生きていくなんてわけないよ

ディズニーファン向け娯楽ブログ

【東京ディズニーランド小説】第3話「世界はせまい、世界はおなじ」

Sponsored Link

f:id:s_ahhyo:20211117215655p:plain

 

 この小説はフィクションです。実在の人物や団体、テーマパークなどとは一切関係ありません。

 また、某所にすでに存在しないアトラクション、グッズ、メニューなどが登場する場合があります。

 2021年9月に新型コロナウィルスの脅威がひと段落し、登場人物たちがマスクなしで生活している架空の時間軸を舞台としています。歴史的事実と若干の乖離があることを理解してお読みください。

 

 こちらの小説は作品投稿サイト NOVEL DAYS でもお読みいただけます。

 

***

 

 9月某日。舞浜駅。1週間に渡り降り続いた雨がようやく上がり、昨日から夏を思い出したような、湿度の高い暑さと晴れがぶり返していた。まだ朝の10時だというのに太陽はすでに全力の照りつけを見せている。Tシャツの内側で、汗が背中を伝うのを感じる。サングラスをかけて、きょろきょろと辺りを見回していると背中に何かがぶつかる衝撃を感じた。

 

「うわっ、すいません」

 

 大学生くらいの男女グループの男の子がよそ見をしてぶつかって来たのだ。おれの顔を見てギョッとした表情を見せる。おれはやれやれという気持ちになって、できる限りの優しい声色で言った。

 

「気をつけてね」

 

 男の子は深くお辞儀をして、グループのみんなと走ってイクスピアリの方へ向かったが、後からギャハハと笑う声が聞こえた。おれはため息をつく。あと5分待って来なかったらベックスコーヒーで一服しよう、とお店の方を眺めていたら、視界の端にへそだしのイエローのトップスに白いカーディガンを羽織りジーンズを履いた女性が目に入った。足元はスニーカーだが、比較的底が厚く、身長175cmのおれとあまり変わらない背丈になっていた。茶色に染めた長い髪を風になびかせながら、颯爽とこちらに向かってくる。

 

「おっはよー、龍之介くん。ごめんね、乗り換え手間取っちゃって」

「おっす芹那ちゃん」

「ほんと、ディズニー久しぶりだわ。アトラクションとか、何が好き?」

「なんだろなー。スプラッシュ・マウンテンとか」

「なんだっけ?ああ、筏に乗って落ちるやつか。9月だけど、まだ全然暑いから昼間のうちならありかもね」

 

 おれたち二人はペデストリアンデッキを歩きながらディズニーランドの方面へ向かった。歴代のディズニー映画の楽曲が、BGMとなって流れているのが聞こえる。芹那はそれを鼻歌で口ずさんでいた。

 

「ふふふん、だいじな、ゲスト〜」

「シチューに!スフレー!プリンにー!ソルベ!」

「あはは!すご!めっちゃ覚えてるじゃん」

 

 芹那が中途半端に歌うのに合わせて、ちょっとおおげさに歌ってみたら、ウケたのでよかった。

 

 

 芹那と出会ったのは2ヶ月ほど前のことだ。おれの働くお茶ノ水のレコードショップで、マイナーなインディーズバンドのCDを買いに来た芹那が、自分から話しかけてきた。

 

「ゆーふらてす、好きなんですか?」

 

 店舗では、私服の上にエプロンの着用が基本となっていて、エプロンには名札の他にそれぞれが思い思いの缶バッジなどで自分の音楽の趣味をアピールするのが流行となっている。おれのエプロンについていた缶バッジを指差し、当時まだ名前も知らなかった芹那が半笑いで聞いてきた。おれは芹那が持ってきたCDをレジに読み込みながら答える。

 

「友達のバンドなんです。今パンデミックで大変だから、応援しようと思ってグッズ買ってつけてるんですよ」

 

 ゆーふらてすは、高校の同級生の女の子が結成したバンドだ。その子は、高校生の時こそHi-STANDARDやGO!GO!7188のコピーバンドをやっていたが、今ではすっかり落ち着き、カホンとアコーディオンのメンバーを加え、本人はアコースティックギターを弾きながら、NHK教育でも十分流せそうな優しい音楽を奏でている。

