この小説はフィクションです。実在の人物や団体、テーマパークなどとは一切関係ありません。
また、某所にすでに存在しないアトラクション、グッズ、メニューなどが登場する場合があります。
2021年9月に新型コロナウィルスの脅威がひと段落し、登場人物たちがマスクなしで生活している架空の時間軸を舞台としています。歴史的事実と若干の乖離があることを理解してお読みください。
こちらの小説は作品投稿サイト NOVEL DAYS でもお読みいただけます。
***
ディズニーランドのシンデレラ城の前でプロポーズを画策する男性は多いと思う。でも、プロポーズ「される」男性は、この世の中にどれほどいるだろうか。しかも、男性に。
「はじめ、結婚しよう。一緒にイギリスに行って、そこで暮らそう」
僕は嬉しい気持ちよりも先に、周囲からの目線を気にしてしまった。目の前にいる恋人が用意した、小さなダイヤモンドつきの指輪を僕は彼の手で包んで慌てて隠す。恋人の顔に失望の色が浮かぶのがわかった。
「ちょっと、隠してよノア。気持ちは嬉しいよ。でもここは、ちょっと」
幸い、周囲のゲストたちは、自分たちがいかに上手にシンデレラ城ととともに写真に写るかに一生懸命で、日本人男性がイギリス人男性に、今まさにプロポーズされている現場には気づいていないようだった。残暑の残る9月の東京ディズニーランドは、やっと落ち着きを見せたばかりの感染症の影響もあり、人もまばらだった。
ノアとは付き合って3年になる。大学の教育学部で知り合い、卒業後も1年間は友達として過ごした。僕が当時付き合っていた女性の恋人と別れた後、同棲をやめて転がり込んだ先こそが、ノアの住んでいたアパートだった。当時はまだ、自分のセクシュアリティを認識してはいなかったし、ノアがゲイである事も知らなかった。
というか、僕は今なお自分がゲイであるとは思ってない。バイセクシャルであるのかもわからない。男性が性的対象になったというよりは、好きになった人がたまたま男性だったというだけだ。友人として、同居人として過ごすうちに芽生えた、今までにない熱い気持ちは、当初は「好き」だとは思いもしなかったが、彼からのカミングアウトと、恋人と別れてぽっかり空いた穴を埋めてくれていたのが、ノアの存在だと事に気づいた時、僕は彼を受け入れた。
ノアはいわゆる日本人が想像する「外国人」を絵に描いたような人物だ。柔らかなくせのある、少し茶色味がかったブロンドの髪、ブルーの瞳、白い肌で頬にはそばかすをたずさえている。今は私立中学で英語教師をしていて、男女問わず生徒からは人気が高いが、その容姿の淡麗さから、特に女子からは絶大な人気を博している。同性と恋愛関係になることなど一切頭になかった僕が、抵抗なく彼の気持ちを受け入れることができたのも、彼の美しさと清潔感からくる憧れに近いものがあったからだと思う。192cmの高身長で、179cmある僕よりもずっと高い。すらっとしているが、細身に見える身体にはしっかりと筋肉がついている。特別ジム通いなどをしているわけではないが、プライマリー・スクールの頃からバスケットボールを続けていて、今でも地元のバスケチームで主力のセンターポジションとして活躍している。
「バスケを始めたとき、パパには『イギリス人のくせにサッカーをやらないなんて親不孝ものだ』と言われたよ」
そう彼が話していたのを覚えている。ノアはバスケットボール以外にも、アメリカ文化に深い造詣を持っており、お気に入りのバンドはニルヴァーナにソニック・ユース、ダイナソーJr.で、90年代USオルタナティヴ・ロックをこよなく愛しているし、セカンダリースクールを卒業した後は単身16歳でアメリカへ渡り、カリフォルニアのコミュニティカレッジで映画制作を学んだらしい。その後、彼曰く「映画制作における壮絶なハートブレイクを経験した」とのことで、どういうわけか僕と出会うこととなる東京の小さな私立大学の教育学部にやってきた。何故日本を選んだのかと聞くと、カレッジでのアカデミー賞外国語映画賞の歴代作品について学ぶ授業で鑑賞した『おくりびと』の本木雅弘が忘れられなかったから、との事だった。
