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ディズニーファン向け娯楽ブログ

【東京ディズニーランド小説】エピローグ「迷子たちは花火を夢の国で見たかった」

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 この小説はフィクションです。実在の人物や団体、テーマパークなどとは一切関係ありません。

 また、某所にすでに存在しないアトラクション、グッズ、メニューなどが登場する場合があります。

 2021年9月に新型コロナウィルスの脅威がひと段落し、登場人物たちがマスクなしで生活している架空の時間軸を舞台としています。歴史的事実と若干の乖離があることを理解してお読みください。

 

***

 

 夜風のないファンタジーランドで蒸し暑い空気に包まれながら、興奮して熱くなった体で、私は呆然と立ち尽くしていた。イッツ・ア・スモールワールドのシンボルである、建物の正面中央のスマイル・フェイスが、ゆらゆらと左右に首を揺らしている。夫が私のそばに寄って、私の方に手を置いた。

 

「美鈴ちゃん、追いかけなくていいの?」

「……うん、いい」

 

 わかってあげたいと思った。わかってあげられると思った。助けてあげたいと思った。助けてあげられると思った。でもこれは、大人のエゴだ。

 

 彼女が、ひよ莉ちゃんが望んだのは、問題の解決とか、保護とか、警察とか、治療とかじゃない。もっと単純な「じゃあ今日は、うちに泊まっていきなよ」という程度の、その場凌ぎの優しさだったんだ。家出少女の家出に手を貸す、という、正しい大人が選ばない方法を、彼女は望んでいた。解決すること自体が、彼女にとっての正解ではなかったんだ。私は、自分の何もできなさに打ちひしがれて、静かに泣いた。

 

「啓太くん」

「なに?」

「わかりあうって難しいね」

 

 夫は少しバツの悪そうな顔をして、私を胸に抱いた。ぎゅっと、ちょっと苦しいくらいに、強く抱きしめられる。ベビーカーで、息子がスヤスヤと寝ているのを、夫の腕に抱かれながら、私は横目で見て微笑んだ。

 

 私とひよ莉ちゃんは、違う人間なんだ。年齢が離れているというだけではない。違う人生を歩んで、違う経験を経て生きてきた、まったくの他人。私と夫の関係ですら、こんなにも分かり合えないのに、何をわかってあげられるつもりでいたんだろう。

 

 抱きしめられていたら、空に大きく花火が上がった。特にアナウンスも聞こえなかったし、BGMも相変わらず通常のものが流れていたのでびっくりしたが、私たちは空に打ち上がる彩り豊かな花火を眺めた。突然大きな音が鳴ったので、息子が目を覚まして、次の瞬間に泣き始めた。私たちは、抱き合っていたところをパッと離れ、ちょっとだけ照れ臭い顔ではにかんで、ベビーカーに駆け寄った。

 

 さようなら、ディズニーランドの妖精。

 素敵な出会いだったけど、ごめんね。ありがとう。また、どこかで。

 

***

 

「すごい、素敵な部屋!!お城が、真正面!!」

 

 妻が部屋に入るや否や、駆け出した。私も部屋に入り、電気をつける。妻の言うとおり、東京ディズニーランドが部屋の窓から真正面に臨めた。ベッドに腰を下ろして、ポロシャツの一番上のボタンを外し、それから帰りに自販機で買ったペットボトルの緑茶を飲んだ。緑茶のパッケージまでもがピーターパンに登場するティンカーベルのイラストで、こだわってるなぁとまじまじと見つめてしまった。

 部屋はレトロな感じのミッキーとミニーのイラストが壁に描かれている。ところどころ美女と野獣を思い起こすアートが飾ってあったり、テレビ台のてっぺんに顔がついていたが、なんのキャラクターかは私にはわからなかった。妻はバルコニーまで出て行って、パークを眺めている。

 部屋に入って数分後、部屋のチャイムが鳴った。ドアを開けると、キャストがワゴンを横に立っており、私と目が合うと一礼した。

 

「河口様。北川様より仰せつかっております。結美様へのバースデーケーキとフラワーアレンジメント、シャンパンのセットでございます」

「え、かえでのやつ、すごいな……ありがとう」

 

 ワゴンの上にミッキーの形をしたケーキと、オレンジ色の花を使ったフラワーアレンジメント、そしてハーフボトルのシャンパンが用意されていた。改めて、妻の誕生日を祝うこの場で、特になにも用意してこなかった自分の肩身が狭くなる。キャストは失礼しますと言ってワゴンを中に運び込んだ。妻が驚いて駆け寄る。

 

「えっ!すごい!素敵!なにこれ!」

「お誕生日おめでとうございます」

 

