生きていくなんてわけないよ

世界を旅するDオタの旅行記/映画レビューブログ

【東京ディズニーランド小説】第9話「脚のない亡霊」

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 この小説はフィクションです。実在の人物や団体、テーマパークなどとは一切関係ありません。

 また、某所にすでに存在しないアトラクション、グッズ、メニューなどが登場する場合があります。

 2021年9月に新型コロナウィルスの脅威がひと段落し、登場人物たちがマスクなしで生活している架空の時間軸を舞台としています。歴史的事実と若干の乖離があることを理解してお読みください。

 

 こちらの小説は作品投稿サイト NOVEL DAYS でもお読みいただけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本章は交通事故の描写、自傷行為、および性暴力描写を含みます。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

***

 

 23年ぶりの東京ディズニーランドだ。その頃は、父も母もまだ生きていて、愛はまだ産まれてなかった。

 ほとんど記憶には残っていないが、私が住む家にはその頃の写真がアルバムに綴じてあって、私は父と母と手を繋いで、イッツ・ア・スモールワールドの前で照れ臭そうに写真を撮っていた。母はその頃まだ20代で、今のわたしたちと同じくらいの年齢で、妹の愛によく似て美人だった。お腹はまだ大きくなっていないが、きっともうお腹の中に妹がいたのだろう。写真では、普段滅多につけていなかったブルーの宝石のネックレスを首から下げていて、この日のためにおめかしして来たんだろうなと思った。そのネックレスを家で見つけたのが3ヶ月前のこと。私は思い出のディズニーの写真と、このネックレスがピタッと結びついて、どうしてもこれをつけてディズニーランドに行かなくてはいけない気持ちになった。

 

 私はシルバーのカチューシャを手に、ピンクゴールドのカチューシャをつけて自撮りする妹の姿を見つめる。

 

 可愛い、ずるい。

 

 私は「今時の20代の女の子」を楽しんでいる妹を羨ましく思った。カチューシャをぎゅっと握ったらスパンコールの跡が手についた。

 

「やっぱり私がピンクにする」

「いいよ。かわいいもんね、ピンク」

 

 妹と、色違いのカチューシャを交換する。シルバーをつけても、やっぱり愛は可愛くて、私は観念して、黙ってピンクゴールドのカチューシャをつけた。妹は、可愛いくせに私よりずっと大人で、物分りが良くて、頼りになる。妹がいなければ私はのたれ死んでしまうだろう。それくらい、私は妹に依存している。私は胸元で輝くブルーの宝石をぎゅっと握りしめた。なんで素直になれないんだろう。なんでいい子でいられないんだろう。

 

 愛ちゃんが羨ましい。

 

 9年前の事故の日、私は妹がそこにいないのをいいことに、自分のわがままを両親にぶつけて、不貞腐れていた。

 高校2年生だった私は、自分で言うのもなんだが成績優秀で、学年主任からの推薦を受け、夏の生徒会選挙に副会長として立候補する予定だった。幼い頃から両親、特に父からは結構厳しく躾けられ、勉強だけはひたすらに詰め込まされてきた。私は私で真面目だったから、それにしっかりと応えていた。勉強しか取り柄がなかったから、スポーツも芸術もからっきしで、それでも字は丁寧に書けたからという理由で書道部に入ったけど、やはり上には上がいるし、書道もあるレベルを超えてくると上手いだけでは通用しなかった。ESS部にでも入ればよかったなと思いながら、それでも2年の夏には書道部の部長を任されるようになってしまった。

 ずっと勉強していた。遊びに行くことはほとんどなくて、部活の後には週3で塾に通っていたし、塾がない日は本を読んだり自宅学習。土日も自習室を借りて定期テストの対策をしていた。暇があれば英単語を覚えたし、学校の行き帰りはTOEICのリスニング教材を聴いていた。勉強は嫌いではなかったけど、苦に思わなかったかと言われると嘘になる。テストで98点を取ったら「じゃあ次は100点取れるように勉強しなさい」と言われ、褒められることはなかった。土日に遊びに行く同級生たちを見て、私はなんで勉強しているんだろうと落ち込む日もあった。

 でも父はなぜか、妹には勉強しなさいとは言わなかった。「優ちゃんがいるから」「優ちゃんが頑張ってくれるから」が口癖で、妹には「可愛いお嫁さんになりなさい」といつも言っていた。妹は中学生になると吹奏楽を始めた。弱小だった妹の中学の吹奏楽部は、妹の入部した年から顧問の先生が変わり、練習はそれはそれは厳しかったようだったけど、1年で関東大会まで行くほどに上達した。朝練のために早起きして、授業中に寝てしまい担任に怒られても、古文のテストが4点しか取れなくても、妹はなぜか怒られなかった。部活が忙しい割に、妹はしっかり遊んでもいて、中学生にして美容や化粧に興味を持ち始めた。私は化粧に憧れこそあれど、化粧をして遊びに行く所もなければ、それらに興味のある友達もほとんどいなかった。友達同士で「青春」をエンジョイして、日に日に美しくなる妹を見て、私は嫉妬の気持ちでいっぱいだった。