一方の僕は、ノアのお気に入りの本木雅弘とは似ても似つかぬ容姿だ。色艶だけはある黒々としたマッシュルームヘアで、重たい一重瞼の垂れ目に薄い唇という、典型的な塩顔男子だ。身長こそ高い方だが、ひょろひょろとした身体には筋肉はほとんどついていない。子供の頃から、いじめられることこそないが、常に輪の中心から少し外れたところにいて、周りの行動に従うだけのおとなしい人間だった。
教育学部を卒業していながらも教職にはつかず、たまたま履修していた社会福祉の科目により社会福祉主事任用資格を持っていたため、市の職員として、人材不足甚だしいケースワーカーの仕事に就くことができた。
しかし、人助けのために働くという理想は、採用されて1年目に儚くも崩れ去った。生活保護というものは、本当に必要としている人にはなかなか届かず、一方でやくざ絡みの不正受給も横行している。厳しい受給基準と煩雑な事務手続きという壁もある。家庭訪問時にヒステリックに泣かれたり、怒鳴られることなどは日常茶飯事、暴力を振るわれそうになることもあった。ケースワーカーの仕事は激務なだけでなく、身体的な危険と隣り合わせで、精神を削られる仕事だ。帰ってきて夕食も食べずに寝て、朝また仕事に行くだけのような、文化的とは程遠い生活の中で、ノアの存在は僕の心の支えだった。
「ショックだ。ひどいよはじめ」
プロポーズ失敗の精神的ダメージは、僕には想像もつかない。僕だってまさか、こんな公衆の面前で、男女が行うようなプロポーズを、日本の、東京ディズニーランドでされるなんて思ってもみなかった。ノアのことは好きだ。「愛している」に近い感情を持っている。それでも、ここ日本という国にいると、同性愛者として生きることの肩身の狭さを感じざるを得ないし、ましてや結婚なんて、プリンセスになるのと同じくらい現実味のないことだ。
「ごめん、ノア。ノアのことは……好きだけど。結婚なんて考えたこともなかった」
容姿端麗な恋人の表情に、さらに失望の色が浮かぶ。僕は思わず目を逸らしてしまった。
「家で、改めて話そう」
「OK, I'll zip my lips.」
ノアはそう言うと、黙ってシンデレラ城へ向かって歩き出した。歩幅が大きいのでどうしても早歩きになる。壁を彩るモザイク画には目もくれず、ノアはツンとした表情で歩いていた。ファンタジーランド方面へ抜け、ノアと僕は「ミッキーのフィルハーマジック」の列に並んだ。映像が始まるまでの30分の間、僕らは一言も発することなく、気まずい時間を過ごした。映像が始まってしまえば、シアタータイプのアトラクションだから、ただ座って頭の中を整理するのにはいいのかもしれない。目の前で繰り広げられる、ドナルド・ダックの大騒動よりも、僕は自分の将来のことを考えた。映像の終盤、ティンカー・ベルと鐘の音を鳴らすビッグ・ベンが現れ、CGで再現されたロンドンの街並みをピーターパンが舞う。
イギリスで暮らす、か。
「ドナルド、可愛い。楽しかったな」
シアターを出ると、ノアは何事もなかったように感想を伝えてくれた。花壇の縁に腰掛け、マップを開く。
「I'm starving. How about you?」
「Sure. What do you wanna eat?」
「I'm curious about this waffle sandwiches, maybe.」