 

「あたし、下北沢のユーロ・キッチンで、2回くらいライブ観ましたよ。可愛い曲やってますよね」

 

 俺はCDを袋詰めし、口の部分にテープを貼った。「どうぞ」と手渡したが、話し足りないのか、芹那の口は止まらなかった。

 

「お兄さん、見た目ゴツいから、ゆーふらてす聴いてたら可愛いなと思いました。日本語上手ですね、どこ出身ですか?」

 

 見た目に関して何かを言われるのは慣れているが、こうもあからさまに「ゴツい」と表現されるのは久しぶりだった。

 

「こう見えて、生まれも育ちも千代田区ですよ」

「えーー、嘘。そうなんだ」

 

 おれが出身を語ると、よく驚かれる。というか、こうやって働いていなければ、街中をうろうろしているときは、日本語を話すだけで驚かれる。

 おれは、誰がどこからどうみても黒人だからだ。

 母が日本人、父がナミビア人のいわゆるハーフだ。 JICA職員としてナミビアに渡った母が、父と出会いそのまま日本へ連れて来てしまった。父は俺が4歳くらいまでは一緒に住んでいたが、母とは籍を入れておらず、働き口が見つからないという状況が数年続き、父はひとりナミビアに帰ってしまった。英語こそ多少は話すことができたが、第一言語はアフリカーンス語とドイツ語が混ざったような土着語で、英語を用いてもコミュニケーションを取るのはなかなか困難だったらしく、それが仕事得るための大きな障害となっていたらしい。おれは父の顔をほとんど覚えていなければ、ナミビアを訪れるどころか、28年間日本を一歩も出たことがない。JICA職員として世界を渡り歩き、数カ国語を操る母とは相反するように、おれはこの「どこからどう見ても黒人」の見た目ながら、日本語しか話すことができなかった。母の仕事が忙しく、祖母に預けられることも多かったし、母の仕事が多様な価値観に触れるものだったためか、ある種、放任主義的な部分もあり、子供の頃から勉強や進学に関しては、全く何も言われなかったこともあって、からっきし勉強してこなかった。高校卒業後はスポーツトレーナーになるために専門学校へ行ったが、結局スポーツトレーナーになることはなく、気がつけばギリギリ暮らせる程度の収入しかない28歳独身フリーター・レコード店勤務、見た目:黒人が完成していた。

 

「ホワイトさん?」

 

 芹那がおれの名札を見て言う。

 

「これは、店長がEarth, Wind & Fireが好きだから、お遊びで付けられた名前。本名は大澤です」

「ホワイトって曲があるんですか?」

「バンドのボーカルがモーリス・ホワイト。そんで黒人」

「へ〜。有名なバンド?知る人ぞ知る?」

「いや、めっちゃCMで流れてる」

 

 おれはSeptemberのコーラスフレーズを口ずさむ。芹那は「あ!知ってる」と言って手を叩いた。その日はおれの退勤時間が迫っていて、その直後くらいにさよならしたが、芹那はそれから頻繁に顔を出すようになった。彼女は御茶ノ水の食品メーカーで経理の仕事をしているらしい。平日も仕事終わりにたまに来るらしいが、おれの退勤時間が16時半であることを伝えると、それ以降は毎週土曜日の15時に来て声をかけてくるようになった。自宅は水道橋付近にあり、元々レコードショップには週一ペースで通っていたらしいが、行きつけのお店が潰れてしまったためこちらに足を運ぶようになったとの事だった。自分たちが同年代と分かった途端、芹那との会話はタメ口になった。

 

「ライブハウスとかよく行くの?」

「最近はこんな事情だから、めっきり行ってないけど、去年頭くらいまでは」

「今度一緒に行こうよ。あたし、一昨年親友が結婚してから、一緒に行く人いなくなっちゃって。一人でも行くときは行くけどさ、行ったら誰かしら知り合いもいるし」

 

 芹那ははぁ〜っと深いため息をつく。

 