 

 ずるい。

 

 妹の吹奏楽部の関東大会。両親に連れられて茨城県の宇都宮まで鑑賞に行った私は、彼女たちの演奏に圧倒されると同時に、こんな風に自分たちの披露する「芸術」を評価されている姿を羨ましく思った。私がどれだけ頑張って勉強しても、結果は数字でしか表すことができない。その数字に、自分自身や両親以外に誰かを感動させる力はない。そう思うと自分のやっていることが虚しくなった。彼女たちの敗退の知らせを聞いた時、正直いうと私は少しほっとした。でも、妹が「関東大会まで行ったごほうび」に東京ディズニーランドへ行くと知って、私は帰りの車の中でイライラを爆発させて両親に当たってしまった。父と私の、激しい罵り合いの末、私は癇癪をおこして、後部座席から父の座るシートに思いっきり蹴りを入れた。父は私を叱ろうと一瞬振り返り、そのはずみでハンドルが右に逸れた。次の瞬間の記憶がなくて、気がつくと私は病院にいた。

 

 東京ディズニーランドは快晴だった。もう9月も半ばだというのに、秋めく心地よさよりも日本特有のジメジメとした暑さがまとわりつく。妹は私を「ゲストリレーションズ」という場所へ連れて行って、カウンターで障害者手帳と障害者割引のチケットをキャストに見せた。

 

「ディスアビリティサービスのご利用ですね」

「愛ちゃん、なにそれ」

「待ち列に並ばずに他のところで待てるんだって。私の高校の友達の瑠奈ちゃんが、プーさんのところのキャストでね、教えてくれたんだ」

「でも私、列に並びたい」

 

 妹は驚いた顔をした、キャストもちょっと困ったような笑顔で手を止めて、私たちの会話が終わるのを待っている。

 

「待つところにも、いろんな仕掛けがあったり、物語が感じられるって、YouTubeで見た」

「でも、待つの大変だよ」

「いいの」

 

 妹はキャストに声をかけてチケットを回収し、「インフォメーションブック」という冊子だけをもらって、ゲストリレーションズを出た。もらったばかりのインフォメーションブックを見ながら、どこに行こうか二人で考える。私はテレビで、好きなアイドルが言っていた情報を伝えてみた。

 

「かざぽんが、ディズニーは左周りで楽しむって言ってた」

「でも、オープンしたばっかりだからカリブの海賊はちょっと混んでる……イッツ・ア・スモールワールドと、あとホーンテッド・マンション、空いてるね」

「それ、どっちも行きたい。テレビで見たことある」

 

 妹に車椅子を押してもらいながら、私は初めてのディズニーランドの風景を楽しんだ。

 基本的に、検診の時以外はたいていずっと家にいる。家を出るのは大変だし、一人で出ると何かあった時に大変だから。ここ数ヶ月暇な時はずっとディズニーランドのYouTubeを見ていた。テレビで定期的にやっているディズニー特集も録画して、繰り返し見て、それなりに知識を詰め込んできた。ファンタジーランドにたどり着き、まずはイッツ・ア・スモールワールドへ、間にミッキーのフィルハーマジックを楽しんでからから、ファンタジーランドの奥地にあるホーンテッド・マンションの前までやってくる。

 

「お姉さんたちの服、かわいい」

「本当だねぇ。お姉ちゃん、これ大丈夫そう?怖くない?」

「お化け屋敷は初めてだけど、これは怖くなさそうだったよ」

 

 待ち時間は不吉な数字とかけた13分待ちだった。途中、ブツブツと呪文のような言葉を唱える40代くらいのゲストがいて、私はその男性がつぶやいている言葉が、もともとこの部屋で流れるアナウンスと同じものだと気付いた。私は妹の服の袖を引っ張り、ひそひそと話す。

 

「このセリフ、ここで流れてるんだよ。YouTubeで聞いたことある。すごいね、覚えてるんだね」

 

 ベルトコンベアの流れる乗り場までたどり着き、いよいよ次は私たちの番になった。妹が不安そうな声でキャストに尋ねる。

 

「これ、大丈夫ですか?車椅子なんですけど、乗れますか?」

「ベルトコンベアを止めますので、安心してください」

 

 キャストが言った通り、ベルトコンベアが止まり、車椅子からスムーズに乗り換えることができた。

 

『いたずら好きの亡霊が、また邪魔をしたようだな。諸君はそのまま座っていてほしい。すぐに動き始めるから』

 

