今日は『トロン』です。
クリスマスだから、こういうのもいいよね。
イルミネーション感あるし。(ないか)
正式タイトルは『トロン』なのだけど、いろいろあって続編の『トロン:レガシー』の方がポピュラーというか、キャッチーになってしまって、そちらを『トロン』と呼ぶ人が増えたのか、なぜかタイトルが変わって『トロン:オリジナル』としてDisney+やソフト販売されています。不遇。
世界で初めて本格的にCGを導入した映画として話題となったこの作品
正直言ってCG映画が当たり前のように登場するようになった現在では
CGクオリティが非常に陳腐に見えてしまうし、
そこにこだわりすぎたが故のストーリーの浅さも非常に記になる作品ではある。
でも、会社側が「オリジナル」とつけたいくらいには、それはあらゆる映画、芸術家にとって「原点」であり「聖典」のような作品であることには間違いないと思う。
そしてその「原点」が、奇跡的にウォルトを失った後の後継者問題で揺れているウォルト・ディズニー・スタジオから出ているというのも、私的にはすごいと思うのだ。
『トロン』楽しむポイントを一旦「ストーリー」から、視点をずらしてみようぜ。
目次
どれだけ説明しても分かりづらい設定
『トロン』という映画は、超ざっくり言えばデジタル世界を舞台に不正を働くプログラムを撃退すべく戦うお話である。
「スペースパラノイド」という大ヒットゲームを開発しながらも、その元ネタを奪われ会社を追いやられ、ゲームセンターのマスターとして働く主人公、ケヴィン・フリンは、不正の裏側を世に公表すべく、日夜裏切り者のデ
リンジャーが経営するエンコム社のシステムに侵入していた。
ところが、エンコム社なシステムには「マスターコントロールプログラム(MCP)」という中枢のプログラムが支配しており、フリンの書き込んだ侵入プログラムの「クルー」は見つかり、削除されてしまう。
MCPは他のプログラムのデータを抜き取り拡張、知識を溜め込んでは、抜き取って役割を奪われたプログラムをゲームに送り込み戦わせていた。
知識を拡大しすぎたMCPは徐々にデリンジャーの制御すら失い、ペンタゴンやクレムリンにまで侵入を試みて成長し、世界のシステムを支配することを仄めかす。
一方、フリンがエンコム社のシステムへの侵入を試みたためにセキュリティが厳格化し、自身が開発している監視プログラム「トロン」の製作が遅れることになってしまったアランは、恋人で物質のデジタル化技術の開発者ローラと共に、フリンの元を尋ねる。
フリンからアイデア盗用の真実を聞いたローラとアランは、フリンをエンコム社に侵入させ、社内システムからMCPにハッキングさせようとするが、MCPに気づかれてフリンは「デジタル世界」に囚われてしまう。
フリンは奇妙なデジタル世界を旅しながら、現実世界への帰還と、MCPの破壊、そしてアイデア盗用の真実を公表すべく奮闘する。
この『トロン』という映画はこれらの設定を、かなり説明少なに展開していく。
特に序盤は、当たり前のように現実世界とデジタル世界を交互に見せ(一回だけ「一方その頃現実世界では…」という字幕が出るが、逆に何でそこに入れた?という感じ)、デジタル世界でも人間くさい感情と思考を持ったプログラムが軍隊のように働いていることが描かれている。
観ていけば、ちゃんと重要なことはキャラクターの会話から整理できるようになっているし、説明不足な感じも実はしないんだけど、
いかんせん設定が唐突な2つの世界観を同時に見せていたり、デジタル世界のキャラクターの顔が画一化されたコスチュームやヘルメット、そしてモノクロな表情のせいで誰が誰なのか認識しづらかったり、となかなかスッと設定を飲み込むのが難しい。
そして何より、あまりにも語り部分の物語が淡々と進んでいくので、印象にも残らなければ、退屈、よく聞こうとしてもなんか難しいことを言っている…というような感じで、結構ハードなのである。
圧倒的ヴィジュアル
『トロン』の楽しみ方は、何といってもその圧倒的なヴィジュアルだ。
本作は「初めて本格的にCGが導入された」であるあために社会的、芸術的にかなり重要な意味を持つ作品ではある。だが、CGが導入されてからもう随分と経った現代ではこの映画は非常にチープに見えてしまう。
このCGでも、当時としてはかなり画期的で、「CGを使った映画は卑怯だ」という理由でアカデミー賞で失格となったらしいし、のちにピクサーの生みの親のひとりとも言えるジョン・ラセターは、『トロン』を観てCGアニメーションの可能性に気づきのめり込んだと言われている。
技術的な部分もさることながら、本作の魅力は近未来的なそのデザイン性にもあると思う。彼らが身につけているコスチュームであったり、登場する監視機やライトサイクルのデザイン。映画としては非常に画面が暗く、キャラクターの顔も視認しづらいという欠点こそあるが、そこを凌駕するほどの格好よさ、ロマンが込められていると言ってもいい。
物語の平坦さも、くどくど説明しないような置いてけぼり感も、この世界観の中ではそれがベストであるような気さえするのだ。
また本作のデザインには映画『エイリアン』に関わったジャン・ジロー・メビウスやシド・ミードが関わっているという。
思考せよ
本作の主人公たちとヴィランとの違いに「思考に対する期待」があると思う。
事の発端となるヴィラン、エド・デリンジャーはMCPという他のプログラムを盗み吸収するプログラムを開発し、フリンの「スペースパラノイド」のアイデアを盗み、自らのものとした。
ディリンジャーは自身で革命的なゲームソフトを作るといい事をせず、アイデアを盗む事で思考を放棄したのである。
デリンジャーがウォルター・ギブス博士と会話する際、ギブス博士は「そのうち、プログラムも思考するようになる」と語るが、デリンジャーは鼻で笑う。自らが開発したMCPが、既に勝手に思考を始め、デリンジャーを脅すなど、自身の手に負えない状況になってきているというのに。
デジタル世界のデリンジャーの分身たるレッドサークは、彼に提案をする部下に「お前は思考するな!思考するのは私の役目だ!」と怒鳴りつける。
プログラムが思考し、意思を持ち始めると、やがて人間がそれをやめる。
そしてプログラムに支配される。
この作品に限らず、A.Iやロボットを題材にしたSF作品では、これらはよくあるテーマだ。
使い古されていると思えるし、もっとわかりやすく明確にテーマを提示する事もできただろうに…というのが惜しいし、そこの部分をもっと機能的に表現できていれば、『トロン』はもっと名作になったのでは、と思わされる。
そして伝説へ
正直、カルト的な魅力はある作品だと思う。
話の運びとかかったるいし、厳しい部分もありながら、その世界観は唯一無二で、パイオニアで、語り継がれる映画だというのも、いかにもディズニーっぽい作品だ。
ゲーム「キングダムハーツ」への登場や、続編『トロン:レガシー』そして、上海ディズニーランドでのアトラクション化、と一般的な知名度もどんどん上がり、その勢いは止まることを知らない。
ここらで超面白い続編とか出てきたら、楽しいかもねって思わせてもらえる「素材」がふんだんに詰まっている、そんな作品だ。
手放しでは褒められないけど、観る価値は絶対あるよ。