もニューオーリンズ風なのだと妻は教えてくれた。私はローストビーフと鶏のグリエを交互に口に運びながら、私がディズニーランドに抱いていた偏見が覆されていくのを感じた。次々と提供される料理は、高級レストランの料理に劣らない驚きがあった。

 私はデザートの皿に残ったソースまで丁寧にフォークですくって口に入れて堪能した。感嘆のため息をついた後、食後のコーヒーを啜る。思えば、妻と長らく出掛けていないから、こういう食事もかなり久しぶりだったのだ。

 

「ごちそうさま」

「ごちそうさま。本当に美味しかった」

 

 店を出て空を見上げたら9月の太陽が容赦なく照り付けていた。眩しくて目を細めながら、妻に次の目的地を聞く。

 

「なんだかお腹いっぱいだから、アトラクションはいいかな。ショー何か、座って見れるものがいいかも」

 

 私は頷いた。少し歩いたところの、ロボットの鳥たちが歌うショーを見て、その後、西部劇のエリアのシアターへと向かった。シアター入り口で、女性キャストがゲストに何やら謝っていて、彼女は私たちが近づくなり頭を下げた。

 

「こんにちは。すみません、ただいまこのアトラクションは主演の熊たちが休憩中で、運営していないんです」

「え、やってないのか。故障?」

「諸般の事情により、運営を休止しています。詳しくはお伝えできないんです。彼らの準備が整い次第再開する予定ですが、場合によっては本日中の再開はないかもしれません」

「母さん、どうする?」

 

 妻は少し迷った後、女性キャストを見つめて言った。

 

「お姉さんのオススメはなにかある?」

 

 女性キャストは先ほどの謝罪モードからさっと笑顔に表情を変えた。その眩しさに一瞬、ハッと心を奪われる。

 

「私個人のオススメでもよろしいでしょうか?そうですねぇ、ウエスタンランドを楽しむのであれば、マークトウェイン号という蒸気船に乗っていただきたいですね。アメリカ川を一周する優雅なクルーズが楽しめますよ。それから、もし激しい、スピード感のある乗り物が苦手でなければ、西部一の暴れん坊、ビッグ・サンダー・マウンテンにも是非!」

 

 マニュアルっぽい内容だ、でもしっかり抑揚もあり感情が込められていて、嘘っぽくは聞こえない。自分の担当エリア以外のアトラクションを紹介しないのは世界観を守るためだろうか。

 

「どうする?その、蒸気船……なんだっけ?」

「マークトウェイン号です」

「それ。それ乗るか?」

 

 絶叫系の苦手な妻のことだ。まさか、ビッグ・サンダー・マウンテンには乗るまいと、勝手に思っていた。

 

「私、ビッグ・サンダー・マウンテンに乗りたい」

 

 私は目を丸くして、その後でちょっと笑って言った。

 

「ははは、大丈夫か?ジェットコースターなんて乗ったことないだろう」

「ないからいいんじゃない。60歳は新しい事を始める歳にしたいの」

「いい歳して、強がらなくてもいいのに」

「いえ、素敵です!!」

 

 女性キャストが笑顔で割って入って来る。

 

「口を挟んでしまい、すみません。60歳から始める挑戦、とても素敵だと思います!スタートに年齢なんか関係ありませんよ!いつが誕生日だったんですか?」

「あ、えと、9月5日なんです」

「あら!ついこの間じゃないですか!それに、プルートと同じ誕生日ですね!ミッキーの飼い犬の可愛いワンちゃん、ご存知ですか?ちょっと待っててくださいね」

 

 女性キャストは何やらゴソゴソとポーチを弄り、直径5センチほどの丸いシールを取り出した。

 

「私から、お誕生日シールをプレゼントしたいのですが、お差し支えなければ、お名前お伺いしてもよろしいですか?」

「いいんですか?嬉しい!」

「そんな、いい歳して恥ずかしくないか?」

「いえいえ、ここは夢と魔法の王国ですので、時間も年齢も忘れて楽しめるんですよ」

「そうよ、お父さん。楽しもうとしてるんだから、冷やかさないで。えっと、名前は結美です」

 

 女性キャストの徹底ぶりに面食らう。妻もすっかり夢の国の住人になってしまったみたいだ。目をきらきらと輝かせながら、キャストが用意してくれているシールを見つめる。女性キャストは丸いシールの真ん中に可愛くひらがなで「ゆみ」と書いて、妻の誕生日を添え書いた。

 