 音楽も止まって、こんなアナウンスが流れた。私はクスクスと笑ってしまった。

 

「私、亡霊だって。アトラクション止めちゃった」

「面白いアナウンスだね」

 

 妹も、はははと笑って答えてくれた。音楽が再度流れ出し、ベルトコンベアがスタートする。妹が安全バーを引こうとしたら、またもやアナウンスが流れた。

 

『セーフティーバーに触ってはいけない。それを引くのは私の役目』

 

 ガタン、と音がして、自動的に安全バーが腰のところまで引き寄せられた。私たちは顔を見合わせてニヤニヤする。

 

「おばけ、いるね」

「おばけ、いるわ」

 

 薄暗い、不気味な壁紙の部屋を進みながら、ギシギシと音を立てて、姿を見せそうで見せない亡霊たちを、私は興味津々で眺めた。肖像画や胸像がずっとこちらを見つめている。埃にまみれたピアノは誰もいないのに鍵盤が沈み、音が鳴っている。でも、そこに誰かが座っているかのように影だけが床に落とされている。あの廊下は、どこまで続くのだろう。棺やドアは、隙間から手を伸ばしながら、はちきれそうにこちら側にせり出し、うめき声を上げている。

 

 英語で呪文を唱える声が聞こえる部屋にたどり着いた。楽器が宙を舞い、真ん中に水晶玉が置いてある。水晶玉には顔面蒼白の女性の顔が浮かんでいる。その部屋を抜けると、亡霊が突如姿を現わすようになった。舞踏会の部屋を過ぎると、乗り物は屋根裏へと進む。真っ暗な屋根裏になにがあるのかと目を凝らしていたら、物陰から突如幽霊が飛び出してきて、私はびっくりして妹の手を掴んだ。

 

「すごい、すごい、すごい、楽しかった」

「よかったねお姉ちゃん。すごい感激の声出てたよ」

「また乗りたいけど……もっといろいろ乗りたい。カリブの海賊行きたい」

「ちょっと遠いからなぁ……カントリーベアのショー見てから、カリブの海賊行こっか」

「それでもいいよ」

 

 私たちはカントリーベア・シアターでのショーを楽しんでから、再びアドベンチャーランドに戻ってきた。この時間のカリブの海賊はかなり空いていて乗り場まで直行だった。私はテレビ番組で好きなアイドルが言っていた、カリブの海賊の待ち列のことを思い出して、少しだけがっかりした。

 

「う、隣の部屋行けないんだ」

「え、すぐ乗れるんだからいいじゃん」

「かざぽんが前言ってたんだ。隣の部屋……『これからアトラクションを乗る人が楽しめる部屋』って。待つための部屋も見てみたかったな。今度は混んでる時に来ようよ」

「混んでる時……、お姉ちゃんの考えは……、独特だね」

 

 妹は、「変」とか「おかしい」とか、傷つけるような言葉を使わず、気を遣って私の発言を揶揄した。要は、面倒臭がられている。事故以来、気を遣われているなとか、面倒臭がられているなとか、よく感じる。

 ボートに乗り込んでアトラクションがスタートする。薄暗い、穏やかな入江をボートが進む。骸骨がボートに乗るゲストへ向けて語りかける。

 

『おめえ達は冒険が好きでこの海賊の海に来たんだな?そんならここはうってつけだ。だがぼんやりすんじゃねえぞ。しっかり捕まってろ。両方のお手てでな……。』

 

「きゃっ!!」

 

 私は妹の手を強く握った。YouTubeで何度も観た落下だ。何度も観たけど、実際に体験するとやっぱりちょっと怖かった。これで私たちのボートは海賊の世界へと飛び込んだ。

 

「お姉ちゃん大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 

 妹はかなり心配そうな声で私に聞く。大丈夫と返す声が、少し震えていた気がする。

 ボートは海賊たちの宝の眠る洞窟を抜けて、デイヴィ・ジョーンズの幻影が見える霧を抜けた、海賊船が街を襲っている。その海賊船にはキャプテン・バルボッサが乗っていた。海賊たちは次々に声をあげるけど、訛りがきつかったり、スペイン語だったりで、英語の得意な私でも聞き取るのは難しかった。私は、こっそりと海賊たちの様子を伺うジャック・スパロウを見て、安堵感を覚えてちょっと笑った。

 

「うっ」

 

 ボートが進むと、そこにオークション会場があった。動画で何度も観たつもりだったけど、細部までは見えてなかったみたいだ。そこは、女性たちが縄で繋がれていて、海賊たちの妻にあてがわれる「花嫁オークション」が行われているシーンだった。

 

『We wants Red Head!』

 