 私はテーブルに用意されるケーキのセットを眺めながら、帰ったらかえでにいくらか払おう、とか考えていた。妻が私にお父さん!と声をかけ、私を椅子に座らせる。

 

「写真お願いします」

 

 キャストがデジカメ、スマホの順でシャッターを押す。ちゃんといい笑顔で撮れただろうか。キャストが出て行った後、シャンパンを一口飲んで、はぁ、とため息をついた。今日は、多分、いい雰囲気で終わったけど、世の「理想的な」夫婦像を考えると、こういうことも、娘に任せっきりじゃなくて、私が率先してやらなきゃいけないよな、と思い、まだまだ考えるべきことがたくさんあるように感じた。

 

「きゃっ!!見て、花火!!写真、撮らなきゃ!」

 

 妻はそう言って、再びスマホを取り出した。ドドン、と音を立てて、遠く向こうで花火が咲く。私はふと思い立って、部屋の入り口まで行って、電気を消してみた。

 

「こっちの方が綺麗に見えるな」

 

 私はバルコニーに出る大きな窓に寄りかかって、妻の背中と、遠くに見えるシンデレラ城、そして花火を眺めた。

 

「ヨーホーヨーホー、ふふん、ふふん、ふふん……」

 

 また、思わず鼻歌を歌ってしまって、妻が振り返って、ニヤッとしたので私は少し照れた。

 

「お父さん、こっちに来て」

「うん、行くよ」

 

 私はバルコニーへゆっくりと歩いていき、妻の肩を抱いた。

 次の結婚記念日こそ、私の力で、何かをやろう。何をやるかはまだ、何も決めていないけれど。

 

***

 

 私たちはパークを出て、駐車場方面のタクシー乗り場へと向かっていた。

 

「愛ちゃんは、今日何が一番楽しかった?」

 

 姉が私に聞いてくるので、私はちょっとだけ今日乗ったアトラクションを思い返した。

 

「う〜ん。なんだろ、どれも楽しかったけどね」

 

 さすがに「ピーターパン空の旅」は一番だとは言えないし、そもそも乗ったこと自体も秘密だ。

 

「私はね、ホーンテッド・マンション」

「2回も乗ってたもんね」

 

 姉が不気味なお化け屋敷のアトラクションが好きになるなんて、今日一日で一番意外な出来事だった。

 

「川島さん、結婚するのかな」

「結婚するとしたら、お姉ちゃんの担当外れちゃうね」

「う、さみしいな」

 

 タクシー乗り場に着いて、ちょうど停まっていたタクシーに姉を乗り込ませる。車椅子は畳んでトランクへ。私も乗り込んで運転手に姉の障害者手帳を見せる。

 

「新浦安までお願いします」

「はいよ。お姉ちゃん、車椅子だけどアトラクションは乗れたの?」

 

 姉は何も答えなかった。人見知りだし、こういう、ぶっきらぼうな喋りの男性は姉は特に苦手だった。私が代わりに答える。

 

「乗れたり、乗れなかったりですね」

「そうか、そうだよねぇ。俺もさぁ、6、7年前に、家族で遊びに行こうってんでチケット買ってたんだけど、階段でこけて骨折しちゃってさぁ、松葉杖でディズニーランド回ったけど、大変だったよ」

「はぁ」

「まぁ、もう治って今はピンピンしてるけど。お姉ちゃんもいつか乗れたらいいなぁ」

「はぁ、あの、ちょっと車止めてください……。止めろ!!」

 

 私はタクシーの中で叫んだ。運転手は驚いた顔をして、すぐに道路の脇に車を停めた。私は明らかに不機嫌な形相で、さっき積んだばかりの車椅子を取り出し、姉をタクシーから降ろした。

 

「降ります。お金は払います。骨折、大変でしたね。でも……、姉の障がいと、一緒にすんな!」

 

 500円玉を座席に置いて、叫んだ勢いでドアをバンッ!と締めた。運転手が慌てて去って行くのを見送り、姉の顔を見た。

 

「……愛ちゃん、おつりもらってないし、まだディズニーから全然離れてないし」

「……そうだね、もったいないことした。明日のお昼ご飯抜くよ」

「でもね、私も言い返してやりたかったんだ、ありがとう愛ちゃん。お昼ご飯は食べて」

 

 ドドドド、と音がして、振り返ったら遠くの方で花火が上がっていた。ディズニーランドの花火だろう。しまった、これだと、パークで見たかったと姉が悲しむかなと思った。でも、恐る恐る姉の顔を見たら平然としていて、黙ってスマホのカメラで花火の写真を撮っていた。

 

「帰ろう?」

「う、うん」

 