「どうぞ!ハッピーバースデー!!」

「わーい!ありがとうございます、ええと、熊谷さん」

 

 妻がちらっと女性キャストの名札を見て言った。ディズニーのキャストというのは、みんなこれほどまでに徹底しているのだろうか。

 

「結美さんの、記念すべき思い出作りに参加できて幸せです!よかったら感想、聞かせてくださいね!」

 

 熊谷というキャストの手厚い待遇に感謝しながら、妻と私はシアターを出た。

 ビッグ・サンダー・マウンテンは普段ならば2〜3時間待ちは当たり前のアトラクションとのことだが、感染症禍のためか、この日は60分待ちと、比較的短い待ち時間になっていた。金塊の採掘場を再現したような待ち列の建物の中で、妻は見るからに興奮しながらアプリのアトラクション説明や注意事項を何度も読み上げてはソワソワしていた。

 

「鉱山列車が、荒野を急旋回、急降下して大暴走。だって、どうしよう、緊張してきた」

 

 さっきからこれの繰り返しだ。そんなに不安ならやめたら、と言っても絶対に乗ると聞かない。本当に子供になってしまったかのようだ。時折すれ違うアトラクションキャストに、ハッピーバースデーと声をかけられてると、妻はうふふ、と照れ臭そうに手を振った。その姿に私の方が恥ずかしくなる。

 乗り場に辿り着き、いよいよ順番が次に迫り、興奮覚めやらぬまま降りていくゲストを横目に、妻は大きく深呼吸をした。ライドに乗り込み、安全バーを下ろす。ライドがカタカタと音を立てながら出発する。

 

「お父さん、手を握ってて」

「いや、安全バーを握ってた方が怖くないよ」

 

 私は妻の手を安全バーに握らせる。少し泣きそうになりながら、妻は恨めしそうに私を見た。お前が乗ろうと言ったんじゃないか。

 久々に乗るジェットコースターは、爽快で楽しかった。いわゆる他の遊園地にあるような絶叫系のアトラクションほど、スピードも、上がり下がりも大きくはない。比較的初心者向けのコースターだ。それでも数年ぶりに体感するには充分スリリングだった。

 そして何より、荒野を駆け巡るあの感覚。ところどころで顔を出す動物たち、炭鉱の薄暗さと静けさ、水の音、恐竜の化石。ただレールの上を走るというだけではない、そこにストーリーがあり、背景を考えさせるような奥行きがこのジェットコースターにはあるのだと、私は気づいた。

 再び乗り場に辿り着き、ライドが停止する。妻はふらふらした足取りでライドを降りて、出口に向かった。

 

「大丈夫か?」

「うん。すっごく怖かったけど、すっごく楽しかった!また乗りたいくらい」

「ははは、よかったな。私も、昔かえでと乗ったのを思い出したよ」

 

 妻の足が止まった。ぽかんとした表情で、私の顔を見つめる。

 

「かえでと?乗ってないでしょ?」

 

 妻は眉をひそめる。私も首を傾げるが、あの独特な赤茶の山を駆け抜ける感覚は、確かに記憶にあったのだ。

 

「いや、乗ったと思うんだけど。母さんは怖くて乗らなかったんだろうけど、私は乗った記憶があるよ」

「かえで、ジェットコースターに乗れるようになったのは、大学の友達とUSJに行った時って言ってたよ」

「そんなはず……」

 

 言いかけて、ぎくりとした。私は慌てて訂正する。

 

「もしかしたら、この間テレビで見たのかも、ほら、昼によくやってるだろ。だから記憶にあったのかも」

「ふーん、ほんとは誰かと間違えてるんじゃない」

 

 血の気がサーっと引いていくのがわかった。妻は急に不機嫌そうな表情をして、シンデレラ城が見える方向へひとりスタスタと歩き出した。

 

 図星だった。

 

 10年ほど前だ。私は、取引先の20代後半の女性に誘われて、1度だけ東京ディズニーランドに遊びに来た事がある。

 当時その取引先は経営がうまくいっておらず、私の会社との取引も契約解消寸前だった。取引継続を求める接待を何度か重ねたうちの、そのうちのひとつが「東京ディズニーランド」だった。

 これが非常にまずかった。日々接待に呼び出されていた私は、毎晩酔って帰ってきたり、休みの日も二日酔いで寝ているか、朝からゴルフに出かけたりしていたうえ、家族サービスできていない理由を「これも仕事のうちだから」と言い訳していた。そして東京ディズニーランドである。さすがに、妻子持ちの私が、若い女性と二人で東京ディズニーランドに遊びに行くというのは、理性の箍が外れていたと思う。

