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女性エンパワーメントを考えるディズニー映画10作

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「ピクサーの監督を語る その6」でブレンダ・チャップマンについて書いてたらふと思いついたので書くことにしました。

なんか全体的に読み味が一緒になってしまっているのは、私のフェミニズムに対する知識の甘さなのか、ディズニーのフェミニズムがワンパターンなのか(前者の可能性の方が高い)あと単純に私はまだまだディズニー作品を全然観れていないのだな、と思う次第です。

筆者である私は男性ですので、まだ偏見というか考え至らない部分もあるにはあると思うので、

もし気になったことがあればご教示いただきたく思います。

 

目次

メリー・ポピンズ

ジュリー・アンドリュース主演の本作。

ウォルト・ディズニー制作、監督ロバート・スティーブンソン、脚本はドン・ダグラディとジム・ウォルシュ、音楽と脚本にシャーマン・ブラザーズと、男ばかりで制作された本作ではありますが、制作が進んでいた本作にNoを突きつけ、自身の考えを反映させた女性がいました。

その名はP.L.トラヴァース。何を隠そう、メリー・ポピンズの原作者。

 

なかなか映画化の許可を得られなかったウォルト・ディズニーは、「原作者の脚本監修」という条件で映画化の許可を得ますが、イギリスからやってきたトラヴァースはウォルトたちの提案する内容にNoばかりを突きつけます。

その時の状況を映画化したのが『ウォルト・ディズニーの約束』

 

結果として、トラヴァースの納得のいく作品にはならなかったようですが、当時すでに権力のある映画人ウォルト・ディズニーを相手に物をいう女性というのはかなり貴重な存在だったのではないでしょうか。

当時の脚本会議の音源は実際に保管されているらしく、『ウォルト・ディズニーの約束』のエンドロールでも観ることができます。

 

また、同時期に製作されたワーナー・ブラザースのミュージカル『マイ・フェア・レディ』とも比較される『メリー・ポピンズ』

主演のジュリー・アンドリュースは舞台版『マイ・フェア・レディ』で主演を演じていましたが、プロデューサーのジャック・ワーナーはジュリー・アンドリュースが無名だという理由で主演にオードリー・ヘップバーンを採用。

ジュリーもこの役にこだわりがあって、ウォルト本人から『メリー・ポピンズ』のオファーがきた時も「何かあって『マイ・フェア・レディ』のオファーが来たら『メリー・ポピンズ』を降板する」という条件で出演を受諾。

オードリー・ヘップバーンも「主演はジュリーであるべきだ」と交渉したようですが叶わず、しかも歌のプロではない彼女はかなりのトレーニングを積んだにも関わらず映画では全編別の歌手が歌ったものに吹き替えられてしまいました。

その年のアカデミー賞やゴールデングローブ賞では『マイ・フェア・レディ』が数々の部門で賞を取ったものの、主演女優賞は『メリー・ポピンズ』のジュリー・アンドリュースに。

ゴールデングローブ賞の受賞スピーチでジュリーは皮肉をこめて「『メリー・ポピンズ』に出演させてくれたジャック・ワーナーさんに感謝します」と述べたといいます。

 

また、ウォルトがジュリーにオファーを出した際、ジュリーは妊娠しており今すぐには映画撮影ができないことを告げるとジュリーの演技と歌唱力に惚れ込んでいたウォルトは「出産を終えるまで撮影を待とう」と譲歩したという話もあります。

(実際はトラヴァースとのこともあって製作がスタートできない状態だっただけの可能性も否めませんが・・・)

 

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美女と野獣

ルネサンス期のディズニープリンセスの物語で「女性エンパワーメント」を考えるとなると、やはり『美女と野獣』かなと思います。

 

『リトル・マーメイド』以降のルネサンス期のディズニー映画は「王子の助けを待つだけのプリンセス」のように批判されてきた従来の女性像を覆していきます。

特に『美女と野獣』のベルは「マッチョでハンサムな男性からの求愛を断る女性」でありこれまでのディズニーにあまり登場してこなかった「本を読む、知的な女性」であったことが特徴で、物語の中でも「女が本を読むなんて変わっている」と偏見を前面に出すことで逆説的に彼女の現代的で先進的な魅力を強調させています。

彼女が野獣の見かけではなく「内面」を理解して触れ合うことができたのも、彼女の知識によるバックグラウンドが大きいのではないかと思えますね。

一方で彼女の描写はまだまだ課題が多く、多くの批判に晒されていることも事実で、なかなか完璧な作品を作るのは大変だな、と思わされます。

 

