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『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』想定外の連発、スパイダーマンとMCUは新たなステージへ。

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期待値を超えてくる映画っていうのは本当に存在する。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』という、シリーズ史上最高、そして全世界の映画史上最高の売り上げに今にも辿りつかんとする勢いの作品の、まさに直後のシリーズ最新作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

正直『エンドゲーム』により、今後の展開に期待が高まった勢よりも、『エンドゲーム』により燃え尽きて、今後の展開に不安しか抱かない人達の方が多かったんじゃないだろうか。

なんせシリーズ最新作は『スパイダーマン』である。

前作『ホームカミング』は一部MCUディープファン的には比較的低評価で、スパイダーマンというキャラクターこそ抜群の知名度を誇れど、アイアンマン、ソー、キャプテン・アメリカ、ハルクなどの強力すぎるアベンジャーズの面々に加わると、まだ戦闘経験の少ない、ちょっと頼りない16歳の少年になってしまう。

 

シリーズとしては間違いなく『エンドゲーム』がピークであり、シリーズを支えたジョー&アンソニー・ルッソ兄弟監督もシリーズから離れた。今後の展開を何も考えずに終わらせることだけを目的として『エンドゲーム』は作られた。

そんなパスを受けたジョン・ワッツ監督や製作陣は、どう『ファー・フロム・ホーム』を作ったのか。

 

 

※この記事は現在公開中の映画『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』のネタバレを含みます。

 

 

 

目次

 

『エンドゲーム』以後の学園生活

僕が『ホームカミング』で好きだった部分はピーターの片思い相手リズとの、ムズガユくなかなか交わらない恋愛と学園描写、そしてヒーロー活動との両立に悩む部分だ。

『ホームカミング』終盤で、リズは物語から退場、『インフィニティ・ウォー』で「指パッチン」以降彼女の動向もわからない上に時系列的には5年の月日が経っている。

本作『ファー・フロム・ホーム』では、ピーターの片思い相手は前作で、ゼンデイヤ演じる、周りからちょっと浮いてる嫌味っぽい女の子、M.J(ミシェル・ジョーンズ)に変わっている。

本作に登場するピーターのクラスメイトたちはほぼ「指パッチン」で5年間消失しており、『エンドゲーム』で帰還後もこれまでどおりの学園生活に戻っているが、クラスメイトの何人かはすでに21歳となり卒業、また5歳年下だったはずの何人かがクラスメイトになっており(兄弟なのに年齢が逆転してしまったという言及もある)、新たにピーターとM.Jの仲を阻む恋のライバルとしてブラッドというキャラクターも登場する。

 

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そんな彼らが向かうのはヨーロッパへの部活研修旅行。

S.H.I.E.L.D元長官ニック・フューリーからヒーローとしての招集を無視して、恋愛成就のためにバケーションを楽しもうとするピーターの前に謎のヴィラン「エレメンタルズ」とそれに立ち向かう人物クエンティン・ベック(別名:ミステリオ)が現れ、否が応でも戦いに巻き込まれていく。

 

この前半パートが、なんだか僕には合わなかった。

WEBでの評価をみると比較的好意的に受け入れられているので、どうやら僕の個人的な感性に合わなかったのだろうが、ピーターがM.Jに好意を抱く過程がごっそり省かれていたのもなんだか唐突に感じられ、また話の展開も単調でスローペースに思えて、観ながら「これ、本当に大丈夫なのか・・・?」という不安にさえかられていた。

笑いを誘うシーンも、セリフもあり、複数のヴィランに「ミステリオ」という強力な存在も登場、戦闘シーンもテンポよく導入されているはずなのに、だ。

 

なぜか?と考えると一つ思うのが、この旅行が全然面白そうじゃないのだ。

まぁピーターは心に秘めていた恋愛計画が思うように進まず、ブラックダリアを購入するシーン以外であまりキラキラした様子を見せない。

親友のネッドがベティと付き合ってしまったがためにピーターは一人行動が増え、旅行の楽しさはもとより、うまくいかない恋愛の甘酸っぱさよりも、悲惨さのほうがダイレクトに伝わるような感じさえする。「っていうか前作でそれほどM.J.のこと好きじゃなかったじゃん?」みたいな部分も、ピーターへの感情移入を阻害しているような気もする。

ピーターとM.Jの描写は話が進むにつれて自然と馴染んできてラストにはほっこりするが、初見ではちょっと心が追いつかない。

 

このままではちょっと危ないんじゃないか、という不安を一気に覆してくれたのが後半パートだった。

 

想定内を超えていく想定外

亡きトニー・スタークからスターク・インダストリーズ史上最強ともいえる防衛A.IのE.D.I.T.H(イーディス)を託されたピーターは、エレメンタルズとの戦闘で思うような結果が出せず、クラスメイトらを巻き込んでしまった結果「次世代のアイアンマンにはふさわしくない」とE.D.I.T.Hをミステリオことクエンティン・ベックに託す。