 誓って言うが、彼女と私とは、肉体関係は一切ない。ないが、正直かなり危ういところまでいったのも確かだし、私に下心がなかったかというと嘘になる。

 そして悪いことに、この「接待」の大半が「若い女性と二人で飲み歩くもの」であったことが、そのうち家族に明るみになった。ある日その取引先の女性と行った、ちょっと雰囲気のいいバーで、かえでの同級生の母親が働いていたのだ。

 その頃の私の外出っぷりや、家族への態度のつれなさを考えれば、浮気とみられても仕方がなく、結果的に「誤解」として表面上は丸く収まったものの、会社や取引先も巻き込んでの、それはそれは、心が折れるくらいには大きな問題になり、夫婦関係は長きに渡ってギクシャクし、私は外で飲んだり遊び歩いたりするのを一切やめたが、この一件以来、娘は私に対して冷たい態度を取るようになった。

 

 16時が近づいていた。私は時計を見て、早足に行こうとする妻に追いついて、機嫌をとるべく声をかける。

 

「なぁ、次は『美女と野獣』か?楽しみだね」

「そうですね」

 

 明らかに怒っていますという声が妻から発せられた。妻のこのテンションを、どう盛り返していけばいいか、私には到底わからない。

 

「ハッピーバースデー!」

「ありがとう」

 

 道ゆくキャストが声をかける。こんな気分でも、妻はキャストにはしっかりと笑顔で返していた。

 お城の前を通り過ぎて、ブルーに彩られた宇宙エリアを抜けると、途中から『美女と野獣』のエリアになっていた。酒場風のレストランやショップを過ぎると、紫色の不思議な佇まいの、巨大な城が見えた。美しく荘厳で、だがおどろおどろしくもある。流れるBGMや霧深さが余計に不気味さを漂わせていた。妻がスマートフォンで、抽選で勝ち取ったQRコードをキャストに見せ、列に並ぶ。

 建物の中に入ると、さすがの妻も気分が高揚したようで、待ち列の所々で映画のキャラクターが出てくると、名前を教えてくれた。私は安堵してその説明をうんうんと聞いていた。

 途中、中央に階段のある部屋に通され、『美女と野獣』のあらすじを聞く。ステンドグラスがスクリーンになっていて、物語を紡いでくれる。ぼーっとステンドグラスを見つめていたら、妻が黙って私の服の裾を引っ張った。私が妻を見ると、妻が右上方を指差す。

 

「わっ」

 

 小さな声だったが、びっくりして思わず声を漏らしてしまった。野獣がいる。しかも、昼間に見たカリブの海賊や、歌う鳥たちのロボットとは、クオリティが全然違う。そして、女性の声がして、反対側を見ると、映画でプリンセスになる女性がいた。まるで生きた人間がそこにいるかのようだ。

 

「驚いたな、本物がいるかと思った」

 

 部屋を出され、乗り場へと続く道をさらに進んでいるときに、私は妻に言った。妻はもう、私が口を滑らせた「記憶」のことは忘れてしまったかのようにご機嫌だった。

 乗り場にたどり着き、巨大なティーカップ型のライドに乗り込む。運良く前方の席に座ることができた。思っていたよりも早い勢いで、ティーカップが前進する。

 耳馴染みのいい音楽とともに、ロボットに見えないロボットたちが物語を紡いでいく。プロジェクションマッピングで彩られ、目まぐるしく部屋を移動して、ダイジェストに映画のシーンを展開した。野獣が人間の姿に戻るシーンは、実に不思議なギミックで、私は目を疑った。そして、舞踏会のシーン。クライマックスだ。さすがの私でもこのシーンの曲は聞き覚えがあった。美しい天井画の部屋に鳴り響く、分厚く重ねられたコーラスの、あの有名なテーマソング。体の芯に、ジーンと響き渡るような気がして私は心が震えた。

 

 ライドが終わった。これが、東京ディズニーランドの最新アトラクション。良質なエンターテイメントと、技術を感じさせない高過ぎる技術力を感じる。なるほど、贅沢だ。

 

「楽しかったな、母さん」

 

 横を見ると、妻は静かに泣いていた。私はその涙を茶化すことができなかった。それくらい、私も圧倒される何かをこのアトラクションに感じていた。私は妻の肩を抱いてライドから降ろす。キャストが心配して駆け寄るのを、私は笑いながら制止した。

 

「よかったぁ、ちょっとさすがに恥ずかしいわ。泣いちゃった」

「私も泣いてしまうかと思うくらい、よかったよ」

 