僕は頷く。ノアとの会話には時々英語が混ざる。おかげで英語がそれほど得意ではない僕も、簡単なリスニング程度なら理解できた。ノアの発音はブリティッシュ寄りだが、アメリカに数年滞在していたこともあって、時々アメリカ英語的な発音ニュアンスを含むことがあった。
僕ら2人はウエスタンランドの奥地にある「キャンプ・ウッドチャック・キッチン」へと向かった。ワッフルサンドのセットを2種類注文し、2階席へと向かった。ノアはどうやらダック・ファミリーに関心を抱いているようで、食事を終えるとレストラン内の様々なプロップスを写真に収めていた。
ノアが写真を撮っている間、ひとりでスマホを片手にアイスコーヒーを飲んでいると、近くの席の男女の会話が聞こえた。
「……でさ、なんかベタベタしてんだよその二人」
「男同士で?」
嫌な予感がした。男女のうちの男の方はニヤニヤしながら饒舌に喋っている。
「俺は思ったね。あの二人はホモだって。二人ともヒゲ生やしてて短髪でさ、ちょっとガタイがいいんだよね」
「そんな絵に描いたようなゲイ、今時いる?」
「そもそも男同士で二人でディズニーに来るやつなんか、ホモに決まってるよ」
「さっきからホモホモ言ってるけど、ゲイだよ。ホモは差別用語」
背中を冷たい汗が流れて、身体中を悲しみと失望が走るのがわかった。これが現実だ。一般人にとって、ゲイとは自分と住む世界の違う人種で、差別対象で、忌むべき存在なんだ。女性の方はまだ理解があるようだけど、男性の物言いは確実に僕らゲイ・セクシャルを嘲笑する言い方だった。僕は俯いて、違うことを考えようと必死に頭を巡らせた。巡らせたけど、今度はさっきのノアのプロポーズを思い出して顔が赤くなった。
少し離れた後ろの席でガタンと音がするのがわかった。車椅子と、床に倒れている女性が目に入る。ソファー席から車椅子に移動するのに、失敗して倒れてしまったのだろう。本来であれば駆け寄って手助けするのがケースワーカーの鏡であろうが、キャストがそちらへ様子を見に行くのが見えたし、見知らぬ男性に手助けされるのは女性にも抵抗があるかもしれないと、思いとどまった。向き直ると、僕の真横を190cmの巨体が素早く通り過ぎるのを感じた。ノアだ。彼はこういうのを放っておけないたちなのだ。少しだけ罪悪感を感じながら、ゆっくりと立ち上がって、ノアが向かった車椅子の女性の方へと向かう。女性はノアによって軽々とお姫様抱っこされ、車椅子におさまった。周囲のゲストが拍手をしてノアを讃えていた。キャストは女性にお怪我はないですか?と声をかけている。
「川島さん?」
思いがけないところで突如名前を呼ばれて驚いた。車椅子の女性の向かいに、見覚えのある女性がいた。改めて車椅子の女性の方も見る。普段とは違い、しっかりと化粧をしているが、よく知っている2人だった。
「有田さん」
「こんなところ……、すみません。会うなんて」
「D'You know each other!?」
ノアが驚いた声をあげた。2人の女性は気まずそうな顔をしているし、僕も正直気まずかった。キャストは僕ら4人を順番に見つめてから、会釈して去って行く。
有田姉妹の姉・車椅子の方の有田 優は、僕が担当している生活保護受給者だ。僕に話しかけたのは妹の有田 愛。有田一家は、優が高校2年生の時に自動車事故に巻き込まれ、両親が亡くなり優は半身不随となった。僕が担当を受け継いだ頃は愛はまだ高校卒業前だった。もう4年近くの付き合いとなる姉妹である。
彼女たちが気まずそうな顔をするのは当然だろう。生活保護受給者がディズニーランドで遊んでいるのを、生活保護担当職員に見られたのだから。
「僕が仕事で担当してる有田さんだよ、ノア」
「そうなんだ!はじめまして」
ノアは愛と優、それぞれと握手をした。僕は何を言おうか、言葉に迷っていた。言葉に迷っていたら、愛が自分から切り出してくれた。
