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実写版『ピノキオ』「優等生」を目指しすぎた、非常に欲張りな映画。

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Pinocchio (Original Soundtrack)

 

ロバート・ゼメキスによる実写版『ピノキオ』があったことを覚えている人はどれくらいいるだろうか。

 

正直9月くらいの話で全然最近なのだけど、黒人ブルーフェアリーの話だけが一部で大炎上して、作品自体は全然見られていないような気がする。

それもそのはず、本作は巨匠ロバート・ゼメキス、主演トム・ハンクスという夫人にも関わらず、劇場公開一切なしのDisney+限定公開となった。

 

なんていうか、よくこんな画面の暗いシーンばかりの映画を劇場公開せずにご家庭の映像機器スペックに頼ろうと思ったな、と思う。コーチマンのシーンとかほぼ真っ暗だったぞ。

 

今現在、Netflixがギレルモ・デル・トロ監督のストップモーションアニメ映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』を公開中で、しかも絶賛の嵐なので、こちらも再び話題に上がるかとおもいきやそんなことは起こらなさそうなので、私が勝手に話題にしてみる。

 

しかし、このロバート・ゼメキス版『ピノキオ』なんとも言い難い作品だったのが正直なところだ。

 

目次

 

ディズニー版への、そしてディズニー作品へのリスペクト

本作に感じたのは、これまで実写版としてリリースされてきた映画『シンデレラ』『美女と野獣』『アラジン』『ジャングル・ブック』『ダンボ』などと比べ、圧倒的に原作に忠実に作られているという感覚だ。(そういえば『ライオン・キング』をまだ見ていない・・・)

正直、やり過ぎなくらいにはディズニー版『ピノキオ』を完全再現している部分が多く目につく。それは、アニメーションの実写化という観点からすれば、それを本当に「実写」でやっているのであればすごいのだけど、実際は俳優の演技以外ほぼ全編CGなので、2DアニメーションをCGで描きなおしただけとも言える。ジミニー・クリケットの動きや行動、ピノキオの動き、そしてマリオネットたち。細かなセリフやオリジナルキャラの登場、アラン・シルヴェストリによる書き下ろしの新曲など、展開がまるっきり違う部分があるのにも関わらず、オープニングから中盤にかけては、細かすぎるくらいには完全再現だった。

 

特にピノキオが学校へ行く日の、玄関での動き。あの何気無い動きを完全再現することにどういった意味があるのか。アニメ版の、ゼペットの話も上の空のピノキオの好奇心のあわられたあの特徴的な動き、改めて描かれると「私はディズニーをとても愛している」なのか「ディズニーファン、こういうの好きでしょ?(ニヤニヤ)」なのか、ちょっと判断に迷う。

 

判断に迷う、でいうと、もう実写版『ピノキオ』世界ではディズニー作品が軒並み公開されているんだろうな、というくらい、からくり時計のディズニーパロディが多くて、ゼメキスってこういう監督ではあるけどさ、今年はDisney+限定公開の『チップとデールの大作戦 レスキューレンジャーズ』がレスキューレンジャーズの殻を被った『ロジャー・ラビット』だったところに、『ロジャー・ラビット』の監督が『ピノキオ』でこういうことするもんだから、なんかもう嬉しいのか嬉しくないのか、面白いのか面白くないのか、果たしてよくわからなくなって来てしまった部分がある。

 

フィガロやファウルフェローやギデオン、そしてロバ人間はリアル寄りにアレンジされているが、ジミニーは仮面ライダーみたいな擬人化を施されて、クレオは実写版『ファインディング・ニモ』って感じ。そしてモンストロはなんか色々触手的なものが生えたマジの怪物になっていた(別にいい)なのにも関わらず、主人公ピノキオそのものは、アニメのピノキオのまんま、という全体的にどういうバランスを取りたいのかよくわからない感じとかも、いい意味では自由で、悪い意味ではまとまりが無い印象も受ける。

プレジャーアイランドで出て来てた、ピノキオ曰く「おばけ」何。(暗すぎて何)

 

出だしがこんな感じだったから、中身のない映画なんじゃないかと、一気に不安になったのが正直なところでもある。

 

ディズニー版『ピノキオ』の魅力とは

本作の中身を語る前に、ディズニーアニメ版『ピノキオ』の魅力ってなんだったろう、と考える。

子供の頃トラウマとして焼き付けられたくらい、印象に残っている恐ろしいシーンたち。そこには「世の中の甘い話には裏がある」「誘惑」に対して「良心」で信じるべきものを判断していく、というメッセージがある。そして、それをめちゃくちゃ序盤で説明している映画でもある。

鼻が伸びるシーンで、シンプルに「嘘をつくのはいけませんよ」という、特徴的でわかりやすい部分が注目されがちだけど、全体像でみると、「自分」が悪いことをする側面よりも「社会がどれほど恐ろしい場所か」と「騙されて悪いことをさせられることもある」ということを教訓として教えてくれるのが『ピノキオ』の最大の特徴だろう。

 

「夢は願えば叶う」というのは、物語を結末へ導くための道しるべでしか無いし、ブルーフェアリーは「願えば叶う」としたわけではなく「正直で素直ないい子になれば」と努力と成長を条件として示している。

 