 『美女と野獣』のライドを降りて、近くのレストランでコーヒーを買い、ベンチに座りながら妻と話した。感動で泣いてしまうなんてこと、私はここ数年経験していない。ライドに乗って泣く妻を見て、本当に楽しみにしていたんだな、と私は感じた。それ以外にも、ビッグ・サンダー・マウンテンに怯えながら挑戦する姿も、ハッピーバースデーの声に照れながら答える声も、普段の退屈な日常では見ることができない、妻の姿だった。

 思い返せば、今日の日を楽しみにしていた妻に対して、私は冷やかしのような言葉しかかけることが出来ていない。妻の笑顔に水を差すまいと思って付いてきたはずなのに。妻が繋ごうとした手を払いのけて、写真も断った。しかも、1度ではない。そう思うと途端にバツが悪くなって、ぐいっとコーヒーを飲み干して立ち上がった。

 

「何か乗りに行くか」

「……ちょっと待って、バースデーシールがない」

 

 妻の表情がまた曇り始める。周囲を探すが、落ちている気配はなく、美女と野獣の出口を逆走しようとしたらキャストに止められた。

 

「バースデーシールがないんです、並んでいるときか、乗っているときに落としたのかも」

「お探しすることはできますが、見つかるかどうか……よろしければ新しいのをご用意しますよ」

「あれがいいんです、すごく素敵なキャストさんに書いてもらったから」

 

 キャストが捜索してくれて、数分後にバースデーシールは妻の手元に戻ってきた。しかし、幾人かに踏まれてしまったのだろう、正円だったシールは齧られたように破け、足跡で汚れてしまっていた。

 

「ありがとうございます」

「あの、本当に書き直さなくて大丈夫ですか?」

「いいんです、ありがとう」

 

 妻は破れて汚れたバースデーシールを紙ナプキンで包み、大事にバッグにしまった。熊谷という、今日たまたま出会い、ちょっと話しただけのキャストが、妻にとって今日の大切な思い出の一つになっている。それに対して私は、妻の60歳・還暦の記念に、一体何をしてあげられただろうか。冷やかしと、気まずい空気を作り出す以外に。

 

 もう照れくささを感じている場合ではなかった。私は、落ち込んでいる妻の手を、ぎゅっと握りしめて言う。

 

「熊谷さんに会いに行こう。ビッグ・サンダー・マウンテンの感想を伝えるはずだったよね」

「……そうだった。あのショーも、もしかしたら再開してるかも」

 

 私は頷いて、早足でパークを横断した。妻の手を握りながら。

 

 西部エリアのシアターに着くと、熊谷さんはまだそこにいた。ちょうどゲストを誘導した後で、すぐにこちらに気づいた。

 

「ハウディー!結美さん!また会えて嬉しいです!」

「私も!熊谷さんに会いたくて来たの」

「おかげさまで熊たちも元気になりました。ビッグ・サンダー・マウンテン、どうでした?」

「サイコーだったよ!怖かったけど、もう一回乗りたいくらい!オススメしてくれてありがとう」

 

 熊谷さんと顔を合わせて、妻はさっきまでの曇り顔がすっかり晴れやかになった。やはりすごいキャストだ、熊谷さんは。

 

「この後数分で、カントリーベア・シアター本日の最終公演が始まるんです。見て行かれませんか?」

「ぜひ。再開してたらいいなと思ってたから」

「母さん、先に席を取っててくれないか。ちょっとトイレに行ってから行くよ」

「はいはい、じゃ、熊谷さんまたね」

 

 妻が先にシアター内に入る。私は妻の後ろ姿が見えなくなるのを待って、熊谷さんに話しかける。

 

「熊谷さん、私にバースデーシールを書かせてくれませんか」

 

 

 カントリーベア・シアターは、古き良きディズニーアトラクションといった感じで、昼間に見た、鳥たちが歌うアトラクションと雰囲気もよく似ていた。大勢の熊のロボットが次々にカントリーミュージックを披露する。それが、同じ回にいた外国人ゲストや高校生ゲストのおかげか、大盛り上がりの楽しいショーとなった。妻も慣れない手つきながら、笑顔で手拍子をしていた。

 

「なんだか懐かしい雰囲気だったね」

「楽しかったな」

「あ、熊谷さん」

 

 出口に、熊谷さんが待機してくれていた。先ほど同じショーを見ていた外国人ゲストに英語で話しかけている。話が終わり、こちらに気づくと、笑顔で駆け寄って来た。私の心臓が高鳴る。

 

「熊谷さん〜!楽しかったわ〜!ありがとう!」

「どういたしまして!そして、結美さん!心の準備はいいですか?」

「えっ、準備?」

 

 妻がキョロキョロと周りを見回す。私と妻を中心に、カントリーベア・シアターのキャストが私たちを囲んでいた。私は高鳴る心臓を押さえつけ、妻の顔を見て言う。

 

「結美っ、誕生日おめでとう!せ〜のっ!」

 

「ハッピ・バースデー・トゥー・ユー、ハッピ・バースデー・トゥー・ユー、ハッピ・バースデー・ディア・結美さ〜〜ん!ハッピ・バースデー・トゥー・ユー!!」

 

 カントリーベアのキャスト総出でバースデーソングを歌ってくれた。もちろん私も、そして、たまたま近くにいた外国人と日本人の男性二人組も、一緒になって手拍子で参加してくれた。

 

「きゃぁ〜〜〜!!恥ずかしい、でも……嬉しい!!」

「……はい、これバースデーシール。熊谷さんから」

 

 私はポケットからバースデーシールを取り出す。それを聞いた熊谷さんがすぐに訂正した。

 

「違います、なに照れるんですか!旦那様が書いてくださったんですよ」

「いやでも、熊谷さんがアドバイスをくれて、すごく可愛い縁取りをしてくれてさ」

 

 妻は私の顔を見て、既にうるうるしていた目を、更にうるうると滲ませた。私は照れくさくなって頭の後ろを掻いた。

 

「結美、今日はつまらんことをいっぱい言ってしまってごめん。今日は本当に楽しかったよ」

 

 私は熊谷さんの方に向き直り、感謝の気持ちを述べる。

 

「今日は妻の最高のお祝いに……最高の1日になりました。熊谷さんのおかげです。本当にありがとうございました」

「いえいえ、お客様のお誕生日にはまたお待ちしていますね」

「そんな歳じゃ……違うか、年齢を忘れるんだったよね、夢の国では」

「はい。『夢と魔法の王国』です。誰もが子供時代に戻って楽しめるものを作る、それがウォルト・ディズニーの信念です。映画も、パークも」

「実感したよ。ありがとう」

 

 私と妻はキャストに別れを告げてシアターを後にした。ふと思い立って、妻の手を引く。

 

「シンデレラ城の前で、写真撮ろうか。二人で」

「どういう風の吹き回し?」

「ディズニーの魔法にかけられてしまったかな」

「やっぱり、ディズニーはすごい。見て、パレードだ」

 

 ブルーの灯りで照らされたパレードの山車が遠くを通り過ぎていくのが見える。妻と誕生日が同じだと言うプルートもそこにいた。それがパレードの最後の山車だったようで、ファンタジーランドの奥へと消えていく。

 

「総一郎さん」

「ん?」

「なんでもない」

 

 久しぶりに名前を呼ばれた気がした。そういえば今日は、久しぶりに名前を呼んだ気がした。

 東京ディズニーランドで、大人は子供に戻り、夫婦は恋人同士に戻るのだ。私は妻の手を握り、夜の東京ディズニーランドをゆっくりと歩く。私が、妻や娘に費やすべきだった時間は、この数時間では到底返せない。それでも、もしかしたら、小さな言葉や行動から変えていくことができるかもしれない。ここは始まりだ。68歳だが、何かを始めるのに遅すぎることはない。全くディズニーに興味のなかった私が、今日1日でこんなにも心を動かされているのだから。情熱と、意思があれば、きっと。

 

 シンデレラ城に向かって歩きながら後ろを振り向くと、反対側には赤茶けた岩肌の山が、こちらもライトに照らされてそびえ立っていた。遠くでゲストの楽しそうな声が聞こえる。私はお城へ向かう橋を渡りながら、ぎゅっと妻の手を握りしめた。

 

 

 

 

第8話『写真と指先』おわり

 

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あとがき

遠方組ディズニーファンの僕が、あまりディズニー興味ない人と遊びに来ると、結美と総一郎みたいな温度差が出てしまうんです。

ほぼアドベンチャーランドとウエスタンランドにしかいませんが、書いてない時間帯に遊びにいっていると思ってください。

熊谷さんをもう一度、どうしても出したかった。

ずっと1万字前後で書いてたのですが、これだけかなり長くなってしまいました。

ちょっと反省してます。

 

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次回予告

第9話「脚のない亡霊」

 

東京ディズニーランド小説