 「赤髪をよこせ!」と叫ぶ海賊たちの声がする。縄で繋がれた赤髪の女性は、他の女性たちと比べてまんざらでもなさそうな、すまし顔で立っている。私はちょっと頭がクラクラした。橋の下をくぐると、奥の屋敷の中で、幾人かの女性が海賊に追いかけ回されていた。一人の海賊は、逆に海賊の方を追いかけ回していたけど、私は到底笑えるような気分じゃなかった。電波の入らなくなった古いテレビの砂嵐みたいなめまいが起きて、私は目をつぶって妹の肩に頭を預ける。

 

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「ちょっと……う……」

 

 妹の腕にしがみつく。胃から何かがこみあげるような気持ち悪さに襲われた。こんなところで吐くまいと、頭の中で楽しい思い出をたくさん浮かべた。それでも頭の中に響くのは、乱暴で、陽気な海賊たちの「ヨーホー、ヨーホー」という歌声だ。

 

 あの女性たちは、街を焼かれ、連れ去られた後、何をされてしまうんだろう。

 

 アトラクションを降りた後は、日焼けしそうな日差しを避けて、向かいのクレープ屋のパラソルの下に陣取った。結局吐くことはなかった。呼吸を整えて、明るいジャズのBGMに耳を傾ける。なんでもないから大丈夫と伝えたけど、妹はクレープ屋の窓口にドリンクを買いに行ってくれていた。

 

「素敵な宝石」

 

 優しそうな女性の声で話しかけられた。声のした方に顔を向けると、見たところ60代くらいの少しぽっちゃりとした可愛い女性がいた。

 

「突然話しかけてごめんね。顔色悪そうだけど大丈夫?」

「ちょっと……えと、ボートが落ちてびっくりしちゃいました」

「あら、カリブの海賊?私もさっき乗ったの。びっくりしたよね」

 

 女性はニコニコと笑った。もしかしたら、あまりに顔色が悪そうだったから、気を紛らわせてくれているのかもしれない。

 

「その宝石、もしかしてラピスラズリ?9月の誕生石だね、9月生まれ?私も今月誕生日なの」

「……いえ、これ亡くなった母のなんです。宝石の名前はちょっとわからないです。母は12月生まれで。」

「あ、そうだった。12月の誕生石もラピスラズリだった。お母様のなのね。綺麗だね」

「……あ、お誕生月、おめでとうございます」

 

 女性は驚いた表情で私を見て、それからあははと笑った。

 

「そういうつもりじゃなかったんだけど、ありがとう。嬉しい。私14年ぶりにディズニーランドに来たんだけど、どこか美味しいレストラン知ってたりする?」

 

 私も23年ぶりなんだけどな、と思いながら、ちょっと考えた。そういえばこの近くに、以前テレビで紹介されていたお洒落なレストランがあったはずだ。

 

「ええと、テレビで見ただけなんですけど。ブルーバイユー・レストランっていう、すごく素敵なレストランがこの近くにあるみたいなんです。カリブの海賊と中で繋がってて、アトラクションのボートを見ながら食べれるって」

「ええ!何それ、素敵!」

「高くて、私たちはちょっと手が出ないんですけど、いつか行きたいなぁと思ってて」

「行きたいわぁ。夫に言ってみる。教えてくれてありがとう」

 

 この女性の笑顔を見ていたら、だんだん気持ちが落ち着ついてきた。私もぎこちない顔でニコッとしてみる。

 

「足、悪いの?」

「……はい、ちょっと」

 

 たまにこういう風に、遠慮なく聞いてくる人がいるが、この女性の雰囲気は嫌な感じがしなかった。

 

「ラピスラズリの石言葉はね、『幸運』『健康』『成功』なの」

「そうなんですか」

 

 なんだか、私にはひとつも当てはまっていないような気がする。そう思いながら聞いていた。

 

「成功のために、神様は試練を与えるの。あなたはきっと乗りこえられる。お母様が守ってくださるわ」

「そう……そうだといいんですけど」

 

 私はニコッと笑ったが、ちょっと話が飛躍しすぎている気がする。

 「試練」か。

 いいな、普通に生活できる人は。私の過去も、気持ちも、何も知らないのに。平気でそんな言葉を投げかけることができるんだ。

 

「お姉ちゃん」

 

 妹が帰って来た。妹は女性に不思議そうな顔で女性に会釈する。

 

「ウーロン茶買って来たよ」

「愛ちゃんありがとう。……えーっと、お話ししてくれて、ちょっと気持ちがスッキリしました、ありがとうございます」

「こちらこそ、邪魔してごめんね。レストラン、行ってみるね」

 

 私は会釈して、車椅子を妹に押してもらいそこを離れた。女性はにこやかな笑顔で手を振って、そこに座っていた。嫌な感じでもないし、悪い人でもないのだろうけど、ちょっとお節介な人だなと思った。