 私はキョキョキョロと周りを見渡したが、近くにタクシーが止まりそうな雰囲気もなかったので、そのままディズニーシーの方まで車椅子を押しながら歩くことにした。

 

「あの運転手のおじさん、女と子供にだけは強くいけるタイプだと思うな」

「かもね」

「愛ちゃん、あんなに強く言い返せるんだね。知らなかった」

「……まぁ、私の仕事も、変な客が来ないこともないからね」

 

 私がそう言ったら、姉は少し黙った。

 

「……みんな、ノアさんとか川島さんみたいな優しい男の人だったらいいのにね」

「……あ、あと、かざぽん」

「お姉ちゃん、かざぽん好きだね」

「大好き、かっこいいし、おもしろい」

 

 男の人がすごく苦手なのに、かっこよくて優しい男の人と、ディズニーランドの話をするときは、姉はすごく活き活きする。私は笑いながら、姉が語る「かざぽん」のテレビでのディズニーうんちくの受け売りに耳を傾けていた。空を見上げると、ディズニーシーの火山とお城の間で、まだ花火が上がっていた。

 

***

 

 パークの喧騒から遠く離れ、しかしながら、こちらはこちらで、夕食を求めに来た若者やファミリーたちでそれなりに賑わっていた。イクスピアリのクアアイナに、僕はいる。今まさにテーブルへ届いたばかりのアボカドバーガーを、ケチャップとマスタードで味付けして、大きな口を開けて一口齧りつく。うまい。アボカドの熟れ具合がちょうどよく、柔らかくて甘みがあった。もぐもぐしながら一眼レフの写真をチェックしてはBluetoothでスマホに転送して、Instagramへとアップする手はずを整える。今日はウェンデルがよく撮れた。渋みがあり、どこか間抜けで、可愛らしい。

 

「あれっ、こんばんは!こんなところに!」

 

 どこかで聞いたことがある声がして顔を上げると、なんとなんとなんと、熊谷さんがそこにいた、僕は何か喋ろうとして喉が詰まりそうになり、慌ててコーラを飲んだら今度はしゃっくりが出てぐっと鼻と目が熱くなった。

 

「す、すみません……えーと」

「あ、こちらこそ、すみません、新津って、言います」

「新津さん。まさか、こんなところで会うなんて」

 

 僕は熊谷さんがもしや後ろに彼氏なんか連れてやいないだろうかとキョロキョロ周りを見渡すが、どうやら一人だったようで少しだけホッとした。

 

「お向かい座ってもいいですか?」

「え!本当ですか、どうぞどうぞ、僕なんかでよければ」

 

 僕はトレーを自分の側に引き寄せ、熊谷さんが僕の向かいに座るのを黙って見つめた。熊谷さんの服装は、上下黒のアディダスのジャージという、かなりスポーティな格好で、キャストのコスチューム姿の熊谷さんとはまた違った良さがあった。

 

「あ、服ですか?すみません私ズボラなんで、今日もギリギリまで寝てて、部屋着のままで、えいやって来ちゃいました」

「え、部屋着……すごく似合ってます」

「なんかそれ、褒めてる感じがしないです」

「いやいや!超褒めてます!あの、なんていうか、アスリートみたいです!」

 

 僕はそう言ってごまかして、ポテトをつまんだ。なんだろう、この展開。今日初めてパークで出会って、顔を覚えられて、偶然イクスピアリでも再会、しかも、どさくさに紛れて自己紹介までしてしまった。

 

「あ、そういえば、熊谷さんって最近入られたんですか?僕、休業前までは年パスでずっと通ってたんですけど、見たことなかったなって思って。ただ、それにしては、キャストとしてその……すごくしっかりしてらっしゃるなと思って」

 

 熊谷さんは自分の頼んだハンバーガーを貪りながら僕の話を聞いてくれていた。ハンバーガーのバンズの向こうで、長い睫毛がぱちっとまたたく。その度に、星がキラッと飛び出して僕の胸に突き刺さるような感覚に陥った。

 

「私、5年くらい海底二万マイルのキャストだったんです。休業明けてからしばらく運休だったので、最初はセンター・オブ・ジ・アースにクロス……ヘルプに行ってたんですけど、ちょっと気持ち切り替えたいなとも思ったんで、異動してカンベアに」

「5年……すみません、失礼じゃなかったら……いーや失礼か、やめときます」

「なんですか?もしかして年齢聞こうとしました?私、28歳です」

 

 うっ、僕よりも4歳年上だった。

 確かに、そこはかとない「お姉さん感」は感じていたが、決して老けては見えない容姿だったし同い年くらいかな、というのを少し期待していた。熊谷さんは僕の表情を見て、はぁ、とため息をついてから、笑顔で聞いた。