「ライブ自体も少なくなっちゃったし、ライブに行ってもお客さんも少なくなったし、行ったら行ったで緊急事態宣言でお酒出さない日もあったりして、パンデミックのせいで変わったわ〜。あたしの楽しかった日々」

「たしかに、仕事だけは毎日あって、ストレス発散が減ったよね。お金は多少貯まるけど」

 

 嘘だ。そもそも収入が少ないので貯金はほぼできていない。時計を見ると16時半を指していた。伸びをして片付けに入る。

 

「そろそろ退勤」

「今日もお疲れ様でした。バスケ?」

「そ。今日はクラブチームのほう」

 

 16時半退勤なのは、いわゆるもう一つのアルバイトのためで、そのもう一つのアルバイトとは中学校の男子バスケ部の外部指導員、つまりはコーチをしているからだ。とはいえそれは主に平日と日曜で、毎週土曜日は基本的に自分のクラブチームの練習に行っている。御茶ノ水エミューズ。御茶ノ水とは縁もゆかりもなさそうなエミューという鳥をチーム名に取り入れたのは、結成当時のチームリーダーが若き日にオーストラリアにワーホリに行っていたかららしい。中学校の男子バスケ部のコーチの仕事も、エミューズのチームメイトで、英語教師をしている友人に「仕事に困ってるなら」と紹介してもらった。おかげで昼は音楽、夕方からバスケと、収入は少ないながらも好きなことだけを仕事にして生きることができている。

 

 芹那に「東京ディズニーランドに行こう」と言われたのは、出会ってから1ヶ月後のことだった。

 出会いのないおれにとって、女性に遊びに誘われることはそんなに多くはない。結局、あれからライブハウスにも行っておらず、ただの口約束だと思っていたところに、東京ディズニーランドだ。これがデートでなければ嘘だと思う。脈、あるだろ。日曜日は普段はバスケ部のコーチに行っているが、この日は休ませてもらう事にした。

 

「その、親友とはいつ会うの?」

「その子たちはもう遊んでるらしいから、すぐ済むよ」

 

 芹那がディズニーランドに行こうと言ったきっかけは、昔よく一緒にライブハウスに行っていたという親友が、昨年産まれた子供を連れて遊びに来るからだという。

 

 その親友一家は、ワールドバザール左手にあるワッフル店の屋外席に座っていた。芹那を見て手を振り、その後をついてくるおれを見て、目を丸くする。

 

「美鈴!ひっさしぶり〜!」

「芹那も、久しぶり!元気だった?遼くん、芹那おばちゃんだよ〜〜」

「ぎゃ!おばちゃんは結構くるわ!かわいい〜遼くん〜〜!はじめまして〜!」

 

 美鈴と呼ばれた女性は、活動的な芹那とは真反対のタイプで、大人しそうな雰囲気が服装からも伝わってきた。赤ん坊は、不思議そうにおれの顔を見つめている。もう一人、不思議そうに俺の顔を見つめている人がいた。くりくりとした目が赤ん坊とよく似ている。この子の父親だろう。

 

「啓太くんも久しぶり。結婚式以来だね」

「あ、えっと、久しぶり。あの……そちらの方は?」

 

 啓太と呼ばれた男性がおれの方を手で示す。芹那が俺の腕にしがみついてきた。

 

「あ、この人?龍之介くん。美鈴があたしを裏切って啓太くんを選んだから、新しい親友見つけたの」

「言い方ヒドぉ」

 

 美鈴も啓太も、思わぬ日本語名が出てきて戸惑いの表情を見せる。よくある事だ。もう慣れた。おれはあえて、よそ行きの笑顔を見せる。

 

「大澤龍之介です。日本産まれ日本育ち、日本語しか話せない日本人ですよ。はじめまして」

 

 啓太と呼ばれた男性はわかりやすく安堵してべらべら喋り出した。

 

「びっくりしたぁ〜!ハローとか言わなきゃいけないのかと思ったよ!」

「言ってもいいですよ。ハローくらいならわかるから」

「そりゃそうだ!あっはっは!」

 

 初対面でこの馴れ馴れしさ。この啓太という男は、顔は結構いいものの、天然を絵に描いたような男だなと思った。妻の美鈴が彼の袖を引っ張る。

 

「啓太くん、失礼だよ」

「そーだよぅ。龍之介くんはね、ちょっと顔が濃いだけ」

 

 芹那は親友夫婦の赤ん坊をよしよしと抱きながら言った。芹那は芹那で、おれとの距離感の詰め方のスピードは尋常じゃなかったし、結構天然で、失礼な女だ。それでも許せてしまうのは、慣れもあるだろうが、おれに下心があるからだろうか?