監督はゲイリー・トゥルースデイルとカーク・ワイズという男性2人組ではありますが、脚本はリンダ・ウール・ヴァートンという女性であることも特徴。『メリダとおそろしの森』の監督ブレンダ・チャップマンなども参加しています。

 

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プリンセスと魔法のキス

時代は一気に飛んで、2009年の『プリンセスと魔法のキス』

こちらの主人公ティアナは「王子との結婚など眼中にない、ハードワークな女性」という性格付けがかなり斬新でした。

最終的には「ロマンチックな恋愛」の良さも受け入れるいかにもディズニー的な展開ではありつつも、「楽していきていたい男性」であるプリンス・ナヴィーンに「愛するもののために働き、行動する」という好影響を与える、プリンスとプリンセスの相互作用をディズニー映画で描いたという点で『美女と野獣』に通じる素晴らしさを持っている作品です。

また、秀逸なのはティアナの親友のシャーロットの描写で、彼女は「王子様との結婚を夢見る従来の女性像」であり、しかもそれを批判的に描くのではなく、自分の夢を、自分ではなく親友のティアナが叶えようとしている瞬間までも彼女を応援しようとする「心の素直で美しい女性」として描いているのが最高すぎるのです。

 

かつて「ディズニープリンセスは王子を待つだけの存在」として批判されてきたのを逆手に取り、エンディングシーンでナヴィーンの弟とダンスを踊るシャーロットに「この際何年だって待つわよ!!」と、あえて「アグレッシブに玉の輿を狙う」というポジションを与えるキレキレ具合。

 

『リトル・マーメイド』『アラジン』などのルネサンス期のプリンセス像を更新していったジョン・マスカー&ロン・クレメンツのコンビだからこそ描ける先進的なプリンセス像。

彼らの描くディズニープリンセスは『モアナと伝説の海』で恋愛の一切絡まない冒険物語と、主人公が「私はプリンセスじゃない」と表明する(という行動が逆説的にディズニープリンセス的である)という形である種完成形を見せます。

 

男性監督による作品、かつ高齢での映画製作ながらも、しっかりと現代的要素を取り入れていて、頭が上がらないですね。

 

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メリダとおそろしの森

いろんな意味で「女性のエンパワーメント」を考えたくなる作品。

本作を監督した女性であるブレンダ・チャップマンはかつてディズニーでルネサンス期の多くの作品に携わり、ドリームワークス移籍後は『プリンス・オブ・エジプト』を監督するなど、女性の活躍の場が少ないアニメ映画業界でその存在感を発揮してきました。

ピクサー移籍後に彼女が自ら企画したこの映画『メリダとおそろしの森』ですが、製作途中で当時のCCOジョン・ラセターと創造面でのすれ違いが起き、なんと監督を降板させられてしまいます。

ピクサー初のプリンセス映画かつ、フェアリーテイルを題材にした映画で、「恋愛なし」「馬に駆け弓を射る」というWDASの『ムーラン』をよりブラッシュアップさせたような内容は高く評価され、(日本以外で)大ヒット記録。アカデミー賞長編アニメーション賞も受賞します。

そんな『メリダ』はブレンダ・チャップマンの個人的な思いと、それこそ「アニメ業界で女性の活躍の場を増やしたい」という思いが強くこめられており、監督降板後もクレジットに自分の名前を残すため、ピクサーに在籍して仕事を続けたという逸話があります。

そもそも自分が生み出したストーリーであるからして、自分の名前をクレジットに残したいと思うのはごく自然なことだし、ピクサーは『メリダ』以前も以後も、2022年公開予定の『私ときどきレッサーパンダ』まで長編映画に女性監督を起用していないので、「ピクサー(およびアニメ映画業界)の男性社会的側面」を問題提起したという点では実に意義深い作品になったのではないかと思います。ブレンダ・チャップマンが諦めていたらピクサーが映画を作り始めてから27年も女性監督が長編を作れていない状況だったわけで…。

 

『メリダ』は交代したマーク・アンドリュース監督により細部を書き換えられ、今の評価を得るわけですが、ブレンダ・チャップマンのインタビューを読むと、最後まで彼女に作らせてあげたかった…とちょっとセンチな思いになります。

 

アナと雪の女王

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオはこれまで多くの女性主人公の映画を描いてきましたが、監督に女性監督を抜擢したのは本作が初となります。