 行くのかな、ブルーバイユー。テレビの受け売りだけど、行ってくれたら嬉しいな。

 

 ブルーバイユーのような高級レストランでコース料理を食べる余裕がない私たちは、ウエスタンランドの奥の方にあるキャンプ・ウッドチャック・キッチンというレストランで食事をした。そこのレストランで食事をしていたら私の担当ケースワーカーの川島さんと偶然鉢合わせてしまって、少し気まずい空気になってしまったが、彼の恋人のノアさんという人がとても素敵で、ディズニー映画に登場する王子様のような人で、私は心がときめいた。

 二人と別れた後は、私が以前来た時にはまだなかった、トゥーンタウンというエリアに行った。エリアをぐるっと一周して、ベンチでちょっと休憩してから、妹がトイレに行きたいと言った。丸っこくてかわいいガソリンスタンド風の建物の前にやってきて、妹はカチューシャを外す。

 

「持っててもらっていい?」

 

 妹は私を置いてトイレに入っていった。トゥーンタウンの建物たちは、アニメの中の世界を再現したようにぐにゃぐにゃで、可愛らしかった。

 

「お待たせー」

 

 男性トイレの入り口から細身の男の人が出てきて、建物にもたれかかって待っていた女の人に声をかけた。何気なくそちらを見ていたら、立ち去り際に向こうもこちらを見て、目が合った。その瞬間、私は背中がゾクっとするのを感じた。

 その人の顔は、9年前に私が憧れだった人に、とてもよく似ていた。私の心臓が高鳴った。急いで目を逸らして、震える手で車椅子を動かし、私の出せる全力で、その場から離れた。この時は、妹の事も忘れてしまっていた。

 他人の空似かもしれない。でも、怖い、怖い、怖い。

 

 

 

 事故から半年が経った頃のことだった。治療も、リハビリも終えた私は、これまでとは全く異なる生活ながらも、ひとまず入院の必要がなくなった。私は、真夏から真冬に季節の変わった学校に、結果的に1週間だけとなる復帰をした。行き帰りは叔母に車で送ってもらった。

 早く学校に戻りたかった。親を失ってもなお、私には勉強しかなかったから。大学へ行くのはもう絶望的かもしれない。でも、給付型奨学金をもらえれば、もしかしたら。

 私が立候補するはずだった生徒会選挙はとっくに終わっていて、生徒会長には森田くんという男子が、副会長には仁科さんという女子が選出されていた。私は、高校に入ってからずっと、森田くんに淡い憧れを抱いていた。成績優秀で、剣道部の新部長で、大学の第一志望は横浜国立大学だと言っていた。顔がアイドルみたいにかっこよくて、周囲の女子生徒からの人気も高かった。事故に遭う前は、私たちは付き合ってこそなかったが、けっこういい感じだったと思う。お互い成績優秀だったけど、森田くんはあまりノートを取らないタイプで、テスト期間前はよく私のノートを貸していた。私が真面目でしっかりとノートを取っていることと、自分の字が綺麗な事を、1番誇りに思う瞬間だった。

 副会長になった仁科さんは、私よりもずっと美人で、私ほどではないけど、成績もそれなりに良かった。テストこそ苦手だけど、英語はネイティブ並みで、英会話ならば私よりも得意だった。親が外資系の会社で働いているから、幼い頃から海外を転々としていた帰国子女で、高校卒業後はイギリスの大学に入学するらしかった。

 

 私が高校に戻って三日目、友達から、森田くんと仁科さんが付き合っているらしいという噂を聞いた。私はまたもや嫉妬に狂ってしまった。

 

 ずるい。副会長には、私がなるはずだったのに。私は事故にあって、脚を失ったのに。貴重な6ヶ月の高校生活も失ったのに。

 

 翌日の放課後、私は森田くんに声をかけられて、生徒会室で少し話をした。今更何を話すのかと思ったけど、私がいなかった間の6ヶ月の学校のこと、森田くん自身のこと、いろいろと教えてくれて、その後私の事故のことや体のことを、溜まった鬱憤やストレスをしっかりと聞いて受け止めてくれた。生徒会室にはそのほかの生徒会のメンバーが作業していたりもしたから、全てをぶつけることはできなかったけど、私はタイミングを見計らって、ちょっと泣きそうになりながら、さりげなく森田くんへの思いも、匂わす程度に伝えた。途中、生徒会室に仁科さんが入ってきて「有田さん、ひさしぶりー」とだけ声をかけて、何かのファイルを手に取って出て行った。なんだか勝ち誇った顔をされたような気がしたけど、それは私の憎悪が生み出した幻かもしれない。その日はお互いに近況報告のような形で終わったが、その日の晩にケータイにメッセージが届いて、週末に私は、なんと森田くんの家に行くことになった。

 