 

「新津さんはおいくつなんですか?」

「あ、24歳です」

「じゃあ、私の4歳下ですね」

「あ、はい、よければタメ口でも」

「じゃあ、遠慮なく。新津さん。歳は聞いてもいいけど、その後の反応が、私は嫌だったよ」

 

 ズバッ、と言われた。

 嫌。なんと、こんなにもあっさりと嫌われてしまうのか。

 

「私が歳上だと、何か不都合ある?」

「……いえ、ありません」

「顔に『うっ』っていう表情が浮かんでたよ」

「そんなまさか」

 

 僕の顔はそんなに正直なのか。恥じろ、僕。

 

「4歳上ってだけで、おばさんだとでも思った?」

 

 そう言って、熊谷さんはパクパクとポテトを頬張り始めた。明らかにさっきとスピードが違う。さっさと食べて、この場を離れるつもりだろうか。

 僕は弁解したかった。彼女の年齢に、戸惑ったのは本当だ、でも。

 

「……熊谷さん、違うんです。僕は」

「何が違うの?」

 

 熊谷さんはポテトを口にくわえながら、僕の顔を一心に見つめて言った。怒っても、美しい顔で、僕から目を逸らそうとしない。この真摯な眼差しに、応えなければ。

 

「あの、僕は、熊谷さんが、同い年だったらいいな、と思ってました。今日初めて出会って、カンベアが好きな僕に、たくさんお話をしてくれて……、ぼっちオタの僕にも優しくて……、すごく素敵な人だと」

「それで、年齢を聞いてがっかりした理由は?」

 

 だめだ、熊谷さんの目力に負ける。僕は思わず目を逸らした。

 

「はい、あの……、やっぱり、僕は女性慣れしてないというか……、年上の女性は僕なんか相手にしてくれないだろうな、っていう……そういう」

 

 熊谷さんはまたもや、はぁ、とため息をついた。

 

「そういう先入観はなくさないと、失礼だよね」

「……すみません」

「それに、4歳くらいの年齢が何?って感じ。現に、私は新津さんの年齢なんか知らなくても、声をかけたし、今まさに相手をしてる」

「そ、それは……キャストとゲストだからかな、と……」

「ただのキャストとゲストだったら、仕事終わりにわざわざ話しかけないよ」

 

 そう言って、熊谷さんはアイスティーの蓋を取ってシロップとミルクを入れた。透明な濃いオレンジ色の液体が、薄茶色へと変わっていく。僕はうつむきながら、次に熊谷さんにかける言葉を考えた。考えていたら、なんとなく熊谷さんの言葉が引っかかった。

 

 ちょっと待て、今の話の流れは、僕に興味を持っていたってことで、いいのか?

 

「へ?」

「へ?どうしたの?」

「あ、いや、頭がちょっとこんがらがって……へ?」

 

 熊谷さんは、またもやぱちぱちと、まばたきをした。どうにも不思議そうな顔をして僕を見ている。変な奴と思われたかもしれない。

 

「あ、すみません……」

 

 僕はまたもやうつむいて、アボカドバーガーをかじりながら、次の展開を考えた、何を話せばいい?というか、さっきの話はあれで終わりでいいのか?もう何が正解か全くわからなかった。

 

「新津くんはインスタやってる?」

「あ、はい、やってます」

「交換しようか」

 

 熊谷さんは、インスタのアプリでQRコードを表示した。僕はギョッとなりながら急いでスマホを向けて読み込み、熊谷さんのプライベート・アカウントにフォローリクエストを送る。

 

「すごい、新津さん、カンベアばっかり」

 

 熊谷さんが感嘆の声をあげ、僕は照れながらも少しだけ誇らしく思った。

 

「……生きがいなんで」

「もし次来るときは教えてね」

「え!あ、はい、すごくうれしいです。絶対連絡入れます」

 

 ギュイーン、と背筋が伸びる気持ちがした。心臓はドクドクと早いビートを刻んで全身の骨を響き渡っている。今ならベアバンドにもパーカッションで参加できそうだ。

 熊谷さんはアイスティーを片手に、空っぽになった残りのトレーは返却口に返して、「お先に」と声をかけて帰っていった。今目の前で起きた出来事が一瞬で理解できずにぼーっとしていたら店員さんに不安そうに声をかけられたので、慌てて店を出た。

 

 ああ、カントリーベアたちよ。君たちは縁結びの神だったか。七福神ならぬ、十八福神。熊に、感謝を。熊を、讃えよ。

 いや、よくよく考えたら何も進展していないのだが、少なくとも僕と熊谷さんは、顔見知り以上の存在には、なれた、はず。

 