本作を監督したジェニファー・リーは現在ではWDASのCCOにまでなる大出世。『アナと雪の女王』は『ターザン』などの監督をしたベテランのクリス・バックと共同で製作されました。

 

『アナと雪の女王』はヴィランが問題をもたらし物語を動かしていくわけではないという点でディズニー映画としては結構珍しい作品。

『プリンセスと魔法のキス』のように「王子との結婚を望まない(話題にすることすらない)」クイーンのエルサと、従来通りの「運命の人との幸せな結婚に憧れる」プリンセスのアナという姉妹の対比が面白い映画です。

アナは従来のディズニープリンセスの体裁を保ちつつも「出会って1日で結婚」のようなディズニーあるあるを否定される立場でもあり、最低な男に振り回されるかわいそうな女性というキャラクターでもあります。

しかしながら劇中その「最低な男」に見事リベンジを果たし、真の運命の相手を見つけるプリンセスです。

 

また、エルサは爆発する精神の不安を魔法というわかりやすいメタファーで描かれており、そこに付随する「抑圧」そして楽曲「Let It Go」で歌われた「解放」という要素がフェミニズムにおていも強いメッセージ性を放っている作品です。

何回観ても面白い作品で、それこそ『美女と野獣』に匹敵するディズニーの金字塔です。大好きですね〜。

 

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キャプテン・マーベル

MCUをずっと追いかけてきたファンからはあんまり評判良くないですが、僕は好きな作品です。

MCU初の女性「単独」主人公映画で(単独でなければ『アントマン&ワスプ』が先)、MCU初の女性監督アンナ・ボーデンが恋人のライアン・フレックとともに監督。そのほか多くの女性脚本家が脚本に参加しており、MCUおきまりのSFバトルアクションにまさに「女性エンパワーメント」を主題としたテーマを織り交ぜて製作。

女性が男性から受ける「抑圧」「命令」から「解放」されていく物語。

それこそ、自分が何者であるかは誰かから決められるものではない。相手が勝手に下した、相手が圧倒的に有利なルールや戦場で、わざわざ乗っかって勝負する必要なんてない。自分が何者であるかは自分で決める、というメッセージがガツンと響いてくる快作です。

MCUで現時点で最強とも言える強さのヒーローが、これまでMCUで見せてこなかったような「無敵感」で敵をなぎ倒していく様子も爽快。

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アラジン

むしろ『アラジン』ではなくて『ジャスミン』というタイトルでもいいくらい、この映画は「世界中で抑圧を受けているジャスミンのための映画」と言えます。

ディズニー映画『アラジン』の2019年実写リメイク版。

監督は『シャーロック・ホームズ』シリーズなどで知られるガイ・リッチー。

本作のために名ソングライターでディズニー・レジェンドのアラン・メンケンが「Speechless」を作ったことで、そのシーンでこの映画の存在意義がガラッと変わりました。

アニメ版でも(主人公のアラジンですら巻き込みながら)「私はゲームの景品じゃないのよ!」と女性の抑圧について描かれていた先進的な女性であるジャスミンですが、本作はそれがさらに明確化しています。

 

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ムーラン

「中国やらかし」をとりあえず考えないことにすれば、内容はいい映画だったはずなんだよな『ムーラン』

 

というわけで、本来のディズニーが発しているメッセージが本当なのであれば『南部の唄』並みの発禁扱いになっていてもおかしくない、差別迫害大肯定映画になってしまった実写版『ムーラン』ですが、

どうやらディズニーはこの作品で配慮のなさゆえに図らずも肯定してしまった「中国共産党による新疆ウイグル政策」に対する批判を弁明もせずにまるっと無視する方向に向かっているようなので、映画自体は多分当分消えない。消えるとしたら、いつか中国共産党が倒れてウイグルが独立とかしたら、もしかしたら。

 

さておくことはできないからこそ苦しい問題ではあるのですが、

映画自体のメッセージはアニメーション版『ムーラン』以上に女性のエンパワーメントを表彰する内容となっていて、

さらに本作の見所はその「女性であるというだけで受ける抑圧」を、ヴィランの側にまで持ち出したことに深い意味があると私は考えます。

実写版『ムーラン』とアニメ版『ムーラン』の違いは、主人公の持つ「才能」の部分で、アニメ版は鍛錬によって才能を開花させていくけど、実写版は元々の「特殊能力」のような最初から才能のある人物として描かれていて、