 ぶりぶり、と音がして赤ん坊を抱っこしていた芹那が笑い出す。

 

「あぁ〜遼くん、どちたの〜?うんちでたの〜?」

「芹那、ごめんね。おむつ替える」

 

 美鈴が芹那の腕から赤ん坊受け取る。芹那は腕を組み、うんうんと唸った。

 

「うむ。しっかりと臭いぞ。子供はかわいい。でもうんちは臭いし、産むのは辛い。私は遼くんを愛でるだけの都合のいいおばさんに成り下がろう」

「何言ってんの」

「ふふふ。会えてよかったわ。あんたたちおむつ替えに行くでしょ。あたしらも絶叫系乗りまくることを心に誓ってやって来ているので、今日はこの辺でバイバイしよっか。また新築ホームにおじゃまするね」

「ありがとう、芹那。龍之介くんも付き合ってもらってごめんね。ほら遼くん、おばちゃんとおじちゃんにバイバイして」

 

 美鈴は遼に手を振らせる。遼はおれの顔をガン見して、ニコニコと笑った。芹那の言う通り、子供はかわいい。美鈴・啓太夫妻と遼はトイレへと消えて行った。

 

「さて、あたしらも行きますか。スプラッシュ・マウンテンに」

 

 おれは黙って頷いて、芹那と共に歩き出す。ワッフル店はワールドバザールのアドベンチャーランド側にあり、アドベンチャーランドからスプラッシュ・マウンテンのあるクリッターカントリーまではパークの端から端まで歩く距離になる。たどり着いた頃にはアトラクションでスプラッシュする前に、おれのTシャツは汗でずぶ濡れの状態になっていた。アトラクションの待ち列になっている洞窟の中はひんやりと涼しくて過ごしやすかった。待ち時間は60分ほど。おれたちの前には大学生くらいの年齢のカップルが並んでいて、男の方がディズニーのうんちくを語っている。

 

「スプラッシュ・マウンテンはなんかの映画なの?」

「『南部の唄』っていう古い映画だよ。幻の映画でさ、おれも観たことないんだ」

「なんで幻?」

「黒人差別描写があるとか、本来あった黒人差別描写がないように描かれてるとか……」

「それどっちよ」

「観たことないから知らねーんだわ。アメリカでは結構おおごとでさ、スプラッシュ・マウンテンも中身のストーリーが近いうちに変更になるらしいよ」

「へぇ〜何に変わるの?」

「う〜ん、観たことないんだよなぁ。『プリンセスと魔法のキス』ってやつ」

「えっ。ティアナじゃん。私好きだよ。小学校の頃映画館で観たし」

 

 ふと、カップルの女の方がおれと目が合う。一瞬びくっとして、何事もなかったように正面に向き直る。

 

「黒人のプリンセスなんかいるんだ。初めて知った」

「シッ」

 

 話を続けようとする男を、女が制している。カップルの話題は朝にディズニーランドホテルで食べたビュッフェの話に変わった。

 

「龍之介くぅん……暗闇だと目と歯だけが浮いてるねぇ」

 

 芹那がニヤニヤしながら言う。仲良くなった人には誰にでもこうなんだろうけど、芹那はやっぱり、かなり失礼だと思う。

 乗り場で番号を振り分けされるところまで来て、キャストがおれに話しかけた。

 

「How many?」

「あ、えっと、2人」

「2名様!足元番号の〜シックス!」

 

 キャストは足元番号を指差し、その後指を6本立ててゆっくりと言った。

 

「6番でお待ちください!お次のお客様〜……」

 