 森田くんの家は建ててから10年も経っていなさそうな綺麗な家だった。大きくはないけどスタイリッシュで、私もこんな家に住んでみたいなと、その時は思った。

 

「ようこそ、あがってよ」

 

 森田くんにそう声をかけられるけど、スタイリッシュな家は玄関からすでに段差が多くて、どう考えても車椅子で入れるような感じではなかった。森田くんは細い体で私を抱えて、1階のリビングのソファに座らせた。憧れだった森田くんと思いがけず密着して、私はドキドキしてしまって、顔が真っ赤な状態でちょこんと縮こまっていた。

 

「俺の部屋に行くのは難しいな、2階だから。まぁ、親はいないから気にしないでよ」

 

 なんで私を呼んだんだろう。家には二人きりだ。何か話があるんだろうか。ちょっと淡い期待をしながら、私は彼が何か話すのを待っていたけど、彼は紅茶を入れてくれた後、私の顔を見つめながらずっと黙っていた。私は顔を真っ赤にしながら見つめ返した。

 

「仁科さんと付き合ってるの?」

 

 沈黙をどうにか破りたくて、思い切って聞いてみた。心臓がドクドクと脈打つ。森田くんはちょっとだけ視線を落として、ティーカップを置いた。

 

「そうだよ」

 

 私の淡い期待が、ガラガラと崩れ落ちた。心の中は一度空っぽになって、虚しさが叫び声を上げている。その叫び声が、ふつふつと怒りとして燃え上がりそうになって、私は深呼吸して自分を抑えた。じゃあどうして。

 

「じゃあどうして私を呼んだの?」

 

 ちょっと口調が強かったかもしれない。森田くんは、少し驚いた顔をした。

 

「有田さん。この間話を聞いた時、俺のことが好きだと思ったんだけど、嬉しくなかった?」

「今は嬉しくない。なんで彼女がいるのに」

「なんで、って。彼女がいたって、別に女の子を誘ったっていいだろ。喜ぶ子はいっぱいいるよ」

「いっぱいいる?」

 

 こんなことをしょっちゅうやってるのか、この男は。私は怒りに蓋ができなくなりそうだったけど、次の瞬間、ソファーに押し倒されて身動きが取れなくなった。何が起きているのか、一瞬理解に苦しんだ。天井と、興奮した目で笑う森田くんが見えた。そもそも私は下半身が動かないんだ。腕を押さえ込まれたら、終わりだ。

 

「俺のこと好きだったんじゃないの?仁科はさ、かわいいし、大人とか海外のイケメンでも相手にできるから、ほんとは俺のこと眼中にないわけ。暇つぶしに付き合ってるみたいな感じらしくてさ、やらしてくれないんだよ」

「やら……」

 

 私はキスされて口を塞がれて、舌を入れられる。頭がぐるぐると回転してるような錯覚に陥って、心臓が張り裂けそうなくらい高鳴って、体はすごく熱い気がするのに、鳥肌が止まらなかった。

 

「っ……やだ」

「大丈夫。初めて?多分痛くないよ。俺優しいから」

 

 彼も服を脱ぎ始めた。私は上半身だけでバタバタして、そのままフローリングに転がり落ちたけど、森田くんはお構い無しに私の服を脱がせていった。薄い胸をまさぐられ、涙目で目を逸らしながら必死に抵抗してみせるけど、剣道部主将の力の強さに、半身不随の書道部の私は全く歯が立たなかった。

 痛いわけない。感じるわけない。

 でも、死んでしまいそうなほど痛くて、苦しくて、悲しかった。

 

「……くっせ!!」

 

 森田くんが、ばっとその場を離れた。私には下半身の感覚がない。排泄の感覚がない。ツンとした匂いのする部屋で、私は身包みを剥がされた状態のまま、静かに泣いていた。こんな羞恥があるだろうか。こんな屈辱があるだろうか。こんなに絶望的な初めてがあるだろうか。憧れだった人に、最悪の形で弄ばれ、最悪の形で終わった。いっそ死んでしまいたい。

 

 なんで私だけ。

 なんで私だけ。

 なんで私だけ。

 

 この件は、明るみになることはなかった。

 私はこのことを誰にも話さなかったし、話したくなかった。翌朝、私はお風呂場で盛大に手首を切って、叔母に見つかり、再び病院に運ばれた。週明け以降、私は学校に行くことがなくなった。

 考えることができても、言葉にするのが難しくなった。何か本を読んでも、頭に入れることが難しくなった。誰かと話をするのが苦手になった。

 生きていく意味とか、目的とか、目標とか、将来とか、もうすべてがどうでもよくなった。でも、一度手首を切って、長いこと忘れていた「痛い」という感情を思い出した。もう痛い思いはしたくない。そう考えると生きるのも、死ぬのも辛かった。