「この、今日遊びに来たのは、たまたま友人からチケットをもらって。本当に贅沢はしていないので……」
なんとなく「チケットを貰った」というのは嘘のような気がした。20歳を過ぎたくらいの、遊び盛りの若い女性に「ディズニーランドへ遊びに来た」というだけで、言い訳をさせてしまうこの世の中の状況と、そうさせてしまう職業についている自分が憎らしい。彼女の口からこぼれ出た言葉は、障がいを抱える人たちに、健康で文化的な生活を提供したくて働いていたはずの自分の、普段の仕事ぶりの反映だ。「生活保護を貰いながらディズニーランドで遊ぶなんて」と、一瞬でも頭によぎった自分が、悔しい。
「息抜きは必要ですよ。気にしないでください」
少しだけ、泣きそうになる笑顔で僕は言った。
「今日は2人とも、いつもと雰囲気が違いますね」
普段、家庭訪問で会う時は2人とも化粧をしていないので、いつもよりずっと美人に見えた。特に愛の化粧はこなれていて、実年齢よりもぐっと大人っぽく、セクシーに見えた。褒めたつもりだったが、皮肉に取られてしまったらしく、愛はただ、すみませんと一言つぶやき、うつむいた。僕は余計に悲しさを感じる。この空気の重さと気まずさを、ノアも気づいていたが、彼はあえて空気を読まないところがある。わざととぼけたようなトーンで、なんであなたが謝るの?と言った。
「えーっと、じゃあ私たちはこれで……」
「ノアさん、本当にありがとうございました」
優が改めてお礼を言い、ノアも大げさなウィンクで応えた。気まずい時間もこれで終わるかと思ったが、車椅子を押そうとする愛の手にノアが優しく触れた。
「下の入り口まで送りますよ。はじめの大切なお友達ですから」
そう言うとノアは車椅子を押し始めた。僕と愛は顔を見合わせる。愛の頬が少し緩み、気まずさが少しだけ解消するのがわかった。エレベーターで1階まで行き、レストランを出るとノアが突然叫び出す。
「What!? ドナルドと写真が撮れるところがあるの!?優さん、愛さん、みんなで行きましょう」
「ノア、ちょっと」
ここまでくると、わざとなのか天然なのか僕にも判別がつかなくなっていた。ノアは優の車椅子を押しながら、ドナルドダックに会えるというウッドチャック・グリーティング・トレイルの入り口の方へ向かっていった。あまりに早く移動するので、僕と愛は2人で取り残されてしまった。
「ノアさん、すごく素敵な人ですね」
「うん、まぁ」
「姉を抱きかかえた時、本当に王子様かと思いました。一緒にディズニーランドに来るって、すごく仲がいいんですね」
僕は返答に困った。ノアは確かに完璧な男性だ。容姿端麗で、賢く、紳士的。倒れた女性を助けるという行為を、実に自然に行うことができる。一方の僕は、福祉の仕事についていながら優が床に倒れた時に、見て見ぬ振りをしようとして、生活保護受給者の、いっときの贅沢に水を差すような感情を抱いていた。
「かっこいいんです、彼は。僕の憧れです。本当に王子様みたいで」
思った言葉が口に出てしまった。冗談みたいなトーンには聞こえなかったと思う。僕は愛の顔を見る勇気がなく、ノアと優が消えた道を早歩きで追いかけた。グリーティング施設の入り口で、ノアと優は待っていた。ノアはひどく残念そうな顔をしている。
「抽選が必要なんだって」
「それは残念だったね」
「ドナルド、お好きなんですね」
愛が言うと、ノアはドナルドの真似のしわくちゃな声で「Absolutely.」と言った。そんな特技があったとは。
「優さんと話をしました。車椅子で行けるところは限られているし、乗り物は大変らしいから、シンデレラのお城の中に行きましょう」
「ちょっと待って、勝手に決めないで、ノア」
「そんな、ご迷惑じゃないですか?」