 キャストは手際よく後続のゲストたち声をかけていた。英語で話しかけられるのには慣れているけど、英語を話せるわけではないからすぐさま反応できない。しかも、必要以上にゆっくりと話しかけられる。もう、うんざりだな。芹那を見ると、芹那自身もおれが英語で話しかけられるのに慣れてしまっていて、もうイジるのも飽きたみたいだった。

 

「いっよいっよだ〜〜」

 

 芹那がワクワクした声を上げる。ボートに乗り込むと、座席はすでに湿っていて、タオルで拭いたあとの生乾きの匂いがした。待っている間に乾きかけていた服が、今度は水滴で濡れるのを感じる。

 ボートが動き出した。小動物たちの可愛らしい住処とそこでの生活が、ロボット人形の動きで表現されている。これのどこが、黒人問題でまるごと取っ替えられそうになっているのかは、少なくともこのアトラクションに乗っただけではわからないな。「本は表紙じゃわからない」一昨年に観たメリー・ポピンズの新作映画でも、確かそんな曲があったっけか。

 スプラッシュ・マウンテン最後の滝壺ダイブでは、ずぶ濡れになるほど水を浴びた。ボートを降り、アトラクション出口にたどり着いた頃には太陽は天高く昇り、地獄のような日差しを照りつけていたのでむしろ気持ちがいいくらいだった。

 

「っひゃ〜〜!濡れたねぇ」

 

 芹那が髪の毛を絞ると、ちょろちょろと水が流れ出た。水に濡れた芹那はいつにも増してセクシーに見えた。

 

「髪の毛しぼんでるよ」

「うお、ちょっと」

 

 芹那が爪先立ちでおれのアフロみたいな天然パーマを手でわしゃわしゃする。芹那の顔がすぐ目の前にあった。シャンプーのいい香りが漂う。おれは笑いながら手を払いのけて、視線を落として歩き出す。なんて大胆なことをするんだこの女は。照れる、恥ずかしい。

 

「ここからだったらビッグサンダーが近いね。並ぼうか」

「賛成」

 

 アトラクションの待ち時間でおれと芹那は、それぞれの子供の頃のことを語り合った。おとなしい上にこんな見た目だからずっと家でゲームばかりして遊んでいたこと、おばあちゃんっ子だったこと、たまに帰って来た母は必ず現地の伝統工芸品をいくつか買って帰って来てくれたことなどを話した。一方の芹那は子供のころも活発で、男の子たちが「なんとかレンジャー」で遊んでいるところに乱入してはレンジャーを撃退して泣かすセーラージュピターを演じていたらしい。初恋は小学校4年生の夏休みで、従兄弟の高校生のお兄ちゃんとのことだった。会話を弾ませながら、ビッグサンダー・マウンテン、スペース・マウンテンと、順当にアトラクションを制覇していく。

 スペース・マウンテンを出た後は、腹ごしらえをすることになった。周辺をウロウロし、ワールドバザールの中にあったコーヒーショップに行くことにする。入り口にキャストが立っていて、席に案内される。東京ディズニーランドには中学・高校と友達と遊びに来たことがあるが、テーブルサービスのレストランは初めてかもしれない。アール・デコというらしい、30年代に流行したデザインが、昔懐かしいアメリカの雰囲気を醸し出している。アメリカ、行ったことはないが。

 

「龍之介くん、今日はあたしが誘ったから、おごるよ」

「マジ!?でもそれちょっとカッコ悪いな」

「いーのいーの。今時男が奢られてカッコ悪いとかないって。チケット代は自分で出してるんだし。ライブ行けなくなって、お金有り余ってるんだわ」

「いいけどおれ、見た目の通り結構食うからね」

「まかせろぉい」

 

 芹那はコンビプレート、おれはステーキプレートを注文する。やはりディズニー価格だけあって、値段のわりにボリュームは多くない。でも味はそれなりに美味しかった。芹那は食後にチーズケーキとメロンソーダ・フロートまで頼んでいたけど、おれはコーヒーだけにしておいた。ここのレストランはコーヒーのメーカーがスポンサーというだけあって、コーヒーがうまい。