 シネマイクスピアリ前を抜けてディズニーストア横のドアを出るとセレブレーションプラザという天井のないエリアになっている。そこで深呼吸して外の空気を吸ったら、ドドン、と花火が上がる音がした。花火、感染症禍で打ち上げをやめてから、いつのまに復活したんだろう。そういえば、花火を見るのもかなり久しぶりだなと思って、見ようと思ったがここからは見えなくて、体だけをカンベアの方角へ向けて、二拍手一礼をしたら、通りすがりのカップルに白い目で見られてしまった。

 

***

 

 私たちはフラペチーノを飲み干しても、まだダラダラと語り続けていた。晴華がふわぁ〜っと欠伸をして、私に聞く。

 

「次の勤務は、来週土曜?」

「明日は休み。水曜に単発でクローズ4時間入ってるけど、その日面接もあるから行きたくないなぁ」

「大変だね、あたしは水曜9時からだから代われないわ」

「うん。大変、でもやんなきゃ」

 

 晴華はフリーターだから、契約時間が私より長くて、一日の勤務時間も、日数も多い。それでも結構減らされた方だ。晴華はちょっと眠そうな顔で虚になって、突然話題を変えた。

 

「そういえば、こないだメッセした話。中学生の家出少女拾った話」

「晴華は色々拾うね、子猫とか」

「子猫は拾ったことない、アレルギーだから」

 

 晴華はスマホを眺めながら、少しだけ不安そうな顔をした。

 

「あの子、何かあったら連絡するって言ってたけど、大丈夫かな」

「ちゃんと家に帰ったんじゃない」

「だといいんだけどな。なんか、昔の自分思い出しちゃったわ」

 

 私は晴華の少し切長な目を見つめて、なんだか切なくなった。深くは追求したことがないけど、晴華が今の自由なフリーター生活に辿り着くまでに、それなりに大変な日々があったのだろうなと、時々思う。いつも元気いっぱいで、冗談の連続で私を楽しませてくれる晴華にも、辛い時があるんだろうか。大親友で、何でも知ってるつもりだったけど、まだまだ私の知らない晴華もいるんだろうな。平凡な人生を歩んできた私には想像もつかないような何かが。だからこそ、14歳の家出少女をほっとけないんだな。

 

 突然、シンデレラ城の向こう側で花火が上がった。私たちは驚いてそちらを見つめる。

 

「あれ、今日花火やるって言ってたっけ?」

「聞いてない聞いてない、間違えたか?」

「えー、間違えて花火打ち上げるかね。なんか不思議、ゲリラ花火かな」

 

 イクスピアリを歩く人たちは、花火に気づいていないかのように談笑したり、舞浜駅へと急いでいた。

 

「……働き始めた時は、仕事終わりによく一緒花火見てたね」

「懐かしいなぁ」

 

 予告なしの突然の花火を、私たちは心を奪われながら眺めていた。こんなモラトリアムな時間が、ずっと続けばいいのに。

 キャストになる前は、パークで働いてしまったら夢と現実の境目が曖昧になって苦しむんじゃないかと思ってたけど、就活を始めてみたら、現実の方がよっぽど厳しかった。私にとってはパークですら現実だけど、キャストの仕事と現実の仕事には、やっぱり超えられないような深い溝があるような気がする。いや単純に、アルバイトと正社員という違いなのかもしれないし、私はまだ「就活」の段階だけど。

 立ち上がって、伸びをする。私と晴華は二人で目を合わせて、何も言わずにスタバの空っぽのカップをイクスピアリのトラッシュカンに捨てた。私たちの舞台である王国に背を向けて、舞浜駅の改札をくぐった。

 

***

 

 蒸し暑い。髪の毛からポタポタと水滴を滴らせながら、あたしらはワールドバザールを歩く。いつメン4人での初めてのディズニー、いろいろあったけど楽しかったやんね。そして、きっと明日も楽しいやんね。なんかハム太郎的なこと言ってもた。へけっ。

 

「濡れたなぁ〜」

「明日の服どうしよ、乾くかな」

「シーに制服は合わんて。うちの勝手なイメージやけど」

「せやな、なんかおソロの服着る?」

「ワンチャン私服でええような気がしてきた」

 

 ショーウィンドーを眺めていたら、ディズニーキャラクターのカラフルな服たちが目に入って、どれも可愛くて着たいような、どれも着る人を選ぶような、不思議な気持ちになって、朝にカチューシャを選んでたときみたいにお店から出れへんくなるんちゃうかな、と思った。

 

「今日はホテル帰ろ、明日とりあえず私服でシー行って、そっから考えよ」

 