それはディズニーにおいて「誰でもヒーローになれるよ」というメッセージ性とは乖離しているのだけど、フェミニズムの観点から言えば「才能ある人物ですら『女性だから』という理由で認めてもらえない」という現代社会が孕んでいる問題点を浮き彫りにしてくれます。

 

そういう意味で良作だったからこそ、やらかしの部分が勿体無いというか、いや勿体無いとかそういうレベルではないやらかしなんだけど、

作品にケチがついた部分だなと思います。そうでなくても主演女優が中国共産党支持者ってことで批判されてるのに。

監督はニキ・カーロ。彼女が撮った『クジラの島の少女』や『スタンドアップ』という映画も民族の風習における女性差別問題やセクハラ問題などを描いています。あと『マクファーランド/栄光への疾走』はディズニー映画。

 

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ブラック・ウィドウ

『キャプテン・マーベル』もいい映画だったけど、『ブラック・ウィドウ』はそれをさらにおもしろさで突き抜けていったね、という感じです。

 

ご存知アベンジャーズのオリジナルメンバーであるナターシャ・ロマノフの『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』と『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の間を描いた映画。どう考えても『エンドゲーム』やる前に作って公開して欲しかった作品です。

ナターシャ・ロマノフの家族観を描く映画というだけでなく、『キャプテン・マーベル』にもあった「女性の受ける抑圧」を『キャプテン・マーベル』さらにグロテスクに描いています。もうヴィランがイヤ〜〜な奴すぎてヨン・ロッグが小物に見える。(宇宙人だからヨン・ロッグのほうが強いんだろうけど)

ナターシャとレッドルームの話は『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』でワンダに見せられた幻覚から、ドレイコフ周辺の話やブダペストの話は『アベンジャーズ』からちょいちょい語られてきたことなので、それが実際に映画として描かれることは興奮するのだけど、内容があまりにも凄惨なので本当にナターシャがかわいそうになってくる。

かたや宇宙人と大戦争していることを考えると、このド派手なアクションがあってもミニマルな規模に感じてしまうけど、全然他の作品に負けてない面白さなのもいいところ。

監督は『さよなら、アドルフ』『ベルリン・シンドローム』などを監督したケイト・ショートランド。作品自体は高評価されているけど、小規模映画しか撮ったことのない女性監督を抜擢するあたり、本当にMCUはすごいよな。

序盤の戦争映画味のあるドラマティックな撮影が引き込まれます。

クルエラ

『クルエラ』が証明したのは「女性がめちゃめちゃカッコよく、めちゃめちゃエンターテイメントしている作品はエンパワーメントになりうる」ということです。

というわけで最後はディズニー実写長編『クルエラ』

 

今回紹介した映画で唯一の「女対女」の構造の映画で、映画の中で特別フェミニズムについて語られるようなシーンもないのだけど、上述の通り「めちゃくちゃ面白い」という点でかなり優秀。

これまで男性主人公のエンタメ映画とか腐るほどあったけど、例えば『オーシャンズ・エイト』とかリメイク版の『ゴースト・バスターズ』が出た時に「これを女でやる意味〜」みたいなクソみたいな批判があったりして、いやそれをいったら男でやる意味も別にないんだけど?ということにもなっていて。

つまりはこれまで「女主人公」というだけで意味を求められてきたり不必要な恋愛を絡められてきたような映画に堂々とNoを突きつけることができるという意味で、すごいんです『クルエラ』は。

 

あとエマ・ストーンはマジで変顔というか、驚愕顔の力がすごい。

 

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まとめ

というわけで、今回10作紹介しましたが、今後も止まることなくこういう作品は出てきそうですね。

MCUは『エターナルズ』が女性監督クロエ・ジャオによるものだし、ピクサーでは『私ときどきレッサーパンダ』がドミー・シー監督によって公開されます。

今回紹介のなかったスター・ウォーズのシリーズでは『ローグ・スコードロン』が『ワンダー・ウーマン』シリーズを監督したパティ・ジェンキンスによって製作されてますし、ますますディズニーにおいて女性監督の活躍が広がっていきそうです。

 

期待としてはWDASでもっと女性スタッフが活躍できるといいのにな、とは思いますね。内容的にはフェミニズムを捉えたいい作品が多いのですが、言うだけでまだ実績が伴っていない感じがします。(今WDASで一番偉いのはジェニファー・リーだけど)

 

あくまでも今回紹介した映画が女性のエンパワーメントを考える上で最適かどうかは僕にもよくわかりませんが、あくまで考えるきっかけになればいいなと思う作品たちでした。

 

というわけで、今日はこの辺で。

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