 食事を終えて次にどうするかと他愛のない話をしていると、70代後半に見える白髪でボサボサ頭の男性がトイレから出て来て、通りすがりにちらっとおれの方を見た。

 

「黒ンボめ」

 

 ポツリ、と呟いて、そのまま座席に戻って行った。いつもの事といえばいつもの事だけど、おれは一瞬何が起こったのかわからなくて、コーヒースプーンをカップに突っ込んだまま固まっていた。

 

「ちょっと、何!?」

 

 先に反応したのは芹那の方だった。ガタッと席を立ち、ずかずかと先ほどの男性の座っている席まで移動した。おれもあわてて立ち上がるけど、びっくりして立ち上がるだけで、そこから動けない。芹那は、怒鳴り散らすかと思ったけど、静かに、でも強い口調で言った。

 

「おじさま、さっき私の彼に差別用語を言いましたよね?謝ってください」

 

 男性はうろたえながら芹那から目をそらしてもごもご言っていた。男性の妻らしき白髪の女性と女の子連れの若い夫婦が同じテーブルについていた。突然知らない女性に鬼気迫る表情で詰め寄られ、困惑している。

 

「すみません、うちのおやじがなんか言ったんですか?」

 

 若い夫婦の男性が言う。女の子が泣き出し、女性がよしよしとあやし始める。

 

「黒ンボは差別じゃねぇ。普通の言葉だ」

「差別用語です、れっきとした。そもそも人の見かけをとやかく言うのは失礼です。謝ってください」

「すみません、うちの主人が……」

「いえ、奥様に言ってるのではないんです。こちらの旦那様に言っているの。で、謝って欲しいのは私にではなくて、彼に」

 

 芹那が手のひらをおれの方に差し向けて、皆の視線が俺に注目される。当然だけど、その一家だけじゃなく、周辺の客も、キャストも、みんな。

 

「そもそも、なんでこんな時期に外国人が日本に来てんだ。検査は受けてんのか」

「彼は外国人じゃありません。日本生まれ日本育ちの日本人です」

 

 白髪男性は、もう後に引けない感じになっている。先の男性の一言で、芹那の目はより本気の怒りに燃え上がっていた。幸いなのは、家族他の人たちは比較的、こちらの味方であるということだろう。

 

「大人げねぇなぁ!事を大きくすんなよクソおやじ!」

「お父さん、ほらさっさと謝ってしまいなさい」

 

 ここら辺で、やっとおれの体が動いた。ゆっくりと芹那に近づいて、手を握った。

 

「ありがとう、もういいよ」

「でも……」

「みなさん、家族団欒を乱してすみません。もう行こう」

 

 キャストに声をかけて会計をすませる。芹那は店をでるギリギリまで白髪の男性の方を睨んでいた。とにかくすぐにこの場を離れたくて、芹那の手を握りながら早歩きで歩いた。気がつくとトゥモローランドを抜け、昨年新設されたニュー・ファンタジーランドの美女と野獣の城の前まで来ていた。足を止めて城を見上げる。

 

「すげ〜映画と一緒、リアルだね」

 

 話題を逸らそうとしたけど無理があったかもしれない。芹那はおれの手を払って、深呼吸してニコッと笑った。

 

「迷惑だった?ごめんね」

 

 おれは黙り込んでしまった。何か考え事をしようとして、先ほどの一連の出来事を思い返したら思わず涙が出た。

 

「……ん、いや、びっくりした。もういいんだよ、おれのことは、どうしようもないから」

「そうやっていっつも我慢してたんだね。ごめん。あたしも結構からかってたね」

 

 芹那は爪先立ちでおれの顔に手を当て、親指で涙を拭った。またシャンプーのいい匂いがする。

 

「意地悪なからかい方してごめんね。我慢してたのに、私が勝手に怒ってごめんね」

「恥ずかしかったぜ、ちょっと」

「ははは、みんな見てたよね」

「芹那ちゃん、さっきさり気なく『私の彼』って」

「はっはっはっ。何のことやらさっぱりだ」

 

 芹那はおれの顔から手を離して、代わりにぽんぽんとおれの胸を叩いた。ニッコリして野獣の城を指差す。

 