 あたしはスマホで時間を確認してから呟いた。三人とも特に反論はなさそうだし、顔から疲れが感じ取れた。

 パークを出て、歩いてたキャストのお兄さんにホテル行きのバスはどこから出るのか聞いたけど、パークからホテルへは直通のバスが出ていないらしくて、朝みたく歩いて帰るか、一旦モノレールで一駅移動してから、ホテル行きのバスに乗る必要があるらしい。もう歩くのしんどいよな、ってなって、時間もお金もかかるけどモノレール経由バス乗車でホテルまで帰ることに決めた。どうせ明日シーに行くしと思ってみんなで2日フリーきっぷを買って、水色のモノレールに乗った。モノレールの車両は窓もつり革もミッキーの形で、ソファでさえも黒、赤、黄色のミッキーカラーだったけど、疲れ果てていたあたしらは写真を撮る元気もなく、ただ駄弁ってた。

 

「明日シー楽しみやな。タワー・オブ・テラー乗りたい」

「うちあれ、なんやっけ。怪獣出て来るやつ」

 

 ホノカがつぶやいた。カスミもリサも、あたしも首を傾げた。

 

「怪獣?そんなんある?」

「インディ・ジョーンズ?海底二万マイル?」

「えっとな、海底二万マイルの近くにある、ジェットコースターみたいやねんけどな、はじめキラキラしててばり綺麗とか思ってたら、いきなり警報鳴って溶岩のなか突っ込んで行って、怪獣出てくるねん」

「ぜんぜんわからん」

「新しいやつ?」

「ちゃうって!多分やけど昔からあるって、火山のところのやつ。めっちゃ楽しいねんで。明日絶対乗ろな」

「あたし、ソアリンも乗りたい」

「トイ・ストーリーも」

「タワー・オブ・テラーと、ソアリンと、トイ・ストーリー・マニアとー、怪獣……おっけー、約束な」

 

 ベイサイドステーションという、ホテル最寄りの駅に着く。プシューと音がしてドアが開いて、モノレールを降りる。この駅からの景色は、大きなクレーンがいくつも突き出ていて、至る所で工事が行われているみたいだった。遠く向こうに、シンデレラ城がかすかに見える。

 

「めちゃくちゃ工事しとるやん」

「アナ雪作ってるらしいで」

「うそやん!マジ!?」

「ほんまやで、ニュースなっとった。シーがエリア増えるねんて。あ、あれ、シーの火山」

 

 カスミがシーの火山を指差す。すると、火山とシンデレラ城のちょうど中間くらいで、花火が上がるのが見えた。ドーン、と大きな音も聞こえる。

 

「アナ雪できたら、またみんなで来ような」

 

 リサが花火にスマホを向けて写真を撮りながら言った。あたしは頷く。

 

「約束やで」

「でも、もう喧嘩せんとこな」

「それも、約束な」

「またテリヤキチキン食べよな」

「それ、絶対な」

 

 工事現場の向こうに上がる花火に見とれながら、あたしはポケットの中のミッキーアイスキャンデーのバッグチャームをぎゅっと握りしめた。

 

***

 

 閉店間際のプラズマ・レイズ・ダイナーでグローブシェイプチキンパオを買ったおれは、ありがとうございます、と閉店作業をするキャストに声をかけて、駆け足で店を出た。

 店舗の前でキョロキョロと周りを見回すけど、芹那の姿はない。まだトイレから戻って来ていないみたいだった。高校生の頃に行った時は、まだこの店はプラザ・レストランという名前だったと思う。その頃も今と変わらず、トゥモローランドには似つかわしくないような気がする丼もののフードとかが売られていて、その頃もまた、おれはグローブシェイプチキンパオを買っていた。

 付け合わせのシュリンプサラダを一口つまんで食べていたら、芹那が戻って来た。

 

「龍之介くん、ごめんお待たせ。それが、例の?ミッキーシェイプチキンパオ?」

「グローブシェイプチキンパオ。ミッキーのグローブの形だからグローブシェイプ」

「あ、そうか。っていうかミッキーの手ってあれ、手袋してるんだね。写真撮ってもいい?」

 

 芹那はスマホを出してチキンパオを写真に収める。単体で撮った後は、おれがかぶりつこうとしてる瞬間を写真に撮りたいと言って、ちょっとした小芝居をさせられた。

 

「ステイステイ、おっけー。食べてもいいよ」

「おれは犬かよ」

「あはははは!ちょっと歩こうか。リンゴ食べていい?」

「いいよ。イチゴ嫌いだから、イチゴも食べてよ」

「え!イチゴ嫌いなの。人生損してるね〜〜〜」

 