ここからが物語のネタばらしのスタートである。本作の真のヴィランはヒーローとしてピーターとともに戦ったミステリオ本人であった。

 

・・・と、まぁ実はこれはコミックを読んでいる人、または映画化に当たって原作ネタを思わず収集してしまう僕のような人にとっては周知の事実であった。

一方で原作コミックの先入観を逆手に取った『キャプテン・マーベル』のような好例もあり、実はミステリオもいい奴なんじゃ・・・?という憶測も確かにあったのだが。

 

ところが「やっぱりミステリオが敵だった」と、ただの想定内で落ち着く内容ではなかったのが本作の面白いところだろう。

なんとクエンティン・ベックは元スターク・インダストリーズの社員であり、『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』に登場したAR技術「BARF」の開発担当員だったというのだ。

 

ミステリオやエレメンタルズ自体がドローンやリアルな映像投影を利用した幻覚・嘘であり、全てが自作自演。スパイダーマンが役に立たなかったのも当然のことで、なぜなら彼らは実在しないからだ。

そしてすでに過去作でBARFの技術を目撃している我々は、「そんなリアルな幻覚あるわけねーじゃん」というツッコミも不要で、すんなりと受け入れられる。

『シビルウォー』で意味深げに登場したBARFは、多くのファンが『エンドゲーム』においてタイムトラベルを実行するための何かに応用されると予測していたが、実際はそんなことはなく、『シビルウォー』での両親の死の真相を知ることになるトニーのセンチメンタリズムに触れるための演出でしかなかった。

それをこんな形で、実に納得のいく形で拾ってくるとは。おそるべしMCU。

 

そして真相を知ったピーターがベックを止めようとニック・フューリーに会いに行くシーンで、ピーターはさらに騙され、ミステリオの幻覚にとらわれてしまう。

そのシーンの映像のサイケデリックぶりは正直『ドクター・ストレンジ』以上の臨場感で度肝を抜かれた。

騙された、止めなくては。また騙された。助かったと思ったらそれもフェイクで大ピンチ。そんな処理の追いつかない怒涛の展開に観ている側は脳汁があふれまくるのである。

ミステリオがヴィランだって誰もが知っていたはずなのに、予定調和で終わらずこんなのを観せられて、完全に想定外だった。

 

スパイダーマンの躍進

『ファー・フロム・ホーム』前半戦のスパイダーマン=ピーター・パーカーは本調子ではない。

『エンドゲーム』以降、世界を救ったヒーローのひとりとして、メイおばさんが主催するボランティアの手伝いで表舞台に立つことも増え、トニー・スタークの死により「次世代のアイアンマン」としての重圧をも感じている。ガーディアンズらやソー、ハルク、ドクター・ストレンジやキャプテン・マーベルたちのような宇宙規模の強力すぎるメンツの中では、16歳のピーター・パーカーはまだ幼いし頼りない。

だからこそ、ヨーロッパ旅行とM.Jへの恋愛に逃避し、人並みに青春を求めるのである。

それらはこれまでの『スパイダーマン』映画でも何度も描かれた葛藤であり、スパイダーマンがコミックス時代から持つ「悩める10代ヒーロー」という本質的なものでもある。

 

ミステリオに騙され、ボロボロでオランダまで電車で吹っ飛ばされたピーターは、ハッピーに助けを求め、涙ながらに悩みを打ち明ける。

ハッピーの「トニー自身も悩んでいた。アイアンマンになろうともがいていた」という助言で吹っ切れたピーターは、『アイアンマン』の最初にかかる楽曲、AC/DCの「Black In Black」*1をBGMに対ミステリオ用の新たなスーツを作り上げる。

 

このシーンのエモさたるや。ギャグっぽいのに涙をそそる。

Back In Black

Back In Black

 

 

そして、本作最もスパイダーマンとして躍進を遂げるのが「スパイダーセンス」の発現だ。本作では新たに「ピータームズムズ」と言い換えられていたが、これは遺伝子操作されたクモに噛まれたピーターが持つクモの第6感のことである。

『シビルウォー』でトニーから投げられたウェブシューターをノールックでキャッチしたり、『インフィニティ・ウォー』でエボニー・マウたちの襲来にいち早く気づいたように、彼はもともとある程度は「スパイダーセンス」を持ち合わせている。だが本作ではメイの投げたバナナに気づかないほどにその感覚は鈍っており、戦闘でも全く使いこなせていない。

それを彼は本作のミステリオとの対峙においてとうとう自分のものにする。

 