知らないうちに、ノアと優は意気投合していた。僕と愛だけがまだ微かに残る気まずさの靄の中にいる。結局、僕たちは4人でシンデレラ城へ向かい、「シンデレラのフェアリーテイル・ホール」というウォークスルーのアトラクションの中へ入った。シンデレラ城の中に入るのは何年振りだろうか。子供の頃、ここがまだ「シンデレラ城ミステリーツアー」という怖いアトラクションだった頃に1度だけ訪れたことがある。フェアリーテイル・ホールはそんな恐怖の面影などは全くなく、可愛らしい雰囲気に様変わりしていた。
「見て!!!ジャックとガス・ガス!」
ノアは柱から顔を出したネズミの人形に興奮して、さながら子供のようだった。車椅子を押されている優も、ノアのテンションに圧倒されているのか、終始笑いっぱなしだった。優が僕の仕事中にこんな楽しそうな表情を見せたことは一度もない。僕もずっと黙っているわけにもいかず、気まずい空気を打ち破ろうと愛に話しかける。
「愛さんは……、お仕事順調ですか?」
「ええ、まぁ」
「飲食店ですっけ?」
「そうですね」
思ったより会話が弾まない。そりゃそうだ。ケースワーカーに仕事のことを聞かれるのは、探りを入れられてると思われても仕方がない。愛は優に対して法的拘束力のある扶養義務こそないが、それでもまだ年端もいかない頃から生活保護の姉と接してきた身だ。慎重にもなるだろう。となると、やはり話題の中心は「彼」になる。今僕らの気まずさを中和しているのは、紛れもなく彼だからだ。
「ノアさんとは、どこでお知り合いになったんですか?」
「僕と同じ大学だったんです。学部も一緒で。出会った時から今くらい日本語ペラペラだったけど、『日本語わからないからノート見せて』って」
「読んだり書いたりするのが苦手だったんですかね」
「いや、僕ちょっとだけ身長高いから……ノアってバスケやってるんだけど、僕を誘おうとしたんだよ。僕は運動音痴だったからすぐ諦めたけど」
愛はそれを聞いてクスッと笑った。
「なんかそれ面白い。下心ですね」
「下心だね」
「でも、バスケやらなくなっても、卒業してもちゃんと友達として今でも遊んでるなんて、下心だけじゃないですね」
ふと、思い出した。そうだ。あの時、僕がバスケができないことを知って、ほんの数日間、僕とノアは疎遠になった。ほんの数日間の空白が耐えきれず、僕から再びノアに声をかけたのだ。寂しくて、あの強烈に眩しいノアの魅力に、どうしても触れたくて、つながりを絶ちたくないと感じていたのは僕の方だった。彼がゲイだと知る、遥か昔から、自分がゲイだと気づく遥か昔から、彼に惹かれていたのは僕の方だった。
気づけば、天井の高い開けた場所に出た。シャンデリアが美しく輝き、玉座と、フェアリーゴッドマザーの肖像と、ガラスの靴が置いてある。偶然にも、ゲストは僕たちだけだった。
「……友達ってわけでもないんだ」
僕はわざと愛に聞こえないよう、ぼそっと呟いた。
「はじめ!Photo Spot!!」
ノアが叫んで僕たちを呼ぶ。玉座でも、フェアリーゴッドマザーの肖像の前でもなく、ガラスの靴の方に。
「愛さん、写真をお願いします」
ノアはスマホを愛に預けた。愛も優も、男子がふざけているのだと思ってケラケラ笑っていた。そばにいたキャストも、ニコニコしている。僕は照れ笑いしながら近づいて、ガラスの靴の前のスツールに座らされる。ノアは僕の前にひざまづく。パシャっ、パシャっとシャッター音が鳴る。
ノアは、絵に描いたようなプリンスだ。外見だけの話ではなく、内面に至るまで非の打ち所がない。鉢合わせた当初はあんなにも気まずかった僕と有田姉妹を、シンデレラ城の中まで連れてきて、打ち解けさせている。僕はどうあがいてもノアにはなれっこない。ノアが、どうして僕を好いてくれているのかも、僕にはよくわからない。そんな彼を、僕はついさっき、失望させてしまった。それでもなお彼は、そのショックを表に出すこともなく気丈に振舞っている。