 

 

 混乱した頭のまま、シンデレラ城の陰に隠れて呼吸を整え、また全力で移動して次の建物の陰に隠れて、というのを繰り返して、気がついたら、私はイッツ・ア・スモールワールドの前にいた。ぎゅっと、ラピスラズリのブルーのネックレスを握りしめる。

 

 お母さん。優しかったお母さん。なんで私の人生はこうなんだろう。

 

 勉強しかできないのに、今はもう学ぶこともやめて、ただ消費するだけの生活を、妹に負担をかけながら生きている。私なんて、あの事故の時に死んでしまえば良かったんじゃないか。お母さんが巻き込まれて死ぬくらいなら、私が死ねば良かったんだ。もう嫌だ。人生を終わらせてしまいたい。

 私は号泣した。いつぶりかわからないくらいに、声を上げて泣いた。赤ん坊に戻ってしまったような気持ちで、泣いた。周囲のゲストが、私に気づいてこちらを見たり、逆に目を逸らしたりする。

 知るもんか。

 一度でいいから、私のわがままを聞いてくれ。

 望みを叶えてくれ。

 私を殺してくれ。

 

「……いた、優さん!」

 

 背の高い男性が駆け寄ってくるのがわかった。私はそれが誰か気づいた途端、その胸に飛び込みたくて身を乗り出したら、バランスを崩して車椅子から落ちてしまい両手をついて倒れ込んでしまった。

 

「優さん、大丈夫?」

「……ノアさん、っぐ、……っぐ」

 

 ノアさんは、細いのに大きな身体で私を抱き起こした。川島さんも、遅れてこちらに追いついた。ノアさんに抱きかかえられ、車椅子に戻る。涙はまだ止まらなかった。

 

「……優さん、大丈夫ですか?」

「……わ、私、もう死にます。生きていられない。悲しいことを思い出しちゃった。は、恥ずかしくて、苦しくて、……でも誰にも話せなくて、このまま生きていくのが辛い。他の人が羨ましくて、誰かに認められたくて、ずっとうまくいかなくて、みっともない。……愛にも迷惑をかけてる。川島さんにも、ノアさんにも迷惑をかけてる。いろんな人に迷惑をかけてる。いなくたって誰も困らないのに、いない方が誰も困らないのに」

 

 ノアさんが、私の肩を掴んだ。透き通ったブルーの瞳で、じっと目を見つめてくる。目の色が、ラピスラズリの色に似ている。

 

「悲しいことがあったんだね。とても辛かったね。でも、辛い気持ちを話してくれてありがとう。信頼してくれてありがとう。優さんの命や身体は、誰のものでもない、優さんのものだよ。優さんが決めたらいい。でも、もし優さんが死んでしまったら、僕はすごく悲しいな」

 

 ノアさんは、私の目をしっかりと見つめて言った。私の身体は、私のもの。川島さんが膝を落として、私に目線を合わせた。

 

「優さん、僕は今日、優さんと愛さんに偶然会わなかったら、ノアとの結婚を決めなかったかもしれない」

 

 川島さんが、細い目で優しく笑った。ノアさんが川島さんと肩を組む。

 

「優さんたちのおかげだよ。僕の人生を動かしてくれてありがとう。生きていたら、迷惑だってかけるかもしれない。それが生きることだよ。同じ分だけ、優さんは誰かにお返しできると思う。でも、そもそも、誰かのために生きなくてもいいんだ。自分のために、わがままに生きていいんだよ」

 

 私は鼻を啜って、深呼吸した。まだ目からうるうると涙が溢れそうになって、鼻がツンとする。それでも、気持ちはかなり落ち着いた。ノアさんが立ち上がって言う。

 

「でも、人はいつか死ぬんだよね。せっかくディズニーランドに来たんだ。もし今すぐ死ぬなら、僕なら死ぬ前に、何かアトラクションに乗って楽しんでからにしたいな。優さんは、何に乗りたい?」

 

 ノアさんの説得というか、励ましは、ポジティブにも聞こえるし、ネガティブにも聞こえる。何も言っていないようにも聞こえる。それでも、事態を深刻に捉えすぎず、私の気を紛らわせて、意識をアトラクションへと向けてくれた。私は、最後に一つアトラクションに乗るなら何がいいかな、と思案した。

 

「ホーンテッド・マンションに乗りたい」

「Holy Macaroni! ちゃんと死なずに帰ってこなきゃダメだよ!はじめ、愛さんに連絡しておいて」

「わかった」

 

 川島さんが妹に電話をかける。そういえばと思ってスマホを探したら、ミッキーのフィルハーマジックに入る前に電源を切ってからずっとそのままだった。カバンの中に、妹のシルバーのカチューシャが入っていることにも気づく。

 