「スパイダーセンス」は歴代の『スパイダーマン』映画であまりにも自然に描かれてきたし、『スパイダーマン:スパイダーバース』では言葉による説明もなされ、「スパイダーマンにとっては当たり前の力」として存在していた。

 

それが当たり前でないということ、そして成長・躍進により手に入れる技術としてピーターがモノにする、モノにすることにより本当にスパイダーマンとなる、というのが実に素晴らしい展開である。

 

これにより「アクションがイマイチ」という評価を受けた『ホームカミング』も、「成長する前の姿」として自然と受け入れられ救われる構造にもなっている。

個人的には物語としても実に面白かったし、それが本作のために「あえて戦闘描写を抑えてタメた」のであれば「ジョン・ワッツ監督、やるな!」と思ってしまう。

 

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ミステリオが描くもの。

話をミステリオに戻そう。

科学技術で人々を騙し、街を破壊して大量の犠牲者を出しつつ、ヴィランを自作自演してヒーローとなるミステリオは「(人々は真実ではなく)信じたいものを信じる」と発言する。

そして終盤に見せる彼の本当の姿は、映画でCG撮影をする時のモーションキャプチャーの衣装を身にまとっているのだ。

 

大量のCGでコスチュームや、もしくはその肉体自体を表現する「ヒーロー映画」そのものをメタ視点で言及しているのである。

「お前たちが嬉しそうに観ている映画のヴィランもヒーローも、所詮作り物の世界だ、騙されているんだ」と言っているかのように。

しかもそれをヒーロー映画の代表格であるMCUで、スパイダーマンでやってしまうという恐ろしさ。観客は「一体何を見せられているんだ?」と思わざるを得ない。

 

それでもクエンティン・ベックはヴィランなのである。

アイアンマン(=トニー・スターク)に恨みを抱き、ヒーローそのものの存在に疑問を呈し、一見正しいことを言っているように見えても、やっていることはとんでもない大犯罪であり、個人的な復讐でしかない。そこに誇示も何もない。

 

そんな彼に「世界を守るため」という強い意志を持ったスパイダーマンが立ち向かうのだ。

 

人々はミステリオをヒーローだと信じている。

ポストクレジットでのさらなる展開で、ミステリオはスパイダーマンの正体を世間にバラし、彼を悪人だと人々に信じ込ませようとする。

スパイダーマンは悪ではない、これはフェイクニュースである。それでも人々はそのニュースを信じるかもしれない。

 

そんな状況の中で、本当の悪に立ち向かうには人々の感性と、彼らの行動や真実から何を思うかが重要になってくる。

映画のなかのヒーローは偽物のCGかもしれない。それでも彼らの行動に嘘はない。

何を信じるか。そしてどう嘘を見破っていくのか。彼らが成し遂げたものはなんなのか。誰が情報を操っているのか。

そんな、現代社会に溢れるフェイクニュースにまで言及するような多重構造がこの映画には詰め込まれている。

 

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まとめ

正直それこそ『ホームカミング』や『アントマン』みたいな、ちょっとほっとするような映画がやってくると思っていた。

いや、ちゃんとM.Jとの恋愛にもひとまず決着もつき、ほっこりするシーンもあったわけだが、それ以上に様々な要素がひしめき合っていて、特に後半は脳汁出っぱなしだった。

 

クエンティン・ベックの過去とBARFの再登場だけに止まらず、『アイアンマン』でオバディア・ステインに怒鳴られていた研究員も登場するし、構造も『アイアンマン3』に似ている。E.I.D.I.T.H.のシステムなんか実質『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の「インサイト計画」の個人使用版というとんでもなく危険な兵器だし、細かいところでファンへのサービスが溢れまくっていたように思う。

『キャプテン・マーベル』で批判の多かった「ファンサービスとして出すところスベってない?」という部分の正解例とも言うべきか。

エンドクレジットで登場するスクラル人とか、宇宙で擬似バケーションを楽しむフューリーとか、MCUを次のステージへ持ち上げる伏線としては最高で、もう何が起こるのか全く読めないなと期待も高まる。

 

そして何よりポストクレジットでのJ.K.シモンズ演じるジョナ・ジェイムソン。彼の登場には声を出して笑ってしまった。

初代の『スパイダーマン』映画から唯一同役で再登場したキャラクターとして、最高のギャグでもあり、ファンサービスでもあり、今後の展開に大いに絡んでいくと思うと期待値が高まりまくる。

 

『エンドゲーム』がピークで今後MCUは落ち着いていくのだろう・・・、とか予想していたのが本当に阿呆らしいくらいに「これから」への種まきをしっかりしてくれた本作を本当に称えるとともに、『スパイダーマン』映画として、ピーター・パーカーの成長をきちんと描いてくれたことも評価したい。

 

よかったぜ。

 

 

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*1:劇中でピーターはこの曲をレッド・ツェッペリンの曲と勘違いしている。