僕の、王子様。
「川島さん、ノアさん。逆バージョンも撮ってみましょうよ。ノアさんがプリンセス」
「Genius!」
ノアは立ち上がり、僕と入れ替わってスツールの上に座った。今度は僕がひざまづく。体が熱くなり、緊張するのを感じた。
「ノア、さっきはごめん」
「さっき?ああ、さっきのこと? No worries.」
僕は呼吸を整えるために、深呼吸をした。ノアが少し不安そうな顔をする。
「はじめ、大丈夫?」
「大丈夫」
僕は、大きく息を吸う。ノアのブルーの瞳が、僕を見つめ返すのがわかる。心臓が脈打つ。
ノアが、好きだ。一緒にいたい。
「Noah, I promise love of the eternity.」
「Seriously?」
「Will you marry me?」
ノアがはっと息を飲むのがわかった。
「川島さーん、撮りますよー、こっち向いてくださーい」
愛が声をかけるが、僕はカメラの方に顔を向けることはできなかった。僕の目は潤んでいて、それにノアの瞳から目を逸らすことができなかった。ノアの表情が、みるみる紅潮していく。
この瞬間が、実に長く感じた。次の瞬間、僕はノアに抱きしめられた。
そのあとのことは、あまりよく覚えていない。さっきプロポーズされた時は、周りの目ばかりを恐れていたが、今はもう何も気にする余裕がないくらい、頭がいっぱいなような、頭が空っぽのような不思議な気持ちになった。
愛と優は、突然のことでびっくりしたと思う。ケースワーカーとして、市職員として、自分が同性愛者であることを生活保護受給者に明かすことは、もしかすると弱みを握られることに繋がるかもしれない。不正受給のためにあの手この手で脅迫まがいのことをする連中もいる。
「びっくりしたー。恋人同士だったんですね。でも素敵だと思います。私の働いてるお店……、あの実は、ガールズバーなんですけど、女の子が好きっていう女の子もよく来ますよ。たまに口説かれます」
愛はそう言って、さっきよりも打ち解けたようににっこりと笑った。優はどうやらノアに結構本気で惚れ込んでいたらしく、少しショックそうな様子を見せていた。
「お仕事やめて、イギリス行かれるんですか?」
「まだわからないよ」
本当に、何も考えていない。今後の僕たちがどういう経緯で、どういう手続きで一緒に暮らしていくのかは、全くもって僕には未知だ。
「日本でもちゃんと同性の結婚ができればいいのに」
僕ら4人はフェアリーテイルホールを出て、僕と愛はそばのベンチで佇んでいた。ノアはまだ優の車椅子を押しながら、花壇に咲いている花を彼女とともに眺めていた。
「私、一枚だけ勝手に写真撮っちゃいました」
愛がスマホの写真を僕に見せた。ガラスの靴を前に、僕とノアが見つめあってる。
「2人とも王子様に見えましたよ」
僕と愛は、あははと声を出して笑った。僕は、回転するティーカップとカルーセルの隙間を、シンデレラとプリンス・チャーミングがキャストに誘導されながら手を繋いで歩いているのを見つけた。
プリンス2人の恋物語は、まだディズニーにはない。でも僕とノアの物語は、ここ東京ディズニーランドから、新たなページを刻んでゆく。見かけだけではなく、ノアのようなプリンスに、僕はなりたい。僕は自分の左手の薬指を見た。小さなダイヤモンドのリングが、この世のものとは思えない輝きを放っていた。
第2話「マイ・プリンス、アイ・プリンス」終わり
Chapter 2 - My Prince / I, Prince
***
あとがき
僕はブルネイにバイセクシャルのお友達がいます。
ブルネイでは、厳しいイスラム教の戒律により、
同性愛者の性行為は石打ちの刑にされてしまいます。
そんな恐怖と戦いながら、生きている人もいるんです。
次回予告
第3話「世界はせまい、世界は同じ」