後にも先にも『ピノキオ』が持つのは映画としての面白さ、アニメーションとしての出来の良さに加えて「教育的側面」が強く押し出されている。

これは他のディズニーアニメーションと比べても非常に顕著だ。

ならば、それをあえて、今の価値観で実写化するとなれば、その側面もまた、ブラッシュアップすべきだろう。

 

実写版『ピノキオ』における「変化」

実写版『ピノキオ』も大筋はアニメ版と同じような教育的側面を持っている。

持ってはいるが、内容は若干の変化が見られる。

 

本作ではオリジナルキャラクターの、マリオネット使いのファビアナ、そして彼女のマリオネットのサビーナとの出会いによりピノキオは「動く木の人形」である自身のアイデンティティと生きた人間との区別を、言葉だけではなく意識や知識として明確に行うようになる。

「信じる人間はお父さん(ゼペット)だけ」という言葉を発端に、サビーナには心を開いて行く様が見て取れる。

また、ストロンボリのマリオネットショーに売られる経緯も異なっていて、ピノキオはファウルフェローの誘惑に惑わされつつも、言いつけの通りに学校に行くにも関わらず「木の人形が普通の人間と同じように学校にくるな」と先生に追い返されてしまう。

自身が「木の人形」であることへの自我の目覚め、そして「周りとは違う」ことへの気づき、差別。同じ気の人形へのシンパシーと、明確に「差別問題」を取り入れ、そして「本当の人間になればお父さん(ゼペット)に喜んでもらえる」という「本当の人間」という言葉が差別をテーマ取り入れた途端、呪いになってゆく。

 

「誰かと違うこと」は間違っているだろうか。「誰かと同じこと」が正しいのだろうか。

 

ディズニーでも繰り返し描かれて来たこの問題を、『ピノキオ』という題材で改めて大胆に取り入れるのは意外だった。

そうなると当然結末も変わる。そして私はこの結末にはとても納得している。

 

「変化」が必要なければ「成長」は

テーマに「差別問題」を含ませることにより、物語の結末は「相手に合わせて変わる必要はない」という風に持って行くことになる。

となると、そもそもピノキオが最初に断言する「頑張って本物の人間になる」の根本が歪んでくる。

本作には、間違いなくピノキオの「成長」を思わせるシーンが随所に込められているが、物語のテーマに「変化」=「成長」が必要ない、と「思わせなきゃいけない」ような矛盾に陥っている気がする。

故に、ピノキオが生まれ、ブルーフェアリーが「おうむ返し」ではなく「受け答え」するように魔法をかけた瞬間から、ピノキオの発言は最初からアニメ版のそれとは全く異なる「賢い」発言をするようになる。

賢いので善悪の判断がつきそうなものだが、「物語の流れとして必要なので」善悪の判断ができなかったり、わかっていないような発言をしたり、嘘で鼻が伸びることに気づいて、あえて鼻を伸ばすことを利用し脱出を図ったり、「なんとなく悪いことだと思う」ことがなんとなく気づけるようになっていたり、その「賢さ」がシーンによって、監督の必要に応じて調整されている。

その「調整されている感」が非常にマズくて、これは設定が破綻してしまっていないか、と思えてしまう。

 

「優等生」を目指しすぎではないか

欲張りな映画だな、と思う。

テーマを明らかに詰め込みすぎて、その全てを解決する最善策がなかった、というような感じがする。

『ピノキオ』に求められる教育性、そこに現代の価値観をベースとしてアップデートした現代性、それでも「古き良きピノキオ」を感じてもらいたいと詰め込んだディズニーファンへの細かい目配せとリスペクト。ゼペットが「なぜピノキオを作るに至ったか」というバックグラウンドまで意識して描いたリアリティ。それでも、妖精は現れるし人形は動く、コオロギが喋るし、キツネはどうやら人間と対等に暮らしているっぽい。

なんもかんもやりたくて、優等生になりたくて全部やった結果なのか、確実にバランスを欠いている。

それでも、前半こそ退屈だったが後半は結構見れた。

プレジャーアイランドのシーンは正直ティム・バートンかな、と感じたしこの作品をティム・バートンが作るのも見てみたい気がする。あそこが一番生き生きしていた気がするし、マジでおばけは何ってかんじだけど、そもそもプレジャーアイランドって何、だし、人間がロバになるのも説明つかないのでおばけもアリな気はしてきた。あとルートビアは別に悪い飲み物ではないよ。

 

そして、同調圧力って怖いですね、と思った。正直差別問題よりもこっちのテーマぶっ込んでくる方が意外すぎるしリアリティがありすぎて怖かったわ。日本人は空気読みすぎるから余計に。でもこれも「誰かに合わせて変化する必要はない」「今のままで十分素敵」にはつながってくるのかと思うと、うまい気さえする。

 

というわけで、実写版『ピノキオ』散々褒めて散々けなした結果、私にはよくわからない映画になりました。

とりあえずもうゼメキスは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『フォレスト・ガンプ』という最強の作品があるので、他はそこまで期待しないでいい、ということにした。というか結構ハズレが多い監督だと思う。

『ロジャー・ラビット』も大好きだけど結構散らかっている映画ではあるし。

次の作品は是非、褒めるだけで終わるような名作を作ってくださいよ。

 

 

 

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