 芹那は付け合わせのカットフルーツからイチゴをつまんでパクッと一口で食べた。おれはチキンパオにがぶっとかぶりつく。一気に半分になってしまって、昔もこんなに小さかったかな?と思い返した。

 シンデレラ城の前まで出て来て、芹那がスマホでパシャパシャと写真を撮る。おれは芹那のそばを離れて、トラッシュカンまで歩いて、食べ終えたチキンパオのゴミを捨てた。

 

「あの、写真撮ってもらっていいですか?」

 

 若いカップルに声をかけられた。内心ちょっとだけ戸惑いつつ、いいですよ、と返事をしてシンデレラ城をバックに二人を撮影する。スマホを返して、ありがとうございますと言われて、彼らがその場を離れる。おれは芹那の近くに戻った。

 

「芹那ちゃん」

「ん?」

「さっき、今日初めて知らない日本人に、日本語で話しかけられた」

 

 芹那はそれを聞いて、ぷっ、っと吹き出した後、咳払いした。

 

「ごめんごめん、笑うことじゃないよね」

「そうだね」

 

 おれは振り返って、さっきのカップルの向かった方を見た。どうやらもう、ワールドバザールの方までたどり着いていて、今ちらほらと見えている人影の、どれがさっきのカップルかはわからなかった。

 ドン、という大きな音と、明るい光を背後で感じて、おれは振り返えった。花火だ。昔ディズニーで花火を見た時は、事前にアナウンスが流れたり、ディズニー映画の曲がBGMで流れたりしていた気がするけど、今日の花火はなんだか唐突で、ちょっとだけ驚いた。

 

「わ、花火」

 

 不思議だった。周りにちらほらといるゲストは、ちっとも花火に気を止める様子もなく、まだ動いているアトラクションを探しに向かったり、ワールドバザールへ向かったり、シンデレラ城を写真に収めたりしている。まるで、おれたち二人にしかこの花火が見えていないかのようだった。この不思議な現象は一体なんなんだろう。

 

「花火、綺麗に撮れてる?」

「撮れてる撮れてる。あれ、なんでだろ、保存できてない」

「えっ」

 

 ちょっとだけ背筋がぞくっとした。おれたちだけしか気づいていない、写真に残らない花火。しかし、こんなに優しい、ラッキーな怪奇現象があるだろうか。おれはオホン、と咳払いをして、このことを芹那に伝えるのはやめておいた。

 そうだ、でも。他の人たちには見えていないこの花火を、おれたち二人だけが見えているというのは、もしかしたら、何かしらの神の啓示的なアレなのかもしれない。正直おれは無宗教だけど。心臓がドクドクと脈打ちながら、おれは震える唇で言葉を発した。

 

「芹那ちゃん、あのさ、おれたち付き合ってみない?」

 

 芹那がこちらを見て、スマホをかざす手を止めた。ちょっとぽかんとした顔で、おれを見つめた後、ゴクリと唾を飲んで、キリッと真面目な表情に切り替えて言った。

 

「その昔、偉い人は言いました。『やるか、やらぬかじゃ。やってみるなんてものはない』」

 

 それ、こんな感じの時に言うことか?おれは、自分の告白に変な汗をかきつつも、突如脳内に緑色の小さな宇宙人が登場してしまって、思わず吹き出した。それでも芹那は大真面目な表情を続けていた。おれも再び咳払いをして、表情を作り直す。

 

「ちゃんと言って」

「芹那ちゃん、おれと付き合ってください」

「いいよ」

 

 芹那はそう言うと、おれの腰に手を回して、胸にコツン、と頭を預けた。さっきと同じ、甘い、シャンプーの匂い。おれは不器用な手で芹那の肩と、頭を包み込んで抱きしめた。

 

「にゃはは、ディズニーランドの、シンデレラ城の前で告白。自慢できるわ〜」

「おれも、芹那ちゃん美人だから、超自慢できる」

「いいよ〜、どんどん自慢して」

 

 おれたちは手を繋いで、シンデレラ城へ向かって手を繋いで歩いた。おれたちにしか見えない花火は、二人の門出を祝福するかのように勢いを増して、けたたましく鳴り響いた。ディズニーランドの魔法か、幻か。奇妙で、本当に、不思議だ。

 だけど、ありがとう、きっかけをくれて。

 

***

 

 すっかり日が落ちていた。夜になっても涼しくなることはなく、まとわりつくようにじめじめと暑さが襲いかかってくる。朝は開園前から来ていたから、体力には自信がある僕も流石に疲れてきていた。ハチミツ味のポップコーンをつまみながら、隣を歩く恋人の顔をちらっと見て、僕は問いかける。

 