「『美女と野獣』乗ろっか?」

「いやでも、なんかこれ抽選……?当たったとして、乗れる時間は18時とかだな」

「おう……そうなんだ。なんか待ち時間短いの、ある?」

「う〜ん、イッツ・ア・スモールワールドとかは5分待ち」

「お〜〜〜あたしそれ好きだよ。行こう行こう」

 

 芹那が軽快に歩き出す。おれはしれっと、彼女の手を握った。弱い力で、ぎゅっと握り返されるのを感じた。

 

「何名様ですか?」

 

 スモールワールドのキャストが聞く。芹那は困惑そうな顔をして言った。

 

「Io prendo il tiramisù. 」

 

 聞いたことのない言葉が、芹那の口から飛び出した。キャストがギョッとした顔をして、さらには俺の顔を見て慌て始める。

 

「ハ、ハウメニ〜?」

「あ、すみません。2名です」

「あ、ああ〜!2名様!ありがとうございます!足元4番でお待ちください!」

 

 足元4番に移動しながらおれは芹那の方を見る。

 

「あたしが日本人である確証なんかどこにもないのにね」

「いやでもここは日本だから日本語で話しかけても違和感はないでしょ。キャストさん可哀想だわ。なんて言ったの?」

「ティラミス〜をお願いします」

 

 思わずプッと吹き出してしまった。前のグループのボートが動き出し、ゲストがこちらに手を振っているのを見て、芹那も笑顔で振り返す。

 

「いいね〜ブルーハーツの気持ちだわ、今」

「どゆこと?」

「♪生まれたところや 皮膚や目の色で いったいこの僕の 何がわかると言うのだろう」

「なるほどね」

 

 ボートに乗り込む。「小さな世界」の聞き覚えのあるメロディがだんだん大きくなり、さっきまで脳内再生されていたTHE BLUE HEARTSの「青空」がかき消される。可愛らしい子供達のロボット人形たちが、歌い、踊り、世界各国の文化を表現している。

 偽善だ。これだって、いわゆる画一的なステレオタイプの描写だ。平和と協調をテーマにしつつ、「みんなそれぞれ助け合う」の「みんな」に自分は含まれていないような、仲間はずれの気持ちを感じる。取りこぼされる人。黒人でも、黄色人種でもない。ナミビア人でも日本人でもない。ハーフのおれ。どれだけおれが日本人として生きようとも、社会がそうさせてはくれない。日本はまだ、そこまで優しくない。

 

 ふと、芹那と握り続けたままだった手が、強く握り返されるのを感じた。芹那の顔を見ると、ニコッと微笑んだ。俺もぎこちない顔で微笑み返す。

 世界は、社会は、まだ優しくない。理解も浅い。偏見も差別もある。彼女だってそうだ。でもきっと、彼女は理解する努力をしてくれるし、おれの味方でいてくれる。あの時立ち上がって行動してくれたことに、今は心からありがとうと言える。今日は芹那が動いてくれて、おれは何もできなかった。でも、こんなしがないフリーターでも、きっと何かやれることがあるはずだ。ナミビア人でも日本人でもないおれだけど、おれだからこそできる行動が。

 

 ボートはフィナーレのシーンへと向かう。くるくると回転する子供達の人形の中には、肌の黒い子供も、白い子供もいた。

 こんな偽善が、いつかは現実になればいい。いつか本当に、小さな世界になればいい。

 

 

第3話『世界はせまい、世界はおなじ』おわり

Chapter 3 - A World Of Laughter, A World Of Tears

 

***

 

あとがき

八村塁さん、大坂なおみさんの大活躍がめざましいなか、

まだまだ差別が絶えない現状を思って書きました。

理解を示したつもりでも、

これを書いた僕自身もまだ「芹那」なのかもしれない。

そう思って読んでいただけると幸いです。

 

 

ハーフ

ハーフ

  • 矢野デイビッド
Amazon

 

 

次回予告

第4話「熊劇場神話体系」

www.sun-ahhyo.info

 

東京ディズニーランド小説『王国の迷子たち』