「愛に謝らなくちゃ。私、先に愛のところに行きます」

「今は、わがままになる時だよ、優さん。ホーンテッド・マンション、乗ろう」

 

 ノアさんはゆっくりと車椅子を押してくれた。川島さんもついて来てくれる。乗り場で、このライドは三人乗りだと聞かされ、川島さんは気を遣って一人で乗ろうかと言ったけど、私は川島さんにも一緒に乗って欲しくて、ちょっと狭かったけど私たちは三人で乗った。乗り込む時にまた、例のアナウンスが流れる。

 

『いたずら好きの亡霊が、また邪魔をしたようだな。諸君はそのまま座っていてほしい。すぐに動き始めるから』

 

「私、このアナウンスが好きです」

「Why?」

「えっと、Because……I feel…… I became a part of this attraction when I hear it. When I come here, I become a ghost……, just a ghost without dissabilities. 」

 

 高校を辞めてから、英語の勉強も、英会話も一切やめていたけれど、ぎこちなかったし、文法も品詞も全くもって不安だけど、ゆっくりと伝えた。私の思いがどれだけ伝わったかはわからないけど、ノアさんはニコッと笑ってくれた。

 

「It must be special for you.」

 

 ライドがゆっくりと動き出した。おどろおどろしい音楽と、奇妙で、おかしくて、少し楽しくて少し怖い、屋敷のツアーが始まる

 

「きゃっ!」

 

 屋根裏の部屋で、朝と同じ、物陰から飛び出す亡霊にびっくりして、私はノアさんの腕にしがみついた。ノアさんはあはは、と笑って今度は川島さんにしがみついた。私たちは三人で笑った。

 屋根裏を抜け、墓場にたどり着くと、そこはゴーストだらけだ。いろんな顔の、いろんな服を着たゴーストたちが青白く光るのを私たちは楽しんだ。ヒッチハイクをするゴーストが、次の部屋で私たちのライドに乗り込んで、ノアさんに重なるように陣取って、3人で、Get out!と叫んで追い払おうとした。私たちは笑って、笑っていたら、悲しかった気持ちを少しだけ忘れた。 

 

 私は、世の中のほとんどの人が、羨ましくて、ちょっと憎らしい。私は普通の人の生活とは、ちょっと違った生き方しかできない。誰かに迷惑をかけて生きていくしかない。でも、私は多分、人が体験したことのないような、今後体験することのないような壮絶な人生を歩んでいる。心は散々、ズタズタに切り裂かれた。死んでしまいたいと何度も思って、それでも生きてきた。多分、死んでしまいたいと願いながら、本当は生きていたかったんだ。

 生きていたいと思うことは贅沢だろうか。許されないことだろうか。そもそも、許されなければ生きていけないのだろうか。

 私は、生きたい。勉強ができるという取り柄すら失っても。まともに歩くことができなくても、誰かに迷惑をかけてしまっても。アトラクションを止めてしまうような、「いたずら好きの亡霊」であっても。

 生きる、というわがままを、贅沢を、私は図太く、貫き通す。

 

 アトラクションを出たら、出口で妹が待っていた。ノアさんと川島さんのカップルに別れを告げ、私たちは家に帰ることにした。ワールドバザールが見えて来たところで、私は妹に言った。

 

「愛ちゃん」

「なに?」

「私、これからも生きるね。迷惑かけるから、よろしくね」

「私も……たまには迷惑かけていい?」

「愛ちゃん」

「何?」

「……ニキビできちゃった」

「いい洗顔貸してあげるね」

 

 妹はそう言って笑った。東京ディズニーランドはもう日が沈んで、ライトアップが始まっていた。ウォルト・ディズニーとミッキー・マウスが手を繋ぐ銅像が、黄金に輝くワールドバザールを指差していた。私は、車椅子を押す妹の手にそっと触れてみた。気のせいかもしれないけど、涙が手の甲に落ちたような気がして、私は気づかないふりで空を眺めた。

 

 

 

 

 

第9話「脚のない亡霊」おわり

Chapter 9 - The Lonely Legless Lady

***

 

あとがき

本作にて「カリブの海賊」というアトラクションを批判的に描いておりますが、

私自身大好きなアトラクションでもあります。

大好きだからこそ、あのアトラクションで苦しい気持ちになる人を無視したくはないな、とも思っています。

 

途中で出てくる女性は8話の結美です。

何かへの理解を求める人が、必ずしも別の何かに理解がある訳ではないし、

だからといって悪気があるわけでもないんです。

悪気がなければ傷つかないというわけでもないんです。

 

タイトル用画像提供:ウィリー(@HoratioSquare

 

 

次回予告

第10話「ミッキー・マウスをよろしく」

www.sun-ahhyo.info

 

東京ディズニーランド小説『王国の迷子たち』