「僕らもそろそろ帰ろうか」

「そうだね。もうちょっとしたら。Do you wanna fly?」

「え、ノア?」

 

 この男の体力には底がないのだろうか。ノアはてくてくと軽快に歩いて、すっかり列の短くなった「空飛ぶダンボ」のアトラクションの前までやって来た。

 

「This is my favorite.」

「Nice, but this is the last one, OK? I'm exhausted.」

「Oh, fair enough.」

 

 昼間は子供達が多くて並ぶのをためらっていたけど、この時間帯は待つことなく乗れて、乗り込むライドも自分たちで選べた。ノアは「My color」と言って、ピンク色のダンボを選んで乗り込んだ。僕もそれに乗り込む。

 ゆっくりと、ライドが動き出し、反時計回りに旋回する。ノアがレバーを動かしてライドを上下に操作する。僕は浮遊感を感じた。周辺のカルーセルなどのアトラクションの灯りがキラキラと輝いていて、高いところからそれを眺めると、なお美しく見えるな、と僕は感じた。すると、背後で大きな音が鳴るのが聞こえた。

 

「Wow! It's fireworks!」

 

 ノアが興奮してフォーッ!と高い声を上げた。前のライドに乗っていた女子高生が振り返ってこちらを見る。それでもノアはお構いなしだった。僕はノアとともに旋回しながら、花火の方を見つめた。ゆっくりとスピードが落ちてライドは下降し、僕らも地面に降り立った。花火はもう終わったのだろうか。

 

「あー!楽しかった!It was amazing, wasn't it?」

 

 僕はニコッと笑って頷いた。ファンタジーランドはもう人がほとんど残っていなかった。「空飛ぶダンボ」のライドは次のゲストを乗せて、再びゆっくりと動き出す。まばらに残った、おそらく付き添いゲストたちも、そしてキャストも、空に舞い上がったダンボの機体に視線を向ける。僕はさりげなくノアの手を掴んで、彼の注意を引いた。ノアの美しい顔が僕の方を向いて、ブルーの瞳が僕を捉えた。この瞳で見つめられると、僕は、吸い込まれそうになる。

 

「どうしたの?はじめ……」

 

 僕は彼の質問には答えずに、そっと背伸びをしてノアの唇にキスをした。ゆっくりと、長い時間をかけて。掴んだ手をお互いしっかりと絡ませたら、もらったばかりの指輪同士がカチッと音を立てて触れた。視界の隅で、アトラクションの動きが止まるのを感じる。きっと、空の旅を楽しんだゲストたちが降りてくる。子供達もいるかもしれない。でも、僕にはもう、どうでもよかった。

 再び背後で大きな音がして、これまで以上の特大の花火が打ち上がった。僕ら男性二人のキスが、まばゆい光に照らされる。ノアがゆっくりと唇を離した。果たして、どれくらいの時間だったんだろう。とても長く感じた。

 

「……It IS amazing.」

 

 ノアがふふっと笑って言った。

 

「さぁ、帰ろう」

 

 ノアが頷く。僕たちは手を繋いだまま、ゆっくりと歩いて帰路に着いた。なんだか、いろんなことがあった一日だった。

 もう迷いはない、とは言い切れない。きっとこれからも、想像もつかないような困難が待っているんだろう。でも一つだけ、僕はノアと二人で幸せになると決めた。

 シンデレラ城をくぐり抜けて広場の真ん中で後ろを振り返った。グレーと水色の巨大な城が、闇の中でほのかな光に照らされながら、僕たちを見下ろしている。人々を惹きつける、圧倒的な力。存在感。きっとこの夢と魔法の王国では、どんな迷子たちも心を絆される。問題は解決しないかもしれない。それは逃避という安易な答えかもしれない。夢とか希望とか、耳障りのいいオブラートに包んでくれるだけの都合のいい優しさ。

 それでも僕らは、ここから一歩を踏み出すことができた。偽りの魔法の羽を使って、自分の力で羽ばたくことに決めたんだ。東京ディズニーランドでもらったこの勇気を、決意を、僕は次に、誰に分けてあげることができるだろうか。

 

 空を見上げると、パークの灯りのせいで紺色に見える夜空を、弱々しく月が輝いていた。乾いた鳴き声がして、カラスが群れをなして飛んでいく。僕はそれを目で追いかけて、固く結んでいた恋人の手を再び強く握った。

 

 

 

 

エピローグ「迷子たちは花火を夢の国で見たかった」おわり

Epilogue - Fireworks, Should We See It in the Dream or the Reality?

 

 

 

東京ディズニーランド小説『王国の迷子たち』完

 

 

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東京ディズニーランド小説『王国